第43話 事の詳細が知りたくて


「ご注文がお決まりなのラ、ご主人様。どうぞソニアにお申し付け下さいなのラ」

 

 呆然としている僕のそばに、まるちぃではない別のにゃんメイドがいつの間にかいた。

 

 ソニアというにゃんメイドだった。

 僕は掠れた声でいつも通り《にくきゅー萌にゃんセット》を注文する。

 頼んだ《にくきゅー萌にゃんセット》はそのソニアが持ってきた。

 まるちぃではなかった。

 

 理解できない現状。

 混乱を極める脳内。

 

 三つのサービス時も上の空で、テンションの下がったままの僕を奇異に思ったのかソニアが気に掛けてくれるけど、僕は彼女の気遣いに応えることはできなかった。

 

 避けられている。

 いかに鈍感な男でもそれは分かる。

 でもなぜだ? 

 昨日の今日でなんなんだこれは?

 さっぱりわからない。

 考えても理由なんてでてこない。

 でるわけがない。

 全く意味不明なんだから。

 

 僕はその後、《にくきゅーフレンズ》でどう過ごしたのか自分でも分からない。

 簡易ステージでにゃんメイドが唄って踊っていたけど、内容はよく覚えていない。

 なんどか心配そうな表情のにゃんメイドが優しく声を掛けてくれたけど、何を話したかほとんど記憶に残っていない。

 でも、まるちぃが僕に声を掛けなかったことは知っている。


「ごめんなさいなのラ。まるちぃは体調が悪くてフサフサのベッドで療養中なのラ。本当にごめんなさいなのラ、ご主人様」


 まるちぃとのカメラ撮影を頼んだら、そう言われた。

 見送りは、そのよく知らないにゃんメイドだった。

 僕はこの日、最低の出国をした。

 何がなんだがもう全く以て意味が分からない。

 結局、《にくきゅーフレンズ》を出たあとは何もする気がなくて、すぐに家に帰った。


 家に帰ってしたことといえばトイレに行ったくらいで、あとはずっと、どうしてまるちぃは僕を避けているのだろうかという煩悶を繰り返していた。

 

 あれは夢なのかもしれないとつねった手の甲の皮膚が、内出血を起こしている。

 僕は絆創膏を探そうと立ち上がって、外傷じゃないから違うかとまた座る。

 その立って座るという動作も何度も反復していた。


 いや、絆創膏を探すというのは本来の理由ではない。

 乱高下する心電図の波形のような衝動の波が、僕にその動作を強いるのだ。

 三〇五号室のインターホンを鳴らし、出てきた黄瀬さんに僕を避けている理由を聞きたいという衝動の波が。

 

 でもその一線を越えてはいけないことは分かっている。

 隣人という特殊性を排すれば、メイドとしての仕事ぶりに納得できなくて本人の家に押しかけ、あれはどういうことなんだと問いつめるなど、非常識どころか狂気の沙汰だ。

 もちろん、ベランダから黄瀬さんに呼びかけるのも同様に。

 だとしたらまるちぃに直接聞くしかない。

 

 僕はスマートフォンを手にすると、にくきゅーフレンズアプリを開く。

 そのとき、僕は一つ気づいた。

 まるちぃは僕を見つける前からすでに持前の朗らかさを幾分、失っていたことを。

 ただ、冷静でいられない僕はそこから先に想像を働かせることをしなかった。


「あったっ」


《にくきゅーフレンズ~妻恋坂店~》の勤務表を食い入るように見る。

 僕はファンクラブ有料会員登録している。

 よってにゃんメイドの六日間先の出勤まで確認することができるのだけど、まるちぃは来週の火曜日に午後十七時から二十一時までの勤務となっていた。

 

 僕は即決した。

 この日、入国することを。

 

 ――日曜日と月曜日。

 

 その二日間を僕は、火曜日にまるちぃと会って話す――それだけで頭を満たして過ごした。

 両日とも黄瀬さんには会っていない。

 ベランダにも何回か出たけど、明かりの漏れないひっそりとした部屋の窓が開くことは一度もなかった。


 


 頭上には濁った鉛色の空。

 不安感を増大させるその光景に僕は大きく嘆息する。

 天気予報では終日くもりとのことだったけど、もしかしたら一雨振るかもしれない。

 傘は持ってきていないけど、振ったらコンビニで買っていけばいいだろう。

 

 今日は学校が終わってすぐに家に帰った。

 教室を飛び出る前に何をそんなに慌ててるのかと信之に聞かれたけれど、ちょっと野暮用でとだけ答えて去った。


 実際にはつまらない用事どころかとても重要な案件だけど、いちいち説明している暇なんてない。

 まるちぃは十七時から二十一時の勤務時間なので慌てる必要はないのだけど、僕としては早く彼女に会って事の詳細を知りたかったのだ。

 

 プライベートな会話がダメというわけではない。

 とはいえ、あまりにも踏み込んだものは躊躇われるし、まるちぃにも答える義務なんてない。

 でもそれでも僕は彼女に聞かなければならない。

 まるちぃから教えてくれない限り、方法はそれしかないのだから。

 

 ただ今日、もしもいつも通りのまるちぃに戻っていたら何も聞かずにいようと思う。

 気になる気持ちを抑え込んで、彼女との一時を存分に楽しもうと思う。

 

 ――驚くだろうな、土曜日でないのに僕が来たら。

 

 いつものまるちぃが待っているような気がして、緊張が幾分ほぐれた。

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