第42話 いざ、にくきゅーフレンズへ


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「行きますか」


 僕は忘れ物がないかを確認するとドアを開け、廊下へと出る。

 廊下から外を見上げれば、そこは昨日黄瀬さんが言った通り、からっとした青天井が広がっている。

 しばらくどんよりとした天気が続いていたけれど、土曜日さえ快晴であればオールOKだ。


 三〇五号室の横を通る僕は一度止まって、そのドアを見やる。

 勤務時間を考えれば黄瀬さんはおそらく部屋にはいない。

 無人と分かっていても、それでも僕は声を掛けずにはいられなかった。


「昨日はベランダでのお話、楽しかったです。それでは今から向かいます」

 



 歩き慣れた毎度のルート。

 特段、変化らしい変化のない道程。

 なのにいつもより心倣しか心が弾んでいるのは、やっぱり昨日のことがあるからなのだろう。

 

 推しメイドが隣室に引っ越してくるという奇跡。

 そのさきの可能性の一つとして、例えば廊下で見かけるとか、ゴミ出しの時に会うとか、近くのコンビニで鉢合わせるとか、その辺はもしかしたら在り得るかもしれないとは思っていた。

 

 ただ、ベランダで柵越しに会話というのは想定していなかった。

 なんとなくプライバシーの侵害に近いようなものを感じて、例えチャンスがあっても僕から話し掛けるなんて考えたこともなかった。

 

 そうだ。

 あのときは黄瀬さんから話しかけてきたんだ。

 きっかけを与えたのは僕のうめき声だけど、別に無視だってできたはずなんだ。

 なのに彼女は声を掛けてくれた。

 仮に僕がその立場だったら躊躇った挙句、それこそ聞かなかったことにしてスルーしていたあの瞬間に。

 

 黄瀬さんの心の内はわからない。

 理解しようとする必要だってないのだと思う。

 ただ、僕は嬉しかった。

 その嬉しいという気持ちがひたすら心地よかった。

 

 角を曲がると《にくきゅーフレンズ~妻恋坂店~》が、鮮やか色使いで描かれた肉球の外壁と共に現れる。

 もうすぐだ。

 そこでは黄瀬さんからお墨付きをいただいたまるちぃが待っている。

 僕が来ることを楽しみにしているまるちぃが待っている。

 

 ――そう、僕のまるちぃが待っている。




 店に入って出迎えてくれたのはランクミケのにゃんメイド二人だった。

 あれ? と思いつつも、入国の儀式をきっちり行った僕はにゃんメイドの案内で席へとつく。


「ご注文が決まったら、お呼び下さいなのミィ。ご主人様。にっきゅ、にっきゅっ」


 と去っていくにゃんメイドへの愛想笑いもほどほどに、僕は出鼻をくじかれたことに若干、意気阻喪。

 てっきりまるちぃが迎えてくれると思ったからだ。

 昨日の一件もありそこは期待していたのだけど、タイミングの関係もあるのだろう。


 僕はお冷で口を湿らせながら店内を見渡す。

 馴染みの顔がちらほらと見える。

 ご主人様どうしでの会話も会釈の皆無だけど、妙な連帯感は常にあって、それが居心地の良さの一助となってると言っても、あながち嘘ではない。

 その馴染みの一人が傍を通ったにゃんメイドに注文をお願いする。

 タイミングを見計らった感満載で僕を投影したかのようだ。

 おそらく彼の推しメイドなのだろう。

 

 ところで僕の推しメイド、まるちぃはどこにいるのだろうか。

 今のところ見当たらない。

 入国時にも迎えてくれなかったし、まさか休みじゃないだろうなと一抹の不安を抱いたところで僕は彼女を見つけた。

 

 厨房から出てくるまるちぃは料理を手に持っている。

 彼女は注文をしたご主人様のところへ向かうと給仕を始める。

 

 なんとなく。

 なんとなくだけど元気がないように見えるのは、おそらく照明によるものだろう。

 まるちぃが持っていたのは《にくきゅーにゃんバーグ》のドリンクセット、千百五十円。サービスが《ドリンクおいしくなぁれ》だけなので、ご主人様の相手はそれほど時間は掛からないはずだ。

 失礼だと思いながら横目で見続けていると、やがてまるちぃがご主人様のそばを離れる。

 

 よし。

 

 僕は体をひねってまるちぃへ見向く。

 

 この時点で目が合えば良し。

 でも合わない。

 ならばまるちぃが僕を発見して来たときに注文すればいい。

 ご主人様に尽くすという基本に忠実であるにゃんメイドが、常にご主人様の動向を注視しているのは言わずもがな。

 だから僕はこのまま、まるちぃがこちらをロックオンするのを待てばいい。

 

 そしてやってくる、その瞬間。

 奥の通路を歩くまるちぃが振り向く。

 その愛くるしくも陰りのある瞳は完全に僕を視界に捉えていて――。

 

 だから「注文をお願いしますっ」と手を挙げたその瞬間、彼女が強張った顔つきを横に逸らしたのを見て、僕は名状し難い不安を覚えた。

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