第41話 愚かな自分が呪わしくて憎らしくて
急いで着替え終えるために、まどかは着用する衣服にパジャマを選んでいた。
夜の九時前という時間を考えればそれほど不自然じゃないだろう。
シャワーをまだ浴びていないが、高倉がその不自然さに気付くとは思えない。
「あと寝るだけだから」
「もう、寝んのかよ。まあ、いいや。その前にさ……いい?」
黄ばんだ歯をこぼす高倉。
その猥雑でにやけた表情の意味するところは一つしかない。
時間を考えれば、高倉はそのためだけに来たともいえる。
まどかの中で軽蔑と嫌悪の念が膨れ上がる。
「そんな気分じゃない。こんな時間にいきなり来て、そんなのってない」
「お前の気分なんて関係ねーんだよっ」
刹那、いきり立った高倉が、手に持っていたサンドウィッチをまどかに投げつける。
反射的に顔を守るように腕を上げるまどか。
サンドウィッチが腕に当たり、具材が床に散乱した。
まどかは、眼前の男による突然の荒い振る舞いに声が出ない。
激しやすい性格なのは分かっていた。
だがそれに慣れることはなくて、単純な恐怖が従順であれと命令する。
「分かったんなら早く着替えろよ。パジャマとか、めっちゃ萎えるから」
「……ちょっと待ってて」
まどかは床に散らばったサンドウィッチを片付ける。
横目にすれば、高倉が上着とその下のタンクトップを脱ぎ捨てていた。
「ちゃんとソックスまで履けよ」
高倉はスマホを取り出し画面に見入る。
まどかが着替え終わるまでその状態で待つのだろう。
片付け終えたまどかはクローゼットから高校の制服を取り出す。
更にセットとなるワイシャツやソックスを手に持つと、廊下へと出た。
高倉は高校の制服を着たまどかしか抱こうとはしない。
女子高生というブランド性が情欲を喚起するらしく、それ以外の格好を許さないのだ。
だが、こういった男が一定数いることは過去の経験から知っている。
高倉ほど固執している男は初めてだが。
「お、なんだこれ」
ベッドのほうから聞こえる声。
それはスマホからの情報に対してなのか、或いはそれ以外に対してであるのか判断できない。
それ以外だとすれば、部屋で何かを見つけたようなそんな感じだ。
まどかの部屋の中に於いて普段、目にすることのない珍しいものを発見したかのような――。
まさか。
ううん、大丈夫、そんなはずはない。
全ての物を隠したはずなのだから。
……いや、待って。違う。あれは、あれはどうしたっけ?
「じゃーん」
「――ッ?」
突然、間近で声が聞こえて、体がビクリと震える。
振り向き見上げると高倉の顔。
その表情がおちゃらけたものであるのに違和感を覚えた瞬間、まどかは彼の頭に付いている物を目にして息を飲んだ。
存在を失念して隠し忘れていた、猫耳カチューシャがそこにはあった。
「猫だにゃん。にゃんにゃん。……ってなんでこんなもん持ってんだよ」
「そ、それは……」
背中を冷たいものが伝う。
大丈夫、高倉は興味がない。
この男がそそられるのは学校の制服だけなのだから。
「そういえばお前、喫茶店のバイトしてるって言ってたけど、何、もしかしてメイド喫茶なの? だよな、ほら、似合ってるもん」
高倉が猫耳カチューシャをまどかの頭に付ける。
「やめて。これは違う。それにメイド喫茶じゃない」
まどかはすぐさま、猫耳カチューシャを外す。
「嘘つけ。にゃんにゃんメイド用だろ……なあ、ほかにメイド服とかあんの?」
「だからメイド喫茶じゃないって」
「ふーん。そっか」
「うん。もうすぐで着替え終わるからちょっと待ってて」
「おう。じゃあ、本当にメイド服がないか探して待ってるわ」
「止めてッ!」
叫声が声帯を震わせ部屋に響く。
まずいと思ったときには、もう遅かった。
きょとんとした高倉の面が下卑たものへと変容する。
「お前、その反応、ぜってーあるじゃん。よっしゃ決めた。今日はメイド服のお前とヤるわ」
言うや否やベッドやベッドの周辺で、メイド服を探し始める高倉。
そこにないと判断すると今度は、ぞんざいな空き巣のようにクローゼットの中を荒らし始めた。
綺麗に畳んであった服や下着、タオルやその他収納品がくずれ、散乱していく。
「ちょっと止めて。そんな扱い方しないでよっ」
とっさに高倉の腕を掴む。
「うっせー、どいてろっ」
「きゃっ」
掴んだ手を乱暴に払われ、まどかは尻から床に倒れた。
「おい、ねーぞ。どこにあんだよ」
「だ、だから、ないって、言ったじゃん」
そのあとの視線の動きは半ば無意識だった。
隠し場所の無事を知りたくてコンマ何秒、一瞥して確認しただけだった。
だが、高倉はその僅かな挙動を見逃さなかった。
まどかの視線の先を追う高倉。
そこには三段のデスクワゴンが置いてある。
彼は一番下の引き出しに手を掛けると、ゆっくりと手前に引いた。
その横顔に見える、不気味に吊り上がった口角。
――見つかった。
なんでそこに目を向けてしまったのだろう。
なんでそこに仕舞ってしまったのだろう。
なんで冷静でいられなかったのだろう。
なんで猫耳カチューシャを片付け忘れてしまったのだろう。
なんで、
なんで、
なんで、
なんで、
なんで、
なんで。
過去の自分が憎らしくてしょうがない。
その懸念を軽んじていた黄瀬まどかが、どうしようもなく呪わしい。
高倉が広げたメイド服に顔をうずめる。
やがてこちらに振り返った彼は、その火照った顔に色欲を塗りたくっていた。
「これを着ろ。俺はご主人様だぜ。ちゃんと言うことは聞けよぉ?」
この日、まるちぃは汚された。
黄瀬まどかを救うはずのまるちぃまでが闇に染まった。
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