第38話 大きなフラグ
12
今日は嬉しいことがあった。
須藤樹をコンビニで見かけたのだ。
となりに同じ制服を着た男性がいたが、おそらく彼の友達に違いない。
雑誌を見ながら談笑していたから。
隣同士で住んでいるのだから、近くのコンビニで目にすることなんてそれほど珍しいことじゃないと思うが、不思議なことにアパートでもコンビニでもなかなかそういった鉢合わせはなかった。
おそらく会うことを意識すればその会遇の確率を上げるのも可能だと思うが、週に一度、《にくきゅーフレンズ》で最高の形で会えるというのもあり、まどかは行動に移そうとは思わなかった。
それに不必要に黄瀬まどかの状態で会うのは、気まずさが皆無というわけではなかったから。
もしかしたら、彼とばったり出会わないように無意識に努めていたのかもしれない。
ただ、あんなにも胸が高鳴るのならと、まどかの中に気持ちを前進させる推進力が生まれたのも事実だった。
だからその日、まどかがベランダで須藤樹と会話をしたのは多分、偶然ではない。
雑誌が増えてきた。
本棚はマンガの単行本や小説だけと決めているので雑誌は床に積み上がっている。
前回、資源ごみの日に出しそびれたのも含まれているので、高さは六十センチを超えていた。
その様はまるで大きなバランスタワーである。
少年ステップ買うの止めるか。それと――
僕は冷めた目で、一番上に乗っている《ユーチューブで稼ごう。君もすぐに億万長者》なる本を見る。
それは本日、僕の部屋にやってきた信之がくれたものだ。
バイト決まっていないならやってみればとか何とか言って。
『隣室のまるちぃたんの動向を生配信。もちろんベランダからのリア凸有り。推しメイドの日常をいっちゃんが華麗に暴く。よくね、これ。めっちゃ登録数増えると思うんだけど』
うん。あいつはバカだ。以上。
僕は《ユーチューブで稼ごう。君もすぐに億万長者》にエルボードロップを食らわせたあと、雑誌を三つの塊に分けて紐で結ぶ。
一個づつベランダへと運び、三つめを置こうとしたところで紐が解けた。
しかもあろうことが散乱した雑誌の一つが、仕切り板の下から三〇五号室のベランダへと滑っていってしまった。
うわ、マジかよ……っ。
最悪だ。血の気が引く。
どうしたらいいのだろうか。
三〇五号室のインターホンを鳴らして黄瀬さんに事情を説明して取ってもらうのが正攻法だとは思う。
それ以外ならば、仕切り板の下から腕を伸ばして自分で取るしかない。
それが可能かどうかしゃがんで覗いてみる。
本は腕を伸ばして届く距離にはなかった。
インターホンを鳴らしに行くしかないと決断したそのとき、ガラガラと音がする。
三〇五号室の窓が開いたのだ。
うそだろ?
座ったまま石のように固まる僕。
時刻は夜の八時過ぎで外は暗い。
とはいえ、部屋の明かりに照らされれば必ず視界に入る場所に本はある。
果たして彼女はその本を前にしてどう行動するのだろうか。
息を殺してそのままでいると、ふいに僕の体が後ろへと倒れていく。
慣れていないヤンキー座りのまま硬化していたこともあり。
「あ」
声が出る。
尻もちをついて喉の奥からうめき声も更に。
絶対に僕がここにいることに気づいたはずだ。
「須藤、さん?」
ほらみろ、ほらみろっ。
「あ、こんばんはっ。ちょっと今ゴミ出し中で……」
仕切り板の向こうの黄瀬さんに話しかける僕。
これは一体、どんなシチュエーションなんだと失笑すら漏れる。
「そうなんですか。……あの、この本って……」
黄瀬さんがベランダに落ちている本に気づいたらしい。
「あー、すいませんっ。ざ、雑誌を纏めている紐がほどけちゃって、それで一冊だけそっちにいっちゃって。あの、申し訳ないんですけど、ちょっとこっちにやってもらえますか?」
「そうなんですか。分かりました」
「ありがとうございます」
ついでに頼む形になってしまったけど、間違ったやり方ではないはずだ。
下からこっちに押してもらうだけなのだから。
思いもよらない展開にまだ心臓がドクドクいっているけど、なんとかこのミッションは無事終えそうだ。
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