第37話 高まる想い、それはどこまでも純粋で
「あれ? 今日も持って帰るんだ」
メイド服を紙袋に入れているところでバイト仲間に声を掛けられた。
まどかは顔を上げると「うん」と答える。
このバイト仲間は、まどかがメイド服を持ち帰る理由を知っていることもあり、「へえ、偉いね。正ににゃんメイドの鏡だよ」と感心を口にしてくれた。
ランクミケになりたいもんねとも言われたが、それが目的ではないまどかは同調を表すように「そうだよね」と答えておいた。
もしもここで、あるご主人様のためにメイド力を磨いてますと言ったら、このバイト仲間はなんと思うのだろうか。
メイドの仕事はお金を稼ぐためという割り切ったスタンスの持ち主だった場合、おそらく引くのだと思う。
このバイト仲間がどうかは知らないが、実際、ご主人様をキモいだとかウザいだとか言っているにゃんメイドが数人いるのは事実だ。
そのような人達がご主人様に笑顔を振りまいているのを見て不快に思ったのも最初だけで、今はもう気にしてはいない。
表と裏の二面性と言うならばまどかだってそうなのだから。
自分がこのメイドという仕事を楽しいと思えればそれでいい。
ご主人様への給仕や会話に充実感を覚えられるのならそれでいい。
最近はある一人のご主人様のことばかり考えているが、それだって悪いことじゃない。
まどかはロッカーを占めると「お疲れ様です」と言い残して店を出た。
前回、メイド服を持ち帰ったときは肉球グローブを忘れていた。
それがあるとないとではやはりなりきり度が違うのか、今日のまどかのモチベーションは前回より更に良好だった。
「お帰りなさいませ、ご主人様っ。入国をお待ちしておりましたのラ」
姿見に写るまるちぃの姿。
ポーズも完璧で笑顔も自然。
もしも自分がご主人様の立場だったらいわゆる萌の感情だって発露するかもしれない。
つまりまるちぃは傍から見たら可愛いのだと思う。
何、言ってるの、私。
鏡の世界の現身に対して主観的な、あるいは客観的な評価を下している自分が妙にこっぱすがしい。
しかも萌とか可愛いとか、自己肯定の方向でだ。
それはついこの間までだったら考えられない心の在り方の変容。
まるちぃを知らないときの黄瀬まどかは、自分の姿を鏡で見ることにさえ抵抗があった。
歪んで荒んだ醜い自分を直視するなんてできるはずもなかったのだ。
その後まるちぃを作り上げてからは幾分、鏡への拒否反応は薄らぎ、鏡面に映し出される自分を承認するまではできた。
黄瀬まどかもまるちぃも、両方が自分であると冷静に受け止めることができた。
だからこの直接的な自己肯定はまどか自身が驚いた。
浮かぶ須藤樹の姿。
彼のためにという気持ちがそうさせるのかもしれない。
「だめだよ、まるちぃ。ご主人様は彼だけじゃないんだから」
敢えて声に出してみるが、須藤樹がその後、まどかの中から消えることはついになかった。
《にくきゅーフレンズ》の日まであと三日。
それは奇妙な感覚。
須藤樹はとなりの部屋に住んでいて、今だって壁の向こうにいるかもしれないのだから。
「けっこう、溜まったな」
ベッドに座る僕は、インスタントカメラで撮った二十二枚の写真を前に呟く。
それは全てがまるちぃとの二人っきりの写真であり、僕の彼女への一図な想いが如実に表れていた。
それにしても増えた。
もうそろそろアルバムにでも入れたほうがいいのかもしれない。
あるいは壁に貼り付けて……なんて考えは、まるでサイコなストーカーのようなので即、却下した。
最初に撮った写真から一枚づつ、僕は約五ヶ月間のまるちぃという歴史の変遷を目に焼き付けていく。
一枚目から三枚目はお互いが余所余所しくて笑顔もぎこちなかったのだけど、四枚目になると自然な笑みが零れていた。
何かあったっけなと写真に書かれた、まるちぃの文字を読む。
【研修生から脱皮しましたっ。いつも応援ありがとね。手紙にも感謝】
とある。
そうだ、この日は正式なにゃんメイドになるためのイベントがあって、僕はまるちぃに手紙と花を渡していた。
手紙の内容は、いつも癒しを与えてくれる彼女への感謝の気持ち。
そして昇格おめでとうというお祝いの言葉だったはずだ。
それがきっかけで、僕とまるちぃというパズルのピースがかちりと嵌まって、ご主人様とにゃんメイドという自然な関係性ができあがった。
だから五枚目以降の写真では、二人の距離間に違和感はない。
少なくとも、僕はまるちぃへの感情を抑え込むことはなくなったし、まるちぃも親近感を余すことなく開放してくれたように思う。
「ああ、これもイベントだっけ。……なんかちょっとハズいな」
それは四月十三日に撮った十六枚目の写真。
まるちぃはそのままなのだけど、僕は猫耳カチューシャと肉球グローブを装着して《にっきゅ、にっきゅ》のポーズをしていた。
この日は《王国生誕祭。今日はみんながネコなのにゃ》というイベントがあって、ご主人様全員が猫耳を装着してネコ主人様になっていたのだ。
イベント中は、語尾に《にゃ》を付けて《にっきゅ、にっきゅ》と言わなければならなかったのだけど、ご主人様全員が例外なくネコ主人様になっていたあの光景は不思議な一体感もあり、忘れられない体験だった。
十七、十八、十九と写真は続く。
どれもこれも、見た瞬間にその日の光景が脳裏に鮮明に蘇り、僕は心を委ねる。
先週に撮った二十一枚目の写真が出てきた。
にゃんメイドの定番ポーズをするまるちぃと僕がいて、小さなペーパーパラダイムの中に凝縮された幸せに心が芯から温まる。
二十二枚目はどんな写真になるのだろうか。
多分、これまでにない最高の一枚になるような気がする。
なんの確証もないけど、僕にはそれが絶対としか思えなかった。
《にくきゅーフレンズ》入国まであと二日。
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