第25話 素直な気持ちに従って
「うーん」
あの対処で良かったのかと部屋に戻ってから悩む僕。
拾ったスマートフォンが黄瀬さんの所有物だと確定したのならば、そして在宅が分かっているのならば、対面越しに渡すべきだったのかもしれない。
でもそれは、《黄瀬さん以外の人物がいる。それが赤髪のDQNかもしれない》という可能性も考慮した上で選択肢から外したはずだと、僕は首を横に振る。
ではもう一つの対処はどうだったのだろうか。
《夏ドリ》の参加特典でもらったシビッカのピンバッジを封入したという行いは。
アールゼット一筋な僕は、ほかのキャラクターにさほど思い入れはない。
ならば、シビッカのことが好きな誰かに譲ってあげようと何度も黄瀬さんの顔が浮かんだ矢先に、彼女のスマートフォンを拾うというプチイベントが発生。
よって、玄関ポスト越しに渡すのならばと、ピンバッジを一緒に封筒に入れたのは半ば必然的行為でもある。
「いやいやいや、待て待て待て。本当にそうか?」
僕は靴も脱がずに玄関で腕を組んで自問する。
スマートフォンのみならおそらく感謝の気持ちだけで完結する。
後日、お礼を言われるかもしれないけれど、それだって謝意の延長線上にあるものだ。
しかし自分のではないピンバッジが、まるでプレゼントかのように同封されていたらどう思うだろうか。
気持ち悪いと思うかもしれない。
《にくきゅーフレンズ》でご主人様がまるちぃにプレゼントを渡すのとは、訳が違うのだ。
たいして親しくもない隣人の男による、お届け物に乗じたプレゼントという図式。
これは下心を疑われて警戒信号が灯っても不思議ではないだろうし、感謝の気持ちすら相殺するかもしれない。
「余計なことだったなぁ。ああ、普通にやっとけよ、樹ぃ」
僕はしゃがみ込んで頭を抱える。
でも今更後悔しても詮無きことだ。
まるちぃがご主人様モードの僕を嫌いにならないことを祈りつつ、さきほどから晩御飯を要求する胃袋を慰めてやろうと冷蔵庫を開ける。
何も食料がなかった。
僕は玄関扉を再び開けると、夜のコンビニへ出発することにした。
途中、三〇五号室のドアポストを覗き見たい衝動に駆られた。
だけど封筒があったところでどうにもできないだろうと己に言い聞かせて、通り過ぎたのだった。
咥内にねじ込まれる舌が、まどかの同様のものを蹂躙する。
まどかは何も考えない。
それは、ベッドの上で高倉が獣となって邪欲を満たしているときと同じ。
なんの感情も抱かずになすがままにされているのが、最大の抵抗だから。
ただ、廊下でされていることもあり、毎回、半分くらいの意識が周囲に向いていた。
特に今日は三〇六号室がいつも以上に気になる。
いきなり彼が部屋から出てこなければいいのだけど――。
そこで高倉の顔がまどかの眼前から離れた。
愛撫とは形容できないその行為が終わる。
「じゃあ帰るわ。ああ、それと」高倉の顔が再度近づき、開いた口から脂臭い息が吐き出される。「二度とくだらねーこと言って俺を怒らせるなよ。俺もお前のこと叩きたくねーからさ。な?」
うすら寒い作り物の笑みを浮かべる高倉。
くだらないこととは、まどかが別れてくださいと言ったことだろう。
まどかは、ざらついた手で頬を撫でてくる高倉を一瞥すると、「うん」と呟いた。
「そうか。分かればいいんだ。好き合ってる者同士、仲良くやっていこうぜ」
また連絡すると付け加えると、高倉は去っていく。
――好き合っている者同士。
それについて、まどかの気持ちは述べるまでもない。
しかし、もしも高倉がまどかを本当に好きならば、まどかが別れを切り出した理由について一切触れてこないのはあり得ないことだ。
セックスできればいいだけのあいつの気持ちなんて考えてどうするの? バカみたい。
早く部屋の水道で、あの男の唾液を洗い流したい。
シャワーを浴びて、あの男に穢された全てを清めたい。
まどかは高倉が下りた階段に背を向ける。
その際、振り向いている途中に外を見たのはなんとなくで理由なんてない。
でもその無意識下の行動が思ってもみない人を視界に入れることになった。
《ひだまりハイム》と道路を挟んだ歩道。
その歩道の先にあるコンビニの敷地内に須藤樹がいたのだ。
コンビニに向かっている最中であることを考えると、まどかと高倉が廊下に出る数分前に彼は三〇六号室から外出したのだろう。
トイレに行っておいて良かったと、まどかは降って湧いた安堵感を噛みしめる。
次の瞬間、ざわめく鼓動。
寸刻の逡巡ののち、部屋へと入りうがいを済ます。
本当はシャワーだって浴びたいが、そんな時間はおそらくない。
まどかは着用させられていた高校の制服から私服へと着替えると、須藤樹のいるコンビニへと向かった。
待っていれば彼は戻ってくる。
それでも行動に移したのは、素直な自分の気持ちに従っただけのこと。
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