第24話 スマートフォン


 控えめに言って、今日の《ドライブ、ドライブッ、ドライブッ! 夏のドリフトフェスティバル》は最高だった。

 

 さいたま市文化センターでのステージは、ドリブンガールが疾走するコースのイメージで作られていて、そこでまず感嘆の声を上げた。

 メインキャラクター九人の声優達が登壇した際には、当然のように歓喜の声を上げ、声優達が自己紹介を始めたときや、裏話の披露時には皆が黙って聞き入り、そしてテンポのよい掛け合いが始まれば会場全体で笑いが沸き起こった。


 キャスト、スタッフ、観客。

 誰もが《ラブ・ドライブ!》が大好きなんだと思う。

 だからこそ三位一体となって盛り上げた《夏ドリ》は、始まったばかりの夏を全力疾走で駆け抜けたかのように、爽快で、恍惚的で、最高の体験だった。


「来年も抽選当たるといいな。いや、今回、当てたの信之だったっけか」


 僕は三十分ほど前に別れた、興奮からかコミケレベルのオタ臭を醸し出していた友を思い出して、苦笑と同時に感謝した。


 街路灯に照らされる《ひだまりハイム》が近づいてくる。

 時刻は夜の八時ちょっと過ぎ。

 歩道から見える《ひだまりハイム》の窓のいくつかは、内側からの光で明るくなっていた。

 なんとなく、あるいは明確な意思を持って僕は三〇五号室に目を向ける。

 そこにも明かりが溢れていて、誰かの影がカーテン越しに見えたような気がした。


 誰かって、それは黄瀬さんに違いない。

 でも黄瀬さんにしては大柄なシルエットにも思えた。


 僕は自転車置き場に自転車を止めると、アパートの入口へと向かう。

 そこで父親からの指令を思い出す。

 オートロックのところで踵を返す僕は、そのままゴミ集積所へと移動先を変えた。

 特に問題はないと思うけど、アパートの清掃業務が居住の条件になっている以上、ゴミ集積所が綺麗な状態で扱われているかの確認は必要なのだ。


 蓋の付いた大型のメッシュのゴミ収集庫。

 カラスや小動物のゴミ漁りを防ぐのと同時に、ゴミの分別ができているかの視認もできる優れモノだ。

 分別に関しても確認するようにと父親に言われているけれど、そんな細かいところまで見るつもりはない。


 さて、分別も概ね問題なしでゴミ集積所もさほど汚れてもいないので、清掃の必要はなさそうだ。

 僕は小声で「ゴミ集積所、ヨシっ」と指差し呼称すると、再びアパートの入口へ戻ろうとした。


「あれ?」


 ゴミ収集庫の下に何か見える。

 たまたま車のヘッドライトに照らされて姿を現したそれは、スマートフォンのように見えた。

 手に取ってみると、実際にそれはスマートフォンだった。

 ストラップとカバーが付いたその比較的綺麗なスマートフォンは、ゴミ集積所に投げ捨てたといった感じではない。おそらく誰かの落とし物だろう。


 そこで僕は気づく。

 ストラップとカバーが《ラブ・ドライブ!》のものであることに。

 更に言えばカバーもストラップもあるキャラクターで統一されていて、そのキャラクターとはシビッカだった。


 ふと思い出す、アニメグッズ店で会った日の黄瀬さん。

 もしかしてこのスマートフォンは黄瀬さんの物だろうか。

《ひだまりハイム》の住人であり、シビッカのことが好きな黄瀬さんがゴミ捨ての際に落とした可能性は充分にある。


 とはいえ、確信はもてない。

 待ち受け画面もシビッカ仕様ならその可能性も幾分、強固になるな、と僕は一言「押させていただきます」と呟くと、スマートフォンの下のボタンを押してみる。

 すると、強固どころかこのスマートフォンは黄瀬さんの所有物で確定した。

 待ち受け画面には、黄瀬さんと赤髪のDQNのツーショットが映っていた。




 スマートフォンがない。

 まどかはすぐにその理由に気づいた。

 ゴミ集積所の前で散乱した手提げバッグの中身を回収した際に、スマートフォンだけ拾い忘れたのだ。


 よりにもよってスマートフォンを忘れるだなんて……。


 居ても立っても居られなくなったまどかは、ベッドから体を起こす。

 下着を着用して床に立ったところで、「どうしたんだよ」と隣で横になっている高倉がスマートフォンをいじりながら聞いてきた。


「スマホ、拾い忘れたから取ってくる」


「スマホ? ああ、あのときか。――お、激レア出た」


 然して興味がなさそうな高倉は再び、スマートフォンのゲームに釘付けになる。

 一方的に欲望をぶちまけたあとは、まどかのことなどどうでもいいのか、この男はいつもこうだった。


 まどかは落ちている制服を着ると、玄関へと足を向ける。

 なかったときのことを考えて陰鬱な気分が発露してきたそのとき、ガタンッとドアポストから音がした。

 驚いて一瞬、体を硬直させるまどか。

 一体、誰が何を入れたのだろうかと恐る恐るドアポストを確認すると、厚みのある封筒が入っていた。


 封筒を手に取って表を見ると、そこには


【落ちていたので拾っておきました。あとピンバッジ良かったら使ってください。須藤】


 と書いてある。

 昨日、《にくきゅーフレンズ》に来てくれた、隣人であるご主人様の顔を思い浮かべるまどかは封筒の中身を取り出す。

 まどかのスマートフォンだった。

 封筒に書いてある通りピンバッジも入っている。

 それも、まどかの好きなシビッカのピンバッジ。


 まどかはドアを開けて、三〇六号室を見る。彼はいなかった。

 ところで須藤樹はどうしてこのスマートフォンが、まどかの物だと分かったのだろうか。

 次の瞬間、その答えが一つしかないことに気づく。

 強制的に待ち受け画面に表示させられている高倉とのツーショット写真。

 知られたくないものを須藤樹に見られてしまったショックが思いのほか、まどかを気落ちさせる。


「スマホ、取りにいかねーのかよ」


 ドアを閉めると高倉の声が聞こえた。


「玄関に落ちてた」


「は? なんだよ、それ」


 会話が終わる。

 でもまどかの中に生まれた感情は燻り続けていて。

 まどかはピンバッジを数秒眺めたのち、優しく手のひらで覆った。

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