第22話 身の丈にあったご主人様へ


「ぐっはー、やられたーっ! やっぱり柑奈は《スマシス》うまいなぁっ。特にこのスペードマンを使ったときの即死コンボとか、どんだけーってレベルっ!? ショック受ける隙すらなくてひたすら呆然とする僕です、はい、アハハ。でもね? でもねっ? 僕だってスモモ姫の即死コンボできるんだぜっ? 成功したの一回だけだけどなっ。だがしかぁしっ! 今日の《めざましテレビちゃん》の占いで、いつもできないことができるかもってあったんだよっ! それが今このときだと僕は思ってるんだよね異論は認めない! 絶対にっっ、認めないッ!!」

 

 信之と柑奈の視線が、何か痛いものでも見るかのようになってるな!? 

 それはどうやら僕に向けられているようだけど、別に僕は全く痛くない、痛くないぞぉ。


「もちつけ、いっちゃん。学校では陰キャになったと思ったら、俺んちではメンブレした陽キャになるとか、マジでどったの?」


「ノブリンの言った通りだよー、完全に精神崩壊してるじゃん。つーか、なんかキモい」


 現在、信之の家で《大激闘スマッシュシスターズ》をプレイ中。

 相変わらず柑奈は強くて信之は太ってる。

 

 ん? 待て待て、僕がメンタル崩壊してるって? 

 いやいや、これが僕のいつものテンションですが、何か? 

 キモくなんかなーいっ!


「おい、そこのオタ充共。早くキャラを選べ。二人まとめてスモモ姫の即死コンボでやっつけてやるからっ。僕の悪口を言った奴は倍返しだっ! いや三倍、いやいや百倍返しだあぁぁぁっハハハハハハッ!!」


「アメイジング・チョップッ!!」


「がっ!?」


 何かが首に思いっきり当たったような気がした。

 僕は痛みを覚える間もなく、ブラックアウトした視界を感じながら意識を失っていた。

 それからしばらくして目を開けたのだと思う。

 ベッドに仰向けにされているらしい僕を柑奈と信之が覗き込んでいた。


「いてて、首、いって。……なんで僕、意識を失ったんだ? 知ってる?」


「カンナがアメイジング・チョップをイッキーの首に決めたんだよ。リアルにやったの初めてだけど、うまくいって良かったー」


 柑奈の言うアメイジング・チョップ。

 それは、《大激闘スマッシュシスターズ》のキャラクターであるスパイダーキングが使う必殺技だ。

 近接攻撃であるものの、威力は小さくてふっとばし効果はない。

 しかし攻撃のモーションが小さく、当たれば気絶させられるこの技はかなり使い勝ってがよくて、スパイダーキング使いには重宝されている。


「……ってなんで、アメイジング・チョップを僕に使ったっ!? え? なんで!?」


「俺らのいっちゃんを取り戻すためじゃん。どう? なんか自分を取り戻した感じある?」


 信之が意味不明なことを口にする。

 いや、違う。

 意識を失うまでに抱いていた、妙なテンションが今はなくなっていた。

 先日のショッキングな出来事から発露した精神の不調が改善されたのかもしれない。


「そうだな。元の自分に戻った感じはある。ありがとな、柑奈」


 二秒後、《いや待て、いきなり技を食らわされて感謝するのもおかしな話だ》と喉元までせりあがる。

 しかし、「どういたしまして」との柑奈の満面の笑みによって結局、声帯を震わすことはなかった。


 


「ところでさ、何があったの? 今日のイッキー、明らかにおかしかったし絶対何かあったよね? ……あの子なの」


 信之の家を出て、しばらく自転車で走っていると柑奈が云った。

 多分、ずっとそのことを聞きたかったのだろう。

 柑奈の意を決したような表情を見てすぐに分かった。


「あの子ってなんだよ?」


 分かってるくせに僕は聞く。


「まるちぃっていう推しメイドに決まってんじゃん。あの子と何かあったのかなって思って」


「別にないよ。ていうか、まるちぃは全然関係なくって……」


 全然関係なくはない。

 まるちぃが黄瀬さんである以上、関係ないわけがない。

 

 黄瀬さんがDQNとディープなキスをしているのを見て、僕はとことんまで落ち込んだんだ。

 その状態が、信之のいう陰キャや陽キャというある種の別人格を生み出し、純粋な僕そのものが崩壊するのを守っていたんだと思う。

 つまり僕の心をもみくちゃにしようとするそれは、大いに関係しているんだ。


「うん。関係ない。……関係ないよ、はは」


 どうしようもなく下手な笑みが出た。

 見せなきゃ良かったという後悔が押し寄せて、僕はペダルを思いっきり踏み込むと柑奈の前へと出た。


「カンナは何も変わらないからね。ずっと変わらないよ」


 柑奈の声が背中を暖かにする。


 なのに僕は。


 彼女の僕だけに向けられた優しさに感謝することもなく、己の精神の救済の術としてそれを使った。 


 ――まるちぃは好きだ。

 でもその《好き》は、例えばテレビで活躍するアイドルが好きだったり、信之のように二次元のキャラを愛するのと一緒で、ある種の偶像に近い感覚だと思っていた。 

 実際、僕もその状態でいることに心地よさを感じていたし、それ以上のことを求めるつもりもなかった。


 それは図らずも得た最良な距離感。


 僕は《にくきゅーフレンズ》に通う限り、それがずっと続くと思っていた。

 なんらかの不確定要素があったとしてもそれは修正可能で、その距離感に大きなズレは起きないだろうと。

 だから多分、まるちぃが黄瀬さんとしてとなりの部屋に引っ越してきたという事象は、不確定要素を超えた別のものだったのだと思う。


 言うなれば、最良な距離感を脅かす意味での危険要素。


 そうだ。

 僕はどこかでそれを認識していて、いつか自分のまるちぃへの気持ちに変化が生じるのではと恐れていたんだ。


 偶像のまるちぃが好きなはずだったのに、その偶像という強固なフィルターの向こうにいる彼女にまで、手を伸ばそうとしてしまうのではないかと。

 そこにいるまるちぃは僕の全く知らない彼女で、おいそれと触れてはいけないのに、もしかしたらという思いもあって――。

 そんな邪念に近い感情が今、僕を苦しめる。

 

 でも、大丈夫。

 柑奈の言った通り何も変わらないと思う。

 まるちぃはまるちぃのままで、僕が《にくきゅーフレンズ》に行けば、彼女はきっといつもの笑顔で受け入れてくれるだろうから。

 

 だったらそれでいいんじゃないのか。

 大バカだった身の程知らずの夢見る童貞を返上して、身の丈にあった一ご主人様に戻り、まるちぃのことだけを考えていればいいんじゃないのか。

 まるちぃからの癒しだけを享受できればいいんじゃないのか。


 そうだ、元々そうだったのだからそれでいいじゃないか。

 まるちぃがまるちぃのままでいてくれたらそれでいいじゃないか。


 だから次の土曜日。

 一週間前とは何ら変わらず、表情に花を咲かせている彼女を見て心の底から安心した。


 別の不安要素もあった。

 まるちぃをまるちぃとして見れないかもしれないという、不安感が。

 でもそれは全くの杞憂だった。

 《にくきゅーフレンズ》の入口で彼女の「お帰りなさいなのラ、ご主人様。入国をお待ちしておりましたのラ」を聞いたとき、まるちぃの中に見えた黄瀬さんは瞬く間に霧散したのだった。

 

 だから――。

 

 この日の《にくきゅーフレンズ》のひと時はやっぱり最高だったんだ。

 


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