第17話 シビッカとまるちぃ


《ラブ・ドライブ!》というアニメがあった。

 車を少女として擬人化し、ドリブンガールと呼ばれるその少女達が歌って踊って成長していくアニメだ。

 

 まどかはそのアニメを知っていたけど見たことはなかった。

 単純に車に興味がなかったからだ。

 なのに見てしまったのは、あるキャラクターの特集が組まれていたからだった。

 

 そのキャラクターの名前はシビッカ。

 ショートカットで片目を隠した、外見的に影を感じさせる少女。

 実際の設定でも彼女は劣悪な家庭環境から心にダメージを負っていて、少女達の明るさがウリでもある《ラブ・ドライブ!》には相応しくないなと思った。

 でも彼女はドリブンガールとしてステージに上がると、別人のように変わった。

 弾ける笑顔を出し惜しみすることなく、ファンへと振り撒いていたのだ。

 

 二面性を有する少女、それがシビッカだった。

 今時、二面性を持ったキャラクターなんてめずらしくもない。

 元々、興味もないアニメだったこともあり、まどかはそこでテレビを消そうとした――のだが。



「いつか本当の私が好きになれるように、シビッカはこれからも皆さんに愛を届けます。では聞いてください。《DEBURIな逆境えぶりでぃ》」

 

 

 彼女のその、最初のセリフがそうはさせなかった。

 

 ……――本当の私が明るくなれるように――……。 

 

 これはいったいどういう意味なのだろう。

 まどかは胸打つ鼓動を覚えながら、彼女の特集を食い入るように見た。

 見終わったあと、まどかは知らないうちに頬を涙で濡らしていた。

 シビッカは決して、単なる二面性という設定に寄り添った、ジキルとハイドのようなキャラクターではなかったのだ。

 

 本来の自分に絶望している彼女は、このままでは生きている意味がないと思った。

 でもたった一度きりの人生を、仄暗い井戸の底のような場所で終わらせたくはない。 

 だからシビッカは、もう一人の《シビッカ》を生み出した。

 

 ゼロから誕生したその《シビッカ》には、シビッカを陽の当たらない場所に縛り付けていた心の傷はない。

 真っ新でどんな自分(いろ)でも塗ることのできる《シビッカ》。

 彼女はその《シビッカ》を、ありったけの明るさで染め上げた。


 ひたすら前向きで、まばゆいほどの明るさで。

 いつかその明るさが本来の自分を照らせると信じながら。

 いつか差し出した手をつかんでくれることを信じながら。 

 そう、シビッカは自分を救うためにもう一人の自分を生み出したのだ。

 

 決して、

 置いていったりはしない。

 せせら笑ったりはしない。

 足蹴にしたりはしない。

 罵ったりはしない。

 だって自分なのだから。

 自分を嫌いなままでいていいはずがないのだから。

 

 涙が止まらなかった。

 でも悲しいわけでも苦しいわけでもない。

 いつの日かの慟哭とはまるで違う、何かどす黒いモノが洗い流されていくような、そんな晴れやかな気持ち。

 

 まどかの中で何かが弾けた。



 

 研修用のメイド服はちょっと地味だ。

 でも、《にくきゅーフレンズ》のウリである猫耳と肉球グローブさえあれば、それだけでまどかはにゃんメイドになれる。

 

 更衣室兼休憩室にいるまどかの前には、先輩にゃんメイド。

 今日からご主人様をもてなすこともあり、先輩を前にしての最後の練習中だった。


「お帰りなさいませ、ご主人様っ。入国をお待ちしておりましたっ……あ」

 

 語尾に《のラ》を付け忘れたことに気付き、まどかは指導中の先輩にゃんメイドを恐る恐る見る。


「こらーって言いたいところだけど、私も最後の練習でやらかした経験者なので許します」


「す、すいません、なんか緊張しちゃって」


「緊張するのはいいけれど、ほどよくね。引き攣った顔じゃ、帰ってきたご主人様もびっくりしちゃうから。はい、リラックスぅ、リラックスぅ、はぁふぅ、はぁふぅ」


 と、深呼吸を繰り返す先輩にゃんメイドを真似るまどか。

 でも先輩のその深呼吸の仕方がなんだかおかしくて、まどかは「ふふ」って笑ってしまった。

 すると凝り固まっていた緊張感が適度にほぐれて、先輩にゃんメイドが自分のためにわざとやっていたんだと気づいた。


「いいね、今の自然な笑顔。じゃあ、和らいだところで通しでどうぞ」


 まどかは「はい」と答えて再チャレンジ。


「お帰りなさいませ、ご主人様っ。入国をお待ちしておりましたのラ」


 肉球グローブを顔に寄せて、その顔を三十度傾けてにっこり。

 ご主人様役の先輩にゃんメイドが頷く。

 まどかは続ける。


「でもでも、あなた様が本当に」


「この《にくきゅーフレンズ》のご主人様か分からないので」


「いっせーのせで、にっきゅ、にっきゅをするのラ」


「私達にゃんメイドとタイミングが合えば」


「あなた様はにくきゅーフレンズのご主人様なのラ」


「いくですのラ」


「……いっせーのせ――にっきゅ、にっきゅっ」


「にっきゅ、にっきゅぅっ!」

 



 ――まどかが生み出したのはメイド。

 もう一人の自分として何故メイドを選んだのかと問われれば、可愛いから。

 それとちょっぴり興味があったから。

 そしてメイドになってみて分かったのは、この選択が間違っていなかったということ。

 とても楽しくて胸が高鳴って、そして色々な発見がある。

 

 まるちぃとなった私はもう大丈夫。

 まどかはそう確信できた。

 だからあとは、光を充填したまるちぃが奈落に佇む黄瀬まどかを照らし手を差し伸べるだけだ。

 それがいつになるかは分からないけど、絶対、いつか必ず――。

 

 突と、LINEが着信を伝える。

 夢から覚めたような感覚のまどかは、ぼうっとした頭でスマートフォンを見る。


【今から行く。着替えておけよ】

 

 予想通りあいつからだった。

 まるちぃが黄瀬まどかを救う光ならば、あいつはそうはさせまいと足首を掴む闇。 

 それは、オトウサンを求めた日に始まった自業自得の産物。

 黄瀬まどかをその場に拘束させる枷。

 

 この闇さえなければ――。

 

 まどかは陰鬱な気持ちを抱きながら、それでもクローゼットへと向かった。

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