第15話 黄瀬さんの好きなもの


 裏通りを抜けてアキバ田代通りへと出る。

 僕はそこで右に折れるとひたすら走り、ラーメン屋のあるT字路を再び右に曲がったところで止まった。

 そして駆けてきた道を、そっと顔だけを出して覗く。

 

 裏通りを出たところからこっちを見ている二人組がいたけれど、どうやら僕には気づいていないようだ。

 首を傾げる一人のナンパオタクが裏通りを戻っていくと、もう一人の男もそれに続いていった。

 どうやら彼らの探索モードは終了したらしい。


「ふう」


 とため息を吐く僕に、


「あの、手……」


 と、呟くまるちぃ。

 そこで僕は彼女の手を未だ握りしめていることに気づいた。


「わー、ごめんなさいっ、すいませんっ」


 弾かれるように手を離す僕。

 まるちぃの手は小さいながらも白魚のように綺麗で、僕はこの手を握っていたのかと今更ながら自分のプランの大胆さに驚いた。

 でもああでもしないと、おそらくあの場からの迅速な退避ができなかったはずで、僕はそれを免罪符に手を握ったことを正当化した。

 

 ただ、まるちぃがどう思っているかは別だ。

 そのまるちぃは手を握っていたことには言及せずに、僕を見つめて「あ」と一言呟いた。

 

 彼女の表情で僕は確信する。

 今このとき、まるちぃは僕が《にくきゅーフレンズ》のご主人様であること、更に言えば《ひだまりハイム》のお隣さんであるところまで気づいたと。


『あ』のそのあとの言葉はなんと続くのだろうかと、僕は固唾を飲んで待つ。


「となりの部屋に住んでいる方ですよね?」


 そっちだけかよっ。


 本気でズッコケそうになる。

 僕が《にくきゅーフレンズ》の名を出したのに、それはあまりにも不自然な対応。まるで僕をご主人様だと認めたくないような、そんな――。


「は、はい、そうですけど」


「ありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げるまるちぃ。


「えっと、それは……」


「あの人達から助けてくれました。にゃん王様、あ、店長もいないですし、そうなんですよね?」


 良かった。どうやら、僕が助けたという認識は持ってくれているらしい。

 しかし、ご主人様と認識してくれないという落胆はそのままである。


「はい。あの、やっぱりナンパされてたんですか?」


 でも口から出たのはそんなこと。

 ますます強くなった不自然さの中で、躊躇ったのだ。

 僕は《にくきゅーフレンズ》のご主人様で、まるちぃとは毎週会っているという話を切り出すことに対して。


「はい。多分あれはオタク狙いのナンパです。《ラブ・ドライブ!》について、聞いてもないのに喋りだしましたから。それで喫茶店でもっと話をしないかって迫られて。別に私、自分のことをそこまでオタクだとは思っていないんですけど」


 オタク狙いのナンパ。

 過去にそんなのが流行ったとの話は聞いたことがあるけれど、まだ継続していたらしい。

 ネットの掲示板で、腐女子しか愛せないナンパ男の話が一時期話題になったことを僕は思い出す。


 それはさておき。


「アニメグッズ店=オタクの巣窟っていう偏見でしょうね。ところであの、黄瀬さんって《ラブ・ドライブ!》が好きなんですか?」


「はい。今日は夏限定グッズを買ったんですけど、それをあの人達に見られたみたいです」


「実は僕も好きなんですよ。ちなみに僕が推しているドリブンガールはアールゼットです」


「あ、いいですよね、アールゼット。お姉さんで包容力がありますから。私はシビッカが好き……」


 です――とは続かずに、まるちぃは柔和な顔を引っ込めて黙する。

 と思ったら、一瞬確かに揺動した両眼を脇へとそらすと、その場で横を向いた。


「帰ります。あの、ありがとうございました」


「え? あ、はい」


 まるちぃは、軽く頭を下げると秋葉原駅方面へと歩いていく。

 やけにぶつ切り感のある会話の中断の仕方に呆然としながら、僕はその小さな背中を見送る。

 帰るということは当然、《ひだまりハイム》に向かうのだろう。


「あ、待って下さい。丁度、僕も帰宅するところだったから一緒にどうですか?」


 ――なんて選択肢をクリックすることを考えなくもなかったけれど。

 どうにもまるちぃという女の子が分からなくなっていて、僕はもう一つの選択肢を無難に選んだのだった。


「シビッカか……。あの子って二面性のある天真爛漫なキャラだったよな」


 深く考えてはない。ただ、なんとなく似ているなと思う僕だった。

 それから僕は、まるちぃの帰宅から少し時間を置いたあと《ひだまりハイム》へと戻った。


 三〇五号室を横目にはしたけれど、それだけだ。

 週に一度、《にくきゅーフレンズ》でまるちぃと会おうとも、秋葉原でナンパ野郎から黄瀬さんを助けようとも、突き詰めれば彼女はただの隣人に過ぎない。

 だからそれだけだ。


 黄瀬さんは《ラブ・ドライブ!》が好き――。


 僕はその事実にちょっぴり嬉しさを抱きながら、三〇六号室へと入った。

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