第13話 最高の時間


 僕は芳林公園を抜けると、左方の神田白山線沿いの歩道へと出る。

 あと百メートルも進めば、そこには《にくきゅーフレンズ~妻恋坂店~》がカラフルな肉球の外装と共に現れるだろう。

 ぐずついた天候が気に入らないけれど、梅雨真っ只中で雨が降っていないだけマシと考えるべきかもしれない。

 

 いつもの高揚感。

 の中に混じる、今まではなかった類の緊張感。

 それはなぜだろうと考える間もなく僕の脳裏に過る、黄瀬さんの姿。


 あまりにもドラマティック過ぎる《推しメイドがとなりの部屋に引っ越してくる》という現実は、ふと思い出すたびに夢か幻ではないのかと思えるほどだ。

 しかし現実は現実なわけで、だから僕はその現実を前に心を翻弄され、いらぬプレッシャーを生み出してしまうのだ。


 そんな状態のまま、僕はいつのまにか《にくきゅーフレンズ》の手前まで来ていた。

 すると丁度、店の中から客であるご主人様が出てくる。

 二人組の中年男性のようだ。


 その至福に満ちた顔を見るに、《にくきゅーフレンズ》での時間を思う存分堪能したのだろう。

 今から帰るとなると、十時三十分の開店時からいたのかもしれない。

 その時間でもまるちぃはご奉仕していると思うけど、《にくきゅー萌えにゃんセット》をおいしくいただくにはやはり昼の訪店が望ましい。


 そう、お腹を空かせた状態での《ドリンクおいしくなぁれ》・《ケチャップお絵かき》・《サラダまぜまぜ》の三大癒し魔法こそが僕が求めるもの。そしてそれらの魔法を掛けてくれる魔法使いは当然まるちぃしかいない。


 ――まるちぃ。


 さきほどの心の乱れが落ち着き、僕の中から黄瀬さんが消えていく。


「行ってらっしゃいませなのラ、ご主人様。次の入国までまたなのラ。にっきゅ、にっきゅっ」


「「にっきゅ、にっきゅうぅ!」」


 店の中から中年二人組に声を掛ける、にゃんメイド。

 一人は聞き覚えのある声。


 いや、これは……。


 僕は中年二人組と入れ替わるように《にくきゅーフレンズ》の前に立つ。

 去っていくご主人様に手を振っていたまるちぃが僕に気付いた。

 ランクは《ミケ》より下の《ノラ》だけど、正制服を着用する彼女はもう研修中だったときのぎこちなさはない。


 でもそれでも。

 初めて出会ったときに見せてくれた、僕を一発で落とした最高の笑顔はそのままで――。


「お帰りなさいなのラ、ご主人様。入国をお待ちしておりましたのラ」


 気にすることはない。

 何も乱されることなんてない。

 今は、この時だけは、僕はまるちぃに浸りたいんだ。


 


 大きく膨れ上がった背中のリュックサック。

 もともとぺちゃんこだったのだけど、今は今日の戦果が背中を刺激して僕の散財ぶりを主張していた。


「よし、帰るか」


 帰宅の決意表明をいちいち口に出す僕は、アキバ田代通りを下っていく。

 その間、脳裏に浮かぶのは、今日の《にくきゅーフレンズ》での一日だ。


 まず、最初のご主人様判定の《にっきゅ、にっきゅ》でテンションを上げる。

 次に、案内された一人席のにくきゅーチェアに座った瞬間、同行してくれたまるちぃへ《にくきゅー萌えにゃんセット》をすかさず注文。


 そして、


『ご主人様は本当にこのセットが好きなのラ。いつもまるちぃに頼んでくれるから今日、にゃん王様にサービスしてくれるように伝えておくのラ』


 と、まるちぃとの親密度アップの証である、にゃん王様(店長)からのサービス、ちっこいバニラアイスを会得。

 今日のタイミングでそのサービスがあるとは思っていなかったので僕は普通に歓喜。


「マジですかっ。やった、やりましたっ。三回目のサービスゲットっ」


「声が大きいのラ。ご主人様。これはほかのご主人様には内緒なのラ」


「す、すいません。つい嬉しさ爆発しちゃって。……あれ、今日の猫耳ちょっと違いますね。色もピンクだし、なんか毛もふさふさしてます」


「あ、気づいたのラ? 先日、耳の毛が生え変わって新生猫耳になったのラ」


「そういえば今、王国はマミマミの季節。生え変わりの時期でしたね」


「そうなのラ。良かったら触ってみるのラ? 気持ちいいのラ」


「……え? い、いいんですかっ? その耳触っても」


「いいのラ。ご主人様に触ってほしいのラ」


「では、触らせていただきますっ」


「優しく優しく撫でるのラ」


「了解しましたっ」


 などと、生え変わった耳の毛(新しい猫耳カチューシャ)を触って再び歓喜して、そのあとも少し会話。

 注文した料理が来るまでにも何度かまるちぃをつかまえて、お話。

たまに手持無沙汰になったまるちぃのほうからも声を掛けてくれて、トーク。

 

 多分、どれもこれも短くて三十秒から長くて三分程度。

 にゃんメイドがウェイトレスである以上、まるちぃの時間を占有できるなんて最初から期待していない。

 でも、王国の仔細な設定、且つまるちぃのプロフィールを丸暗記している僕にとって、その短い時間の繰り返しでも充実した会話をすることができた。


 そして料理が運ばれてくれば、三大癒し魔法の連続発動の時間。

 まず、並べられた《にくきゅー萌えにゃんセット》の一つ、ストロベリージュースに向けてまるちぃが「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ、萌え萌えにゃんころりんっ、なのラ」と第一の魔法を掛けてくれて――、


 次に、どでかい肉球の形をしたオムライスに「お絵かきお絵かき、ケチャップにゃん描き、な~にができるかなぁ、できるかなぁ、なのラ」とケチャップでネコの顔を描きながら第二の魔法を掛けてくれて――、


 最後にミニサラダを手にすると「サラダをにゃんまぜ、ま~ぜまぜ~、ま~ぜまぜ~、ご主人様のをま~ぜまぜ~、なのラ」と、サラダとシーザードレッシングを絡めるようにまぜながら第三の魔法を掛けてくれて――、


 そうして今日一日の秋葉原散策のエネルギーが、早速七十パーセントほど充填される。

 その後も当然まるちぃとの接触はあって、僕は彼女と話をした。

 もちろん須藤樹ではなく、《にくきゅーフレンズ》という王国の一ご主人様として。


 僕はまるちぃとの会話で残り三十パーセントのエネルギーを溜めたのち、最後に彼女とインスタントカメラで写真を撮る。

 それが終わると、後ろ髪を引かれつつも出国へ。


 出国の見送りはもちろんまるちぃ。

 インスタントカメラで写真を撮ったときに頼めるので、僕は毎回彼女一人での見送りをお願いしているのだ。

 何度もそうしているので、もう頼まなくても分かってくれるかなと思うものの、やっぱり不安になって頼んでいる自分がいたのだった。


「行ってらっしゃいませなのラ、ご主人様。次の入国までまたなのラ。にっきゅ、に

っきゅっ」


「にっきゅ、にっきゅうぅ!」


 うん。本当に、心の底から、最高の時間だ。

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