第12話 一月二十二日の雪空の下で
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《にくきゅーフレンズ》。
それは秋葉原で四店舗、渋谷で一店舗展開しているメイド喫茶。
僕が通っている《にくきゅーフレンズ~~妻恋坂店~》は半年ほど前にできた新しい店で、第一号店は神田明神通りにある《にくきゅーフレンズ~神田明神通り店~》だ。
その《にくきゅーフレンズ~神田明神通り店~》ができたのが二年前なのだけど、とことん猫と肉球にこだわるという独自性が当たったらしく、その後一年半で四店舗増やしたとか。
ネット界隈では、エンタメ系の注目株って噂になっているらしい。
ちなみにエンタメ系というのは、おいしくなるおまじないを掛けたり、ライブステージがあったり、写真撮影があったりと、多くの人がイメージするメイドカフェの形態だ。
そのエンタメ系なのだけど、《アキバ絶対テリトリー》や《@ほえほえカフェ》、そして《めいどあ~りん》などが有名だろう。
テレビなんかで見かける王道のメイド喫茶体験をしたいのならば、この三つのメイドカフェのどれかに行けばいいと思う。
クラシカル系やガールズバー系もあるのはさておき、実際僕も初めてのメイド喫茶は《アキバ絶対テリトリー》だった。
とある口コミサイトで秋葉原ナンバーワン評価だったのもあり。
とても有意義な時間だったのを、今でも鮮明に思い出すことができる。
フォトジェニックな内装が印象的で、メイドさんもみんな可愛くて、出てくる料理もおいしくて、ああなるほど、人気があるのも分かるなと頷いたものだ。
でも許容範囲を超えていた騒がしさがどうしても気になってしまい、それっきり行くことはなかった。
もしかしてエンタメ系は全部こんなにも騒がしいのかなと、クラシカル系も検討したのだけど、それはそれで単なる喫茶店のような気がして躊躇して――。
だからやっぱり、エンタメ系しかないと業界二番手の《@ほえほえカフェ》へ向かっているそ最中、僕は路上で一人の猫耳メイドに出会った。
時期は冬。
その日は雪がぱらついていたのを覚えている。
両手に装着した大きな肉球グローブが目を引くものの、猫耳のカチューシャはメイド界隈ではそれほど珍しくもない。
黄色いメイド服に関しても至って普通の可愛らしいもの。
装飾が少なくて若干地味だけど、もしかしたら研修生用のメイド服なのかもしれない。
スカートの裾とサイハイソックスの間の絶対領域が眩しいけれど、メイド共通のチャームポイントであり、彼女だけの特権ではない。
つまり、《秋葉原にいそうな客引きメイドが秋葉原にいる》というそれだけであり、僕は通り過ぎるつもりだった。
客引きに力を入れるメイド喫茶はどうにも信用できないし、そもそも僕には《@ほえほえカフェ》という目的があったから。
――だから僕は。
あのタイミングでの彼女の生理現象を神様からの宝物だと、今でも思っている。
「くちゅんっ」
彼女はクシャミをした。
僕は反射的に振り向く。
一メートルほどの距離を挟んで僕と彼女の視線が重なった。
立ち止まるつもりはなかった。
でも、彼女の円らな瞳が僕の足を地面へと固着させた。
肉球グローブで口元を押さえている彼女は、その手をゆっくりと目元のほうへと寄せていく。
まるで照れた顔を隠すかのように。
でもその潤んだ瞳は相変わらず僕を見つめていて。
「寒いですもんね」
僕はぎこちない笑みを浮かべ、そんなことを口にしていた。
居た堪れないなら会釈でもして去ればいいものを、僕は違う選択肢を選んでいた。
要は話をしたかったんだと思う。彼女と。
「あ、え、は、はい。でもがんばります。あ、がんばるのラ」
まさか話し掛けられるとは思っていなかったのか、しどろもどろになる彼女は、途中で自分のメイドとしてのキャラクターを思い出したようだった。
「《にくきゅーフレンズ》ですか。近くにあるんですか?」
聞いたことのあるメイド喫茶だったけど場所はよく分からなかった。だから聞いてみた。
別に行きたいからというわけではなくて、なんとなく。
「は、はい。南に行くと神田明神通り店。東に行くとアキバ田代通り店。そして北に行くと先月できた妻恋坂店があるのラ。はいどうぞ、なのラ」
と渡してくる、手に持っていたチラシの一枚。
よく見るとその肉球グローブから伸びる指は、小学生でも通用するようなチョコンとしたものだった。
「へー、秋葉原に三店舗あるんだ」
「はいのラ」
「……」
「……」
「き、君……えっと」
「まるちぃ、のラ」
可愛い名前だなと素直に思った。
まんまるな顔、円らな両目、小さな手、童顔の彼女にはぴったりだな、とも。
まるちぃが両手で、頭にうっすらと積もった雪を落とす。
さきより少し雪が強くなっていた。
僕は傘を差していたので当然、払い落す雪もない。
どうしようかと逡巡したけど止めておいた。
多分それは違うと思ったから。
「まるちぃさんが働いているのは、どこのお店なんですか?」
「北の妻恋坂店なのラ」
「妻恋坂店……」
「はい、芳林公園のすぐ傍なのラ。にっきゅ、にっきゅっ」
肉球グローブの肉球をこちらに見せて、露出した指を上下させるまるちぃ。
その仕草もキュンとするものがあったのだけど、僕はまるちぃの見せた笑顔にやられていた。
別にメイドの笑顔なんてスマイル〇円のファーストフードより見慣れたものだけど、まるちぃの見せてくれたそれは違った。
うまく言えないけれど、とにかく無邪気で健気で数パーセントの庇護欲を掻き立てられるような、そんな――。
だから僕の中で《@ほえほえカフェ》に行くという目的が霧散したのも、必然だったような気がする。
更に強くなっていた雪がまるちぃの頭に再び積もり始める。
僕は今度こそ行動に出た。
今なら多分、違わないと思ったから。
僕はまるちぃの上に傘をやると、聞いた。
「僕をその嬬恋坂店に連れてってくれませんか」
「え? それって……」
まるちぃが傘を見上げたのち、その視線を僕に落とす。
「《にくきゅーフレンズ》のご主人様になるってことです。じゃあ、行きましょうか」
「は……はいのラっ、くちゅんっ」
まるちぃはもう一度くしゃみをした。
そのあと彼女はありがとうと言ってくれたけど、多分、《にくきゅーフレンズ》に行ってくれるのと、傘をさしてくれた両方に対してなのだろうと思った。
語尾の《のラ》を忘れているけど、まあいっかと、僕はまるちぃと一緒に雪の中を歩き始めた。
「あ、私、まだ《にくきゅーフレンズ》で働き始めたばかりの新人なのラ」
「そうなんですか。あ、だから客引きやってたんですね」
「はい。でもご主人様を呼び込むのって難しいのラ。チラシ渡すだけで精いっぱいなのラ」
「それでいいんじゃないですか。勧誘されても行かない人は行かないですから」
「はあ、そんなものですかね、のラ」
「そんなものですよ。あ、一つ聞いてもいいですか?」
「はいのラ」
「名前、なんでまるちぃって言うんですか?」
「マルチーズからとったのラ。マルチーズ可愛くて、だからなのラ」
「でもマルチーズってイヌですよね? まるちぃさんの恰好、思いっきりネコですけど」
「……え?」
「はい?」
「……え? マルチーズってネコじゃないんですかっ?」
「……え? マジですか、それ。それと語尾の《のラ》が抜けてます」
これが僕とまるちぃとの出会い。
そして今日も今日とて愛しきにゃんメイドに会いに行く。
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