第11話 三〇六号室への来訪者
外はすっかり暗くなっていた。
夏至が来週からということもあり日は長いほうだけど、それでも夜の八時近くになると、さすがにお天道様の威光は無効のようだ。
「んじゃな、いっちゃん」
「ああ。帰りに黄瀬さんの部屋にスキル使うなよ。横目にするだけにしとけ。もう家にいるかもしれないんだからな」
本当にスキルを使う気だったのか、玄関を出たところで体をビクンとさせる伸之は慌ててスマートフォンを耳にあてる。
「くっ、それが世界の選択か……ならば仕方あるまい」
いや、単なる僕の忠告だから。
そこで靴を履いていた柑奈が立ち上がる。
「それじゃーね、イッキー。張り合いないから《スマシス》もっと練習しとくよーに」
「どれだけ練習しても柑奈には勝てる気しないけど、まあ、時間があるときにね」
僕は二人に手を振ると、ドアノブを手前に引く。
すると、横顔を見せて動こうとしない柑奈が視界の隅に入った。
「柑奈?」
「明日、またメイド喫茶行くんだっけ?」
僕に顔を向けずにただそれだけを、無感情と思えるような口調で吐き出す柑奈。
なんとなく怪訝に感じつつも「そうだけど……なんで?」と答える僕に、幼馴染のコスプレイヤーはようやくこちらに顔を向けた。
その顔に乗るのは、予想外に満面の笑みだった。
「好きならさ、その推しメイドのオッパイ揉んじゃえば。じゃね」
でも口にしたそれはあまりにも唐突で意味不明だった。
「はっ? か、柑奈、お前何言って――」
さきに行った伸之を小走りで追っていく柑奈。
「……あいつ、なんなんだよ」
僕は独り言ちて首を傾げると、部屋へと戻った。
それからゲーム一式を片付けベッドを整えてほっと一息。
そのタイミングで、LINEの通知音が静かな部屋に響いた。
信之からだった。
僕はメッセージを読んでみる。
【入り口にて赤髪DQNと遭遇。すれ違うように中に入ったけど、住人? あるいはまるちぃのカレピ? とりあえず気付かんように経絡秘孔突いといたんで、三分後に爆死するはずwww】
DQN?
このアパートに住む前に僕は、そのDQNが部屋を借りていないかを最重要事項として父親に聞いたのだけど、答えは借りてはいないだった。
モンスター入居者断固阻止を掲げている父親がそう言い切るなら、そうなのだろう。
もちろん、僕と父親のDQNに対するイメージは全く一緒ってわけじゃないけれど、そこまで解離しているとは思えない。
ちなみに僕が素行確認をしたときも、DQN――それも赤髪のヤンキーなんて一度も目撃したことはなかった。
そもそもの話、色々と付加価値が付いて五万八千円の小綺麗な物件に、DQNは住もうと思うだろうか。
僕がDQNだったら、とにかく安いところを選ぶと思う。
となると、この《ひだまりハイム》に住んでいる誰かの知り合いと考えたほうがいいかもしれない。
伸之の邪推じゃないけれど、その知り合いがまるちぃの可能性もあるのだろうか。
僕は頭を振って、あり得ないと呟く。
でも即座に、なぜあり得ない? と別のボクが疑問を呈した。
そのボクは僕に言う。
お前の知っているまるちぃは、それが全てではない。
お前の理想がそのまま、まるちぃを構成しているわけではない。
そもそもまるちぃは黄瀬さんの作り物であり、お前はその黄瀬さんの何を知っているというのだ――と。
そうだ、黄瀬さんのことは何も知らない。
多分アニメが好きで、最近までペットボトルをプラゴミだと思っていて、引っ越しの挨拶を律儀にする真面目な一面があるということ以外、何も知らないのだ。
要は、雰囲気的に似つかわしくても、黄瀬さんがDQNと接点がないと断じることなどできない。
それでもやっぱり黄瀬さんにDQNの知り合い、ましてや柑奈の言っていた彼氏なんているはずがないと不都合な可能性を然したる根拠もなく排除したとき、誰かが三階の廊下を歩く音が聞こえた。
伸之の言っていたDQNだろうか。
僕は玄関へと近づく。
でもドアを開けて確かめるわけにもいかないので、数時間前に黄瀬さんの動向を確かめたときと同じように聞き耳をたてた。
徐々に近づいてくる足音。
なんとなく粗暴な感じに聞こえるのは、DQNだとの認識が先にあるからかもしれない。
なんてことを思っていると、足音はとなりの三〇五号室の前まで来て、そこで止まった。
ピンポーンとインターホンを鳴らす音。
まじかよと落胆する僕をあざ笑うかのように、それは三度続く。
それでも出てこない黄瀬さんに対して、来訪者が今度はドアを叩き始める。
やっぱり出てこない黄瀬さん。
どうやらまだ帰宅していならしい。
来訪者は、黄瀬さんにメイン玄関ドアを開けてもらったわけではないようだ。
つまり、鍵、あるいは暗証番号を使って入ってきたという推測が成り立つ。
しかしそうなると、来訪者は黄瀬さんと近しい人間ということにならないだろうか。
実はDQNとは別の来訪者で、例えば独り暮らしを心配してやってきた母親かなんかであってくれと願う僕。刹那、ドンッ! と殊更強くドアを叩く音を耳にして思わず身を震わせた。
「ちっ、いねーのかよ」
吐き捨てるような男の声。
そして遠ざかっていく足音。
僕は極力音を立てないようにそっとドアを開けると、十五センチほどの隙間から廊下を覗く。
洗練とは真逆の歩みで階段へと闊歩する、赤い髪の男の背中が見えた。
「まじかよ」
僕は今度こそ、声を出さずにはいられなかった。
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