◆3-5
気が滅入るような梅雨も終わり、やっと山崎の歓迎会が行われた。
居酒屋で一人ひとりと言葉を交わし親交を深めた所で、二次会のムードが漂う。
山崎が、後はそれぞれ好きなメンバーで、と言いかけた所で久保田が静かに近づいてきた。
「あの、主任……」
「ん、どうした」
「二次会なんですが……」
久保田は眼鏡を直しながら、何やら言いにくそうにしている。
「主任、二次会は俺と久保田と三人で行きせんか」
そこに割って入ったのは岡部だった。猫のような釣り目が、真っすぐこちらを見ていた。
二軒目は久保田の希望で、山崎の行きつけのバーに決まった。
普段飲み歩かない二人と、二次会の場所についてあれこれ話していた所、「バーに行ってみたいです」と久保田が目を輝かせたのだ。
居酒屋を出ると、まだ夏の夜らしい湿気はあるものの、穏やかな夜風を感じた。
「私、居酒屋のがやがやしている感じ、あんまり得意じゃなくて……」
「わかる。俺も、騒がしいのあんまり好きじゃないっす……」
そう言って静かに後ろをついてくる二人。なんだか猫を二匹連れてきたような気分だった。
いつもはカウンター席だが、今日は奥のボックス席に座る。ここでなら落ち着いて話もできるだろう。
四人掛けのテーブル。山崎の向かい側に岡部と久保田が座った。
三人のお酒が揃い、軽くグラスを合わせた。
久保田は凍らせたスイカをシャーベット状にしたフローズンカクテル。岡部は山崎と同じ物を、とオーダーし、男二人はモスコミュールだ。
「わあ……可愛い」
久保田は飾り切りにされた果物を、興味深そうに見つめている。岡部も、初めてバーで頼んだカクテルを、もったいなさそうに口を付けていた。
銅製のマグから、炭酸の泡がはじける音が聞こえる。モスコミュールはショウガのピリッとした辛みが効いている。
あまり口数が多くない二人は、少しだけカクテルを減らしたところで本題を切り出した。久保田と岡部は視線を合わせると、グラスを置いて山崎に向き合う。岡部は緊張しているのか、表情が硬い。
「あの、俺たち今付き合って、ます」
「そうだったのか。おめでとう」
ソファに並んで座っている時の距離感や、お互いを気遣うような視線でなんなくそんな気はしていた。
「山崎主任には、色々とお世話になっていたので、一番に知らせたくて……」
久保田がはにかみながらそう言うと、隣で岡部もほっとしたような笑みを浮かべる。
「同じグループ内ですが、周りに迷惑はかけませんので、どうかよろしくお願いいたします」
「おい、そんなかしこまるなよ。あんた達の事は信頼してるから俺はとやかく言わないさ」
「あの、山崎主任は……、お付き合いされている方はいらっしゃるんですか?」
久保田はかしこまる岡部の肩に優しく触れると、恐る恐る聞いた。
普段は控えめな彼女が鋭い質問を投げかけてくるのは、お酒の力だろうか。
「いや、今はいない」
「え、そんな風には見えませんでした……」と申し訳なさそうに久保田。その純粋な反応が地味に傷つく。
「主任、できる人だから理想が高そうですしね……」と小さくつぶやく岡部。お前はこの前必死に謝罪してきた事を忘れたのか。山崎はそれぞれにツッコミを入れたくなるのを飲みこんだ。
「じゃあ、想っている人はいらっしゃらないんですか?」
久保田は怯まずに、頬を蒸気させて身を乗り出す。女子モード全開な久保田を、隣で岡部は苦笑しつつ見ている。
「あ、あんまりつっこまない方が……。と言いつつ俺も知りたいです」
「岡部、お前最近調子がいいからって、ずいぶんと言うようになったな」
「あ、すんませんっす……!」山崎が笑いながらも鋭い眼差しで射貫くと、岡部は照れたような表情で頭をかいた。
***
「はあ……」
玄関を開けるなりむわっとした暑さが広がり、リビングのエアコンをつける。
涼やかな風を感じながら、ソファに腰を下ろした。
二次会の後半は、久保田による怒涛の質問攻めにあった。山崎がひとつ質問を返すごとにさらなる質問とアドバイスが返される。
男二人は圧倒されて、ただ久保田の話を黙って聞いているしかなかった。
『山崎主任、その女性はもっとぐいぐいリードした方が良いかと思います』
『そんなんじゃない、って引かれるかもしれないだろ』
久保田はぶんぶん音が出そうなくらい首を振る。
『いえ、そのくらいで嫌いになるなら、二人で一緒にご飯を食べたりしないと思います。私なら……』
『そ、そうか』
『山崎さんの素直な気持ちを聞いたら、嬉しいと思います。仮に今まで意識していなかったとしても、それを機にドキドキすることだってあると思うんです』
『なるほど』
『す、少なくとも私は……
頬を染めて伏し目がちに隣の岡部を見る久保田。岡部も頬を染めて「え、えと……」とうろたえる。
わかったから余所でやってくれ! 幸せ者たち!
久保田のカクテルよりも甘い雰囲気に包まれて、二次会はお開きになった。
(自分の気持ちねえ……)
先輩に振られて随分臆病になったものだ。
ずるい大人になって、リスクをとる事を恐れていた。
いつまでも過去に引きずられるな。そろそろ前を向いても良いんじゃないか?
もう一人の自分が、心の底から問いかける。
書類をしまっている引き出しから、まっしろな封筒を取り出す。
中を開けば、先輩の名前と共に、これから夫となる男性の名前が記されていた。
夏の終わりに式を挙げるなんて、からっとした真夏の日差しのような彼女らしい。
しばらく見る事もためらわれた封筒を、あっさりと開封できた自分に少しだけ驚く。
「出席」を丸で囲んで、一言、メッセージを添えた。
遠く離れた北の地へ、届くようにと願いながら。
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