◆3-4
「ほんと、すんませんでした……」
岡部はぼそぼそと謝罪の言葉を述べた。徐々に酔いから醒めつつあるようだ。シャワーを貸している間に山崎が用意したTシャツは、小柄な岡部にはやや大きく、細い腕が袖を余している。
山崎が寝室の準備を整えてくると、岡部はリビングのソファの端に居心地悪そうに座っていた。
「飲むのは良いけど量には気を付けろよ。道端でぶっ倒れたらどうすんだ」
岡部は水の入ったペットボトルを握りしめる。残り少なくなった容器がへこんで間抜けな音を立てた。
「主任……」
言いかけて、また俯く。ペットボトルのへこむ音。
「俺の寝室使っていいから、今日は寝ろ。話があるなら明日以降聞く」
それだけ言って、ソファに枕替わりのクッションを置いた。だが、岡部は駄々をこねる子どものように頑なだ。
「俺は何も聞いてないし、さっきまでの出来事も全部忘れた。いいな。わかったら早く寝ろ」
俯く岡部の肩に手を乗せると、キッチンへ向かう。その後ろで岡部が「俺、やっぱりソファで寝るんで……」と遠慮がちに言ったのを「一杯やってから寝るからいい」と突っぱねた。
岡部がいなくなったリビングで、一人発泡酒のフタを開ける。
久保田といる時に感じていた視線。その正体は岡部だったのだろう。
彼が酔って口走った言葉をつなぎ合わせると、久保田への感情にはなんとなく察しが付く。彼女とは岡部の件で最近話す機会が多かったから、自分の想いが暴走して勘違いを起こしたのだろう。
山崎には、久保田の想い人は自分ではないという確信があったが。
(まあ、わざわざ弁解するのも野暮か……)
***
結局、久保田が撮った「証拠」が明るみに出ることは無かった。
山崎が報告書を上に提出すると同時に、荒川は自主退職した。経歴を汚す前に逃げたようにも思えた。台風のように過ぎ去った一連の騒動に、山崎達はただ唖然としたのだった。問題がある者ほど居座ると思っていたからだ。
「なんだか肩透かしを食らったような気持ちです」
久保田は不満げに口をとがらせる。慣れてきたのか、徐々にこちらに見せる表情も増えてきた。山崎は茶化すようにデスクに積みあがった書類を指さす。
「気持ちはわからなくもないが、そんな事言ってる場合じゃないぞ」
「はい」
久保田は短く返事を返すと、すぐに切り替えて目の前の画面に向かった。
山崎達は、荒川がロクに引き継ぎもせず放棄していった業務の数々の処理に追われていた。
「ただいま戻りました」
扉が開く音に振り返れば、岡部がホワイトボードから「外出」と書かれたマグネットをはがしている。荒川が担当していたクライアントの対応が終わったのだろう。最初は急な担当変更ということで山崎も同行していたが、最近は岡部ともう一人の社員に任せている。
「どうだった」
「新しい担当の方のフォローが手厚くて、感謝しているとのお言葉をいただきました。岡部が込み入った要望にも対応しているからっすよ」
嬉しそうに話す社員の隣で、岡部はそばかす混じりの頬を赤くして俯いている。
荒川が担当していた箇所を引き継ぐと、自ら言い出したのは岡部だった。
『俺に挽回させてください。絶対あいつを超えたいんです』
泥酔の一件があってから吹っ切れた岡部は、素直に荒川に対する気持ちを吐露した。
荒川の暴言の数々に、精神的に滅入りそうになった事。こういった仕打ちを辞めて欲しければ、社内に山崎の不祥事をでっちあげろと言われた事。
荒川が掴みかかった日に言った事は、まさに山崎を惑わすためのハッタリだったのだ。
『確かに山崎さんの事を俺は良く思ってませんでした。でも、あの時は勘違いしてただけで……。迷惑かけてすみません』
岡部はあれから、時々久保田と熱心に仕事について話しているようだった。
弱点を克服したのか、クライアントからの評判も右肩上がりで、心なしか表情に自信がついたように感じる。
いつも何かに怯えるような様子だったオフィス内に、清々しい風が巡り始めていた。
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