◆3-2


 「久保田……なんで」

 「チッ……」

 

 ちょうどドアに半分隠れるようにして、久保田が青ざめてこちらを見ていた。

 荒川は床に落ちたバッグを掴むと、山崎に背を向けて入り口へ向かっていく。


 「こんなクソみてーな所、さっさと辞めてやるよ」

 近くにあったゴミ箱を蹴り飛ばす。びくりと肩を震わせた久保田には目も触れず、荒川はオフィスから出て行った。


 「山崎主任っ……! 大丈夫ですか?!」

 咄嗟に久保田が走り寄ってきて山崎の乱れた首元に視線を向ける。「大丈夫」そう言って皺が寄ったシャツとネクタイを軽く直す。

 「見苦しいもん見せたな。怖い思いしただろ」

 「いえ……。これで証拠が集まりました」


 久保田はポケットからスマートフォンを取り出すと、山崎に見せた。先ほどの二人のやり取りの動画を撮っていたようだ。


 「丁度帰ろうとした時に、直帰のはずの荒川さんが戻って来たのを見たんです。嫌な予感がしてこっそり後を付けたら……」

 女性一人では、かなり勇気が必要だっただろう。

 「こんな時間に女性一人だと危ない。今度から何かあったら俺か他の社員を頼ってくれ」

 「すみません……」

 久保田が俯くと、同時に眼鏡が少しだけずり落ちた。自分や岡部の事を案じての行動に、感謝しなければ。

 「でも、勇気を出してくれたんだよな。ありがとう」

 「いえ」

 久保田は控えめに笑った。


 「あ……」

 その時、久保田が足元に落ちていたコピー用紙を拾った。ちょうど荒川がバッグを置いていたデスクは、岡部の席だった。


 用紙には、びっしりと営業の際に必要な情報が打ち込んであった。岡部が作った資料に違いなかった。彼の机には参考にしたであろうファイル等が積みあがっている。

 「岡部は誰よりも努力家だよ」

 「はい……」


 「彼は、きっとチームの誰よりも情報を頭に叩き込んでる。その反面、伝えるべき情報を選ぶのに苦戦しているのかもな」

 山崎は昔の自分に、岡部を重ね合わせた。最近彼の働きぶりを観察するようになって、昔の自分を見ているようだと感じていた。


***


 山崎が営業の仕事を初めて間もない頃、最初にぶち当たった壁。それは同僚とのギャップだった。


 仕事覚えが早く、ほどよく息抜きをして成績をぐんぐん上げる同僚。それに対し自分は生真面目ですぐ根を詰めてしまう。仕事を覚えるのも、一つずつがやっとで、覚えるまで同僚よりも時間を要していた。

 おまけに口下手で「話が長い。何を言いたいのかわからない」とクライアントにも呆れられる始末。同僚は元々の人柄も相まって、すぐに誰とでも打ち解けてしまう。


 早々に仕事を切り上げて退社した同僚と、毎日残業続きの自分。努力しているはずが、成績はますます離れていく。


 ある日、いつものように残業していると、後ろから声をかけられた。

 「隣、いいかい?」

 つい、と目の前に湯気の立つコーヒーのカップが置かれる。先輩だった。

 「ずっと根詰めてるとぶっ倒れるよ」

 「すみません、いただきます……」


 先輩が口をつけたのに続いてコーヒーをすする。何を話せばよいのか考えあぐねていると、先に先輩が口を開いた。


 「最近の君、ずっと浮かない顔してるだろ。仕事、辛い?」

 「いえ……。自分の努力不足ですから」

 すると、バシン! と背中を叩かれた。思わず隣を見ると、先輩は暖かい笑みをたたえて言った。

 「同期に成績を追い越されて焦ってるだろ。わかるさ、見てれば」

 図星を突かれて、思わず顔が熱くなった。

 「自分にない物ばっかり求めるのは、地獄だよ。山崎」

 「はい」


 先輩は長いまつげを伏せてコーヒーを飲んだ。眼鏡が曇って「わはは、見て見て」と山崎に見せてくる。

 「私も昔そうだったからさ。でも成長は人それぞれ。山崎は黙々と丁寧に確実に仕事する職人タイプ。あいつはマルチで色々器用にこなせるけど、その分意外と穴も多くてね」

 「そう、なんですか」

 自分から見れば完璧のように思える同僚も、先輩から見れば未熟なのだろうか。


 「山崎は山崎の強みがある。もっと自信持ちなよ。いらないお世話だと思うけどさ」

 「自信ですか……」

 先輩は思い出したように付け加えた。

 「そういえばこの前クライアントの○○様、新人の山崎って男性社員が色々丁寧に対応してくれた~って褒めてたぞ! 若いのに良く色々知ってるなってさ」


 それだけ言うと先輩は「邪魔して悪い! 無理しないで良い所で切り上げろよ~」と手を振って帰った。

 雲の上の存在だと思っていた先輩と、初めて面と向かって話した日の事。

 

 

 

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