◆2-3
(「そういう気分じゃない」なんて言い張っておきながら俺は……)
自宅のソファに横になりながら手に取ったのは、一枚の名刺だった。
律儀に新品のハンカチと一緒に渡されたメッセージカード。綺麗な手書きの字で綴られた謝罪の言葉を思い出す。
吉井玲。最近行きつけの居酒屋で出会った女性だ。ちょっとしたトラブルがあってから再会を果たし、また二人で酒を酌み交わした。
何に対しても真っすぐな彼女は、接していると気持ちがよく、酒にも詳しいので話が弾んだ。
再会したあの夜、珍しく酔っていた自分は、「今度は昼に会おう」なんて強引に約束を取り付けてしまったのだ。
(本当、どうかしてたわ……)
まだ出会って間もないが、玲は魅力的な人間だ。だけどそこに下心はない。時々六花の常連として会って、一緒に美味い酒を飲みながら楽しく話すくらいが丁度よい。
どうこうなろうなんて、あまりに彼女は眩しすぎる。
ただ、頑張ってもがいて壁を越えて行こうとする彼女の背中を、そっと支えてやりたいだけだ。
(これじゃ貢ぎたがりの気持ち悪いおっさんじゃねえか……)
素面になって玲の気持ちが変わっているかもしれない。念のためメッセージアプリで『○日、○時で大丈夫そうか?』と送る。
返事はすぐに返って来た。
『大丈夫です! よろしくお願いします!』
!マークが多い所が、彼女らしい。どこに行きたいか聞くと『癒される場所……ですかね』というメッセージと共に、猫が遠くを見ているスタンプが送られてきた。
思わず軽く吹きだしてしまう。
少しだけ、ほっとした。
こうして玲と話している間だけは、仕事の嫌な事を忘れることができた。
***
約束の日は、天気予報通り快晴だった。
いつもパンツ姿の彼女は、珍しく丈の長いスカートを履いていた。足元は歩きやすそうなスニーカーで、全体的に活発そうな彼女に良く似合っている。
お互い、酒が入っていない状態で会うのは始めてだ。なんなら女性と二人で会う事自体久しぶりだった。
約束の場所に来るまで、早く家を出てドライブがてら遠回りをしてきた。
緊張しているのは玲も同じようだ。がちがちに肩を強張らせている姿を見て、自分がリードしなければという気持ちになる。車の中で雑談をするうちに自然に笑顔が戻った横顔を盗み見て、なんだか心の奥が暖かくなった。
昼食をとり、散策をしながら水族館へ辿り着く。水槽を睨みながら、会社のメンバーに例える玲の横顔を眺めていると、ある事を思い出した。
「そういやあの後輩とはどうなったんだ」
「あの、おかげさまで今では良好な仲を築けているかな? という感じです」
そう言って照れくさそうにはにかむ玲。
(確か後輩って男だったよな……?)
できる先輩と、その背中を追う後輩。どんな人間か知らないが、かつての自分と先輩にその姿を重ねてしまう。
全く同じ事が起きるとは限らないが、玲の表情からわかる限り、関係は徐々に良くなりつつあるようだ。
もし、玲が他の人と結ばれたなら、ただの飲み仲間として応援しよう。自分はまた一人飲みに戻るだけだ。それまでは、楽しい時間を過ごしたい。
家に送り届けた後、ミラー越しに手を振る玲が、なんとも言えず可愛らしくて、しばらくその姿が焼き付いて離れなかった。
また会いたい。純粋にそう思った。
見守りたいとか、他の男ができたら、なんて建前を並べて、結局自分は彼女の真っすぐな魅力に惹かれつつあるのだ。
その一方で、前に進むのを阻む、忘れられない記憶が心の奥底にあった。
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