◆2-2


 やや高めの男性の声。山崎の事をよく知る同僚だった。

 『どうよ、少しは慣れたか。シティボーイ?』

 「話がそれだけなら切る」

 

 茶化すような声色に冷たく返すと、向こう側でわざとらしく焦るような声が聞こえる。遠く離れているのに、つい昨日まで一緒にいたかのような会話に、張り詰めた心が少しずつ解されていく。

 北海道にいる同僚は、きっと今日もうまいことその場を要領よく切り抜けて、一服しているのだろう。奴が好んで吸っていた煙草の、甘い煙の匂いを思い出す。

 不器用な自分と正反対の同僚とは、なぜか馬が合う。足りない物を持っているからだろうか。


 『せっかく都会を満喫してる所悪いが、夏にこっち来るんだろ? わざわざ本社から出張とはご苦労だな』

 「ああ、部長が話してたな。ついでに顔出せればいいが」

 ちょうど先日部長から話があり、若手研修の一環で是非支店に由縁のあるメンバーが欲しいとのことで、北海道出張が決まっていた。

 『その日は俺も会場に張り付いてなきゃいけないから、どっかで会うかもな』


 話がひと段落したところで、同僚が話題を変えた。

 『なあ、そっちでも飲んでる? いい加減そろそろ見つけろよ』

 本題はそっちか、とやっと気が付いた。仕事も上々で、ふらふら遊んでいたかと思えばすっぱり結婚を決めてしまった人間に言われると、余計苛立つ。

 なんだかんだ面倒見の良い同僚の性格を考えれば、これは単なるお節介ではないという事はわかるが。


 「そういう気分じゃない。まだ」

 『それはバタバタしてるからってことか? それとも』

 「そろそろ戻る」

 

 相手の言葉を遮り、通話終了のボタンに手を伸ばした所で、同僚がすかさず早口でまくしたてた。


 『、心配してたぞ。いつまでもへそ曲げてねえで一旦会って……』

 その先は、聞こえなかった。いや、自分がそうしたのだ。

 同僚との間でと呼ぶのは一人だけ……。

 休憩は終了だ。スマホをしまい、仕事へ瞬時に頭を切り替える。


 それを邪魔するように、澄んだ女性の声が頭の中にこだました。


 『山崎、栄転じゃないか。寂しくなるけど頑張れよっ!』

 『私が認めた弟子だ。太鼓判を押して本社に送ってやる! 返品しようもんなら私が殴り込みに行くから!』

 「先輩」という呼び名は、配属されて間もない頃、名前を覚えるのが苦手だった山崎が、間違えて「先輩」と呼んでしまったことがきっかけだった。

 はっきりとしていて、よく通る声。どこにいても、彼女だとわかる。

 

 『山崎、私は……』

 そして、最後に記憶に強く残っているのは、彼女らしくない、深刻な表情。

 やめろ。思い出したくない。

 頭を切り替えろ。岡部の事を解決するにはどうすればいいか考えろ。

 「その人」の事を考えまいと思えば思うほど、記憶があふれ出す。


 山崎に営業のイロハを教えてくれた師匠ともいえる存在。自分が昇進して本社へ転勤になった時も、真っ先に喜んでくれた


 まだひよっこだった頃から、そんな彼女の背中をずっと追っていた。気が付けば、それは憧れから恋情に変わっていた。

 一方的な想いであることは、わかっていた。自分の中に秘めていれば迷惑にはならない、そう思っていたのに……。


 (いい加減にしろ俺。こんな事、考えている場合じゃないだろ)


 ふうっと強く息を吐いて、襟元を直す。もう彼女の声は消えていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る