12-5


 「吉井、はいこれ」

 「ん?」


 社食のテーブル席の向かい側、久しぶりに会った石本は、バッグの中から小箱を玲に渡した。

 シックな黒い箱は中指位のサイズで、ゴールドで縁取られたサテンの赤いリボンが巻かれている。


 「アラサー、おめでと~」

 「え?! いいの?」

 「開けてみてよ」


 立て続けにプレゼントをもらい、玲は胸が躍る気分で小箱を開く。中には光沢のあるシルバーのパッケージの口紅が入っていた。中央にはレースのような模様とブランドのマークが彫られている。


 「良いやつ一本は持っておいて損はないよ」

 「綺麗……。ありがとう……!」


 しばらくパッケージに見とれていると、石本は「今塗ってあげる」と玲に向かって手のひらを出した。蓋を開けて繰り出すと、中から薄桃色のスティックが露わになる。

 ふと、初夏に山崎と行った庭園の蓮の花を思い出した。あの頃はまだ蕾だった睡蓮はもうとっくに花開いているだろう。

 

 「はい、できた」

 石本から手鏡を受け取って確認する。普段あまり口紅を塗らない玲は、化粧ひとつでここまで違うのか、と驚いた。口元に色があるだけで、顔全体がぱっと華やかになる。

 その様子を見て石本は、片方の頬を上げ玲に問う。


 「なんか最近の吉井、綺麗になったよね」

 「え……?!」

 「もしかして、ついに心を決めた感じ?」


 山崎の想いについては、いずれ玲から報告するつもりであったが、すっかり同期の変化は見透かされているのだった。

 状況を説明すると、石本は「まあ、頑張れ」と肩を叩いた。


 「んで、イケメン? 写真ないの?」

 「ないよ……」


 じりじりと迫る石本を、玲は苦笑いで押し返した。


***


 千田との連携により仕事を早々に終わらせ、玲は会社のエントランスで石本を待っていた。

 珍しく石本からディナーの誘いがあったのは、おそらく玲の恋バナ目当てだろう。

 今日はすんなり帰れる気がしない。


 「あ、吉井さん」

 

 玲の後ろから呼びかけたのは、石本ではなく仕事終わりの千田であった。男性にしては少し高めだが、石本にしては低すぎる。声だけで認識できるようになったのは、それだけ千田の存在が自分の中で定着したということだろう。

 こちらに気が付いてぱたぱたと駆け寄る様はまるで従順な柴犬の如く。見えないはずのしっぽが見えるようだった。

 

 「お疲れ様」

 「お疲れ様です!」


 癖のある前髪を軽く整えて会釈する。いつも真っすぐ見つめてくる無垢な瞳が、心なしか輝いているのは気のせいか。


 「あの、吉井さんはこれから帰りですか?」

 「えっと、石本とご飯に行こうと思ってたけど……」


 すると千田は一瞬だけ残念そうに目をふせる。その後すぐにいつもの愛想の良い笑みに戻った。


 「そうなんですね、楽しんでください!」

 「何かあった?」

 千田の様子に気づいたすかさず玲が聞く。

 「あ、それが……、紬の就職が決まったって連絡が来て」

 「え、そうなの? おめでとう!」


 紬とは、千田のおてんばな妹である。以前千田の住むアパートにお邪魔した際、玲も一度顔を合わせていた。

 一時的に千田の家に居候していたが、就職活動が終われば通っている短大のある地元に帰るという。

 千田としてはその前に、就職祝いをしたかったのだろう。


 「その話……聞かせてもらったわ!」

 「あ、石本」


 二人が振り向いた先には、架空の眼鏡を光らせ仁王立ちする石本の姿があった。

 玲が半ば呆れた表情を浮かべるのに対し、千田は律儀に「あ、石本さんお疲れ様です」と挨拶している。


 「妹ちゃんの就職祝いがしたいってことでしょ? 行ってきなさい玲」

 「え、でも……」


 石本と紬は面識がない。気を利かせて三人で食事に行けということだろう。

 玲が戸惑いを見せると、すかさず千田が割って入った。


 「あの! せっかくですので、石本さんも一緒に来ていただけませんか? いつもお世話になっているので紹介したいんです……」


 石本の手を両手でとると、きらきらした瞳で訴えかける。

 玲よりも身長が低い石本は、手を握られたまま一瞬硬直すると、つい、と視線を下にそらした。


 「ま、まあ千田君がそこまで言うなら……」

 「ありがとうございます!!」


 (恐るべし千田……あの石本が一瞬照れるなんて……)


 玲はでこぼこな二人の様子を後ろから観察していた。

 予定変更で、今夜は楽しくなりそうだ。玲は石本の尋問から逃れることができて内心胸をなでおろしたのだった。

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