12-2


 

 涙が一粒、ぽたりとテーブルに点を作った。その点は次第に二つ、三つと増えていき、小さな水たまりをつくる。

 ずっと胸の奥で凝り固まっていたものが、千田の言葉で少しずつほぐされていくようだった。


 「よ、吉井さん?!」

 目の前で慌てる千田の顔がどんどん滲んでいく。

 気が付けば玲ははたはたと涙を流していた。


 「あ、ごめ……」

 「大丈夫ですか……?」


 千田は椅子から立ち上がると、玲の側に膝をついて見上げる。ハンカチが涙を吸って、じわじわと湿っていく。


 「ありがとう……。千田さん、ありがとね」

 「吉井さんも、ずっと大変でしたよね……」


 千田は「失礼します……」と小さくつぶやくと立ち上がって、しゃくり上げる玲の肩を優しくさすった。千田の優しさを感じて、さらに胸の奥からこみ上げるものがある。

 泣き続ける玲を前に、千田はどうしたら玲が泣き止むかしばし悩んだ後、口を開いた。


 「紬は負けず嫌いで、よく小さい頃泣いてばかりいたんですよ」

 「そうだったんだ……」


 玲が落ち着くまで、千田は紬との色々な思い出話をおろおろしつつも話した。すっかりいつもの調子に戻った千田を見て、玲は少し心がくすぐったくなった。

 しばらくして落ち着いた玲は、俯きながら苦笑いで千田に言った。


 「ごめんね、千田さん。恥ずかしい所を見せちゃった……」

 「お、落ち着きましたか……?」


 立ち上がって、「そろそろ戻らなきゃ」と後ろを振り返った時。


 「あ、あんた達……、まさか、できてたの?!」


 会議室の入り口のドアを開けてこちらを見ていたのは、よりによってゴシップ好きの沢渡だった。「吉井さんに急ぎの連絡があったから開けたら……」と言いながら、沢渡は目を見開いている。


 「社内恋愛は仕事に支障が出ない範囲でやりなさいよ」

 「沢渡さん?! 私はっ……!!」

 「ち、違います!!」


 意味ありげに笑う沢渡を、玲と千田は二人がかりで説得したのだった。

 その甲斐あってか、経緯を話した玲は沢渡にもすんなりと「今後も何かありましたら、お力を貸してください」と援助のお願いを申し出ることができたのだった。

 「あんまり詰め込みすぎないでよ?」と嫌味混じりに言う沢渡は、まんざらでもなさそうに笑みを浮かべていたのだった。


 (私は彩さん*みたいにはなれないけど、頼もしい後輩もいるし、私なりに頑張ろう……!)


 気持ちを新たに切り替えて、玲は仕事に向き合った。


 *彩さん:4杯目参照。


***


 「あら、玲ちゃんいらっしゃい」


 風邪も全快し、久しぶりに六花を訪れた玲を、雪子は手を振って迎え入れる。

 その近くには、カウンターで一人酒を飲む鍋島の姿もあった。


 「こんばんは~、あ! 先生!」

 「玲ちゃん~~!! んもう海外にでも行ってたの? 何年ぶりよ~!」

 「ギャー!! 痛い痛い!! ヒゲ凶器~!!」


 一瞬で距離を詰められた鍋島に頬ずりされて、がっちりとした太い腕を叩く。体格差もあるので、さながら嫌がる猫にじゃれつく大型犬といったところだ。

 なんとか鍋島を引きはがして席につく。


 「山崎さんは?」


 メニューを渡しながら雪子が微笑む。隣で雪子の真似をして微笑む鍋島の圧を感じながら、玲は苦笑いした。


 「誘ったんですけど、あいにく残業みたいで……」

 「あら~それは残念ねえ……」

 「んもう~楽しみにしてたのに、

 「先生は私をネタに酒飲もうとしてますよね?!」


 玲はとりあえず飲み物と何品かオーダーすると、鍋島に向かってじとっとした目線を送った。

 鍋島は「やだ子猫ちゃんが一生懸命威嚇してるう~」と言いながら、枝豆に手を付けた。


 「流石にもう付き合ったでしょ?」

 「え?! いやいや、全然告白すら……」


 玲がもじもじと頬を染めながらそう返すと、鍋島はビールジョッキを片手に固まった。


 「う、嘘でしょ……。山崎さんもかなり辛抱……、いや、それとも二人とも奥手?」


 そして玲から顔を背けたまま、何やら一人でぼそぼそ独り言をこぼし始めた。


 

 


 

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