11-5


 「本当に腹いっぱいになったか?」

 「はい。本当にありがとうございます」


 玲の腹はそれはもうはち切れんばかりになっていた。食後に指定された薬を飲んで、一息つく。咳と熱も大分治まってきていた。


 「さっきの雑炊、卵とショウガの他には何が入ってたんですか?」

 聞きそびれていた疑問を投げかける。山崎は病院の待ち時間で買ったらしい、ペットボトルのコーヒーを飲むと「ああ、すりおろしたレンコンかな」と口元に手を当てて言った。


 「風邪に良いらしい」

 「へえ~」

 「それより、ほら。早く横になれ」

 「え~、まだ食べ終わったばっかりですよ?」


 山崎は玲が朝被っていたタオルケットを持って待ち構えている。

 正直、もう少し山崎と話していたい気がしたが、それよりも早く治すことが優先だ。玲は素直に従った。


 「なんか山崎さん、お母さんみたい」

 「うるさい。体があったまったら寝ろ。そしたらすぐ治るから」


 大人しくベッドに横になると、山崎が首元までタオルケットをかけてくれる。ふわり、優しく体が包まれる。

 こうしていつも弟を看病してあげていたのだろうか。玲はふとその光景を想像して、胸がきゅ、と掴まれたようになった。


 目を瞑った所ですぐに眠れるわけでない。玲はぽつり、ぽつりと山崎に語りかけた。


 「山崎さん、私が寝るまで聞いてほしいんですが」

 「ん?」

 山崎はベッドの近くのソファに腰を下ろす。顔だけ玲に向けて返事をした。


 「私、仕事色々こなせてるつもりだったんですけど、全然だめで」

 山崎は何も言わず、聞いている。玲は続けた。

 「昨日なんか、後輩にかっこ悪いとこ見せたくないって、ムキになって一人で全部抱え込んで、風邪引くし。冷静になって、ほんと何やってんだって嫌になっちゃったんですよ」

 「まあ、玲さんらしいな」

 「ですよね……」玲は自嘲気味に笑った。


 「山崎さんは、そんな私にいつもビシッと言ってくれるから、本当にかっこいいです。他にもいろんな人に助けてもらってるのに、こんな自分が情けなくて……」

 風邪で弱っているからだろうか。バーで醜態をさらしたあの夜のように、弱音が止まらない。しまいには、涙が目尻に浮かんでくる。徐々に鼻声になりつつあるが、それでも玲は話し続けた。


 「今の私があるのは、あの日の山崎さんのおかげなんです。酔って愚痴を吐き散らした私に、山崎さんが叱ってくれなかったら。もっとダメダメなまんまでした」

 そこまで吐き出して、苦笑いで天井を仰ぎ見る。山崎に悟られまいと壁際を向くと目尻に溜まった涙が頬を伝った。

 

「すみません、せっかくのお休みなのに……」


 山崎に背を向けるように寝返りを打つと、両腕で顔を覆って涙をせき止めた。

 また、生産性の無い愚痴をだらだらと話してしまった。途端に後悔が押し寄せる。

 すると、背後から溜息が聞こえた。先ほどまでソファにいたはずの山崎が、いつの間にかベッドに肘をついてこちらを見ているではないか。いつものように、「やれやれ」といった笑みを浮かべて。


 「いつも気丈に振る舞ってるのに、らしくないな」

 そう言って、箱ティッシュを差し出す。玲は顔を見られないよう、少しだけ体を起こすと、うつむきがちにそれを受け取って鼻をかんだ。


 「俺もさ、仕事で嫌になること、たくさんあるよ」

 「山崎さんもですか……?」


 山崎がうなずく。新しいティッシュを目元にあてて、玲はそっと涙をぬぐう。


 「新しい職場で、さらに昇進したばっかでプレッシャーもある。嫌な奴だっている。部下のマネジメントだって、完璧にできる自信はまだない」

 「はあ……」

 山崎は、「ここだけの話だからな?」と若干おどけたように付け足した。玲はただ相槌を打つ。山崎がここまで仕事の弱音をこぼすのは珍しい。


 「でも、玲さんが一生懸命仕事に打ち込んでる様子を知る度に、ハッとさせられるんだよ。自分も負けてられるかって。こんなに仕事バカな人、俺の先輩以外に初めて見たわ」

 「仕事、バカ……」

 「そうだよ。休みの日まで仕事の事考えて、悩んで。本気で仕事に向き合ってないと、そうはならないだろ」


 山崎の低い落ち着いた声が、じわりと胸に響いていく。


 「まあそこが玲さんの良い所だけど、せっかく後輩に恵まれてるみたいなんだから、もっと信じて頼ってやれ」

 山崎はそう言うと、玲が半分ほど残していたスポーツドリンクを渡した。すこしぬるくなった甘酸っぱさが、乾いた喉を潤す。


 「普段仕事している時の玲さんを俺は知らない。でも、その告白してきた後輩だって、頑張る玲さんの後ろ姿見て好きだって思ったんじゃないのか?」


 千田のきらきらした瞳を思い出す。自分の事を尊敬していると言い放った歓迎会の夜。手を握って好きと言った、大雨の次の朝。

 こんなに真っすぐな感情を向けられたのは初めてだった。彼の気持ちに応えるためにできることと言えば、強がらずに自分の弱い部分を見せて、頼ることなのかもしれない。山崎の目を見ていると、すんなりと胸の中で答えが出た。


 「山崎さんは、やっぱりすごいです……」

 「一応今年で三十だぞ。伊達に歳食ってないわ」

 自虐混じりに答える山崎に、玲は上半身を起こして向き合う。気づけば涙は止まっていた。


 玲は決意を灯した瞳で、山崎の目を真っすぐ見据える。キュッと口角を上げると、まだ少し痛みの残る喉から、しっかりと聞こえるように声を絞り出した。


 「私、山崎さんに出会えて良かったです」

 

 山崎は面食らったように一瞬硬直すると、これまで見た事がない程柔らかい笑みで言った。


 「……やっぱり、敵わないわ。玲さんには」

 

 

 

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