◆1-5
「それで後輩がもう本当に……」
「そうなんだ」
隣で管を巻く女性の目は、すっかりとろんとしている。
ジントニックを美味しそうに飲んでいた所までは良かったが、徐々に口数が多くなり、今に至る。
例の女性と六花で再会した後、偶然再び相席になった。ツンとすましているイメージがあったが話してみると案外気さくで、お互いの好きな酒の話も弾んだ。思わず二軒目に誘ってみたものの、どうやら酔うと愚痴が止まらないタイプらしい。
延々と同じ後輩の愚痴を話し続けている。かくいう山崎自身も、珍しくいつもより酔いが回っており、脳の働きが鈍るのを感じていた。
愚痴をまとめると、彼女の後輩は春から同じ部署になったばかりの若い男性。いつもおどおどしていて声が小さく、電話もろくに取れない。そんな彼にやきもきしている。
単にコミュニケーション能力が低いのか、彼女の高圧的な態度に怯えているのか。理由はわからないが、まだ異動して日が浅いなら仕事に慣れないのは仕方ないだろう。そう突っ込みたい気持ちを隠して、ひたすら相槌を打つのもいい加減疲れてきた。
その時、ふと脳裏に久保田の告発が浮かんだ。荒川のパワハラの数々。聞くに堪えない暴言や度が過ぎた教育。メンバーの中でも大人しい岡部を狙った集中攻撃。
(出来ないやつの粗を探すなら誰だってできる。得意な所を見つけてフォローしながら伸ばしてやるのが上の役目だろ……)
話を聞き流しながら、胸の奥で再び憤怒に火がつく。徐々にそれは燃え広がり、酒の力も相まって彼女の愚痴が火に油を注ぐ結果となった。
「あんたが仕事をどれだけこなせるのはなんとなくわかった。でも、あんたと同じレベルを求められる後輩も大変だろ」
店を出た後、頭に血が上って棘のある言葉が口をついて出る。
まずい、と思った時にはもう止められなかった。彼女は目の前ですっかり酔いが醒めた表情でこちらを見ている。他人の分際で言い過ぎた、と頭の中が瞬時に冷え切っていくのを感じた。
(酔っ払い相手に何ムキになってんだ……)
***
もし、次会ったら謝ろうと思っていた。酔っている相手に怒りに任せて大人気なく説教をしてしまった事。自分も荒川と大差ないのではないかと、情けなくもなった。
連絡先も知らない、もう会う事さえないかもしれない。共通点は行きつけの店だけ。
山崎は一縷の望みをかけて六花へ向かった。
「あら、山崎さん!」
何度も通ううちにすっかり名前を覚えた店主、雪子が珍しく驚いた声を上げた。
「さっきまで玲ちゃん……常連の女の子がいたのよ~」
「え!?」
雪子はレジまで手招きすると、一枚の名刺を渡した。それはあの夜、酔った本人から山崎も受け取っていた彼女の名刺。
「色々とお世話になったみたいで、ありがとうね」
「いえいえ、自分も連れ回した上にペース見てあげられなくて……」
しまいにはきつい言葉をかけてしまった、なんて言えるはずもなく。
「玲ちゃん、まだ家についてないと思うわ。電話してみる?」
そう言って雪子は、店に置いている子機を手渡した。常連だから、個人の連絡先を登録していたらしい。
子機を受け取って逡巡する山崎の脳裏に、あの夜酩酊した彼女が零した言葉の断片が浮かぶ。
『わかってるんです、一番駄目なのは私だって……』
『後輩が入るってわかった時は嬉しかったのに、いざ教育するってなるとどう接していいかわからないんです……』
後輩の愚痴ばかりに気を取られていたが、今鮮明に思い出した。彼女は荒川なんかと違う。まだ若くて、壁に当たってもがいていただけなのだ。
自分もまさに、今様々な困難にぶち当たっている。境遇は違うにしろ、同じく社会で奮闘する仲間として、また一緒に美味い酒を飲めたら。
意を決して、発信ボタンを押す。
何コールかして受話器の向こうから聞こえてきた誠実そうな女性の声は、やや戸惑い混じりだ。
もしあの夜の事で嫌われたなら、しっかり謝罪して姿を消そう。なるべく怖がらせないように、優しいトーンで名前を告げる。
「もしもし、山崎と申しますが。吉井怜さんの電話で合ってますか?」
受話器ごしに、驚く声と、ノイズと共に何やらあたふたする様子が伝わってきた。
「はい、吉井です。えっと、本当に山崎さん、なんでしょうか?」
狼狽の色を隠せない彼女の声色が、あの夜必死に名刺を配っていた姿と重なって思わず笑みが漏れた。
裏表がなく実直で、コロコロ表情が変わるから見ていて飽きない。
願わくば、彼女が成長する過程を見ていたい。
考える前に、気が付くと脳で制御できずに言葉が流れ出ていた。
「もし、まだ帰ってないなら、外で会えますか?」
――――――――――――――――――――
*ジントニックのカクテル言葉:「強い意志」「いつも希望を捨てないあなたへ」
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