9-3


 会議スペースの扉を閉め、椅子をすすめる。

 まるで春のあの日のようだ。山崎に千田の育成の事で一喝された日の後、同じように千田を会議スペースに呼んで二人で話をした。それから少しずつ距離を縮めてきたはずだったのに。


 「千田さん」

 「ひゃいっ!」


 真剣な表情で呼びかけたのが逆効果だったようで、かえって千田を怯えさせてしまった。彼の性格がわかってきた今となっては、飼い主に叱られた犬のように見えなくもないが。

 千田は目をぎゅっと固くつぶり、勢いよく頭を下げた。


 「朝の事は、忘れてください!」

 「無理」

 「はい!」


 玲の即答に大ダメージを受け、千田は涙目の笑顔のまま石化した。思わず即答してしまった玲は、千田がショックを受けた様子を見て思わず頭を抱えたくなる。

 こういう時、どう接したら千田は元に戻ってくれるだろう。必死に色んな考えを巡らせる。山崎のように余裕のある振る舞いができるわけでもなければ、石本のように器用に立ち回る術も持ちあわせていない。


 今の自分ができるのは、素直に直球で思いを伝える事だけだ。飾らず、回りくどいこともせずに。

 もしそれでだめだったら、次の手を考えるしかないだろう。


 「私は、千田さんの気持ちを知って嬉しかったよ」

 「はい……?」


 千田がうるんだ瞳で玲を見上げる。色素の薄い瞳が、玲を映して揺れる。

 一呼吸おいて、玲は続けた。

 

 「千田さんが私の事を尊敬してくれてるってわかって嬉しかったし、私も千田さんの事を後輩として信頼してるからね」

 「ありがとうございます……」

 「だから元の千田さんに戻ってよ。千田さんが色々やってくれてるから心強いし」


 千田が自分の事をどういう意味で好きかはさておき、朝に話された内容を前提に話を進める。千田が必死に弁解していた「先輩として尊敬している」という意味の好き、という事だ。

 だから、あえてその裏側には触れずに、千田が主張する気持ちを尊重する。


 千田の顔に、徐々に血色が戻る。元気が無い花に水をあげた後のように、瞳がきらきらと輝き始める。


 「本当ですか……?」


 眉根を寄せておそるおそる聞く千田に、玲は笑みを返した。

 この流れはあと一押しといったところか。


 「千田さんがこの部署に来てくれて本当に良かったって思ってる」


 さっきまでの様子が嘘だったように、千田はいきいきとした表情で玲を見つめている。

 

 「吉井さん、ご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした! これからも頑張ります!!」

 「あ、はい、よろしくね」

 「失礼します!!」


 椅子から勢いよく立ち上がり、玲に九十度の礼をすると、千田は颯爽と会議室から出て行った。


 (良かったのか……? とりあえず)


 玲は今にもスキップしそうな千田の後ろ姿を、苦笑いで見送った。

 

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