チェイサー ~吉井兄妹~


 海風香る、とある港町。


 十歳を迎えたばかりの少女、玲は居間で宿題をしながら、ある人物の帰りを待っていた。


 「まだかな~」

 

 テーブルに頬杖をついて、鉛筆をくるくる回す。台所からおいしそうな晩御飯の匂いが流れてきて、玲はくんくんと鼻をひくつかせた。


 「これ、玲! 宿題やっと(早く)やってしまいなさい!」

 「いまやってるもーん」

 

 集中力が途切れた玲に、台所から母がぴしゃりと言い放つ。こういう時の母は後ろにも目がついているんじゃないかと思う。玲は小さな口をとがらせて反論すると、中途半端になっていた宿題に向かった。

 一問解いては窓の外の様子を伺い、また一問解いてはわけもなく玄関へ行ってみたり。落ち着かない様子の玲だったが、母の額に青筋が浮かぶ前になんとか宿題を終わらせることができた。


 晩御飯が出来上がる頃、玄関からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきて、玲は一目散に音の主の元へ駆け寄った。


 「ただいま~!」

 「げんにい来た!!」

 

 玄関では黒い学生服に身を包んだ玲の兄、元基(げんき)がカラフルなハイカットスニーカーの靴紐をほどいている所だった。少し歳の離れた兄は、今年高校一年生になったばかりだ。入学して早数ヶ月にしてだらしなく制服を着崩し、よく母に雷を落とされているがめげない。

 自分よりはるかに大きな背中に飛びつく玲。しかし彼女の目的は兄自身ではないことを飛びつかれた本人はよく知っていた。


 「マンデー買ってきた?!」

 「買ってきたからのっかるな玲! くつ脱げねえべ!」

 「マンデー! マンデー!」


 玲は毎週発売される少年誌「マンデー」の虜になっていた。兄が居間に置いていたのを興味本位で読んだのがきっかけで、今や毎週同じ光景が繰り広げられている。


 「ゲン! 手洗いなさいよ!」

 「へ~い」

 「マンデーまだ?」


 靴を脱いだ元基の後ろをひな鳥のようについて歩く玲。元基は自室に玲を連れていくと、スポーツブランドのロゴが入ったエナメルバッグのチャックを開けた。

 細く整えられた眉をわざとらしく上げると、目の前で目を輝かせる玲に向かってにたりと笑みを浮かべた。


 「さて今週の表紙は……? ジャジャジャジャジャジャ……」


 元基が口でドラムロールをする間、玲は祈るように手を組んで、元基がゆっくりとバッグから本を取り出すのを見守る。

 その時。


 「ゲン、手洗ったの!? ご飯だよ!!」

 「るせ~今いいとこだったのに!」

 「そうだそうだ!」


 居間に姿を現さないことにしびれを切らした母によってやむなく中断されてしまう。

 唇を突き出して文句を言う元基に玲も負けじと野次を飛ばすが、母の有無を言わさぬ一睨みを食らい静かになる。

 母の圧力に負け元基が手を洗いに行くと、玄関から「帰ったど~!」という父の良く通る太い声が聞こえてきた。

 

 一家の元締め的存在の母、力持ちで恰幅の良い漁師の父、やんちゃ坊主がそのまま成長した兄、そして玲の四人家族のいつもの晩御飯はこうして始まるのだ。

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