6-2


 「良いんじゃない? 別に今すぐ気持ちに答え出さなくても。今の状態を楽しみなよ」

 「石本……」


 玲はうるんだ瞳を石本に向ける。淡いコーラルピンクで彩られた唇をきゅっと上げると、石本は優しい眼差しで言った。


 「吉井もさ、恋愛になった途端急に繊細な乙女になるよね」

 「え」

 「でもあんまもたもたしてると、また他の女に盗られるわよ?」


 穏やかな口調で何を言うかと思えば、玲の傷口にさらに塩を塗り込む石本であった。玲はあまりのショックにしばらく開いた口が塞がらず、面白がった石本にチョコレートを放り込まれていた。


***


 (とはいえ、今の関係で十分満足っていうか)

 (山崎さんが彼氏? 全然想像できない)


 仕事帰り、悩んだ末承諾してしまった山崎との飲みに向かうべく、玲は六花へ向かっていた。

 今週から本格的に梅雨入りとなり、降ったり止んだりの天気でアスファルトはしっとり濡れている。つい先週まですっきりとした晴れ模様で暑いくらいだったのに、最近は急に肌寒い日が続いている。

 店先に着く頃、山崎から「悪い少し遅れる。先に入ってて」というメッセージが入ったため、のれんをくぐり店内へ入った。


 「いらっしゃい~」

 「あ! 玲ちゃん~久しぶり~!」


 戸を開けると真っ先に目に入ったのは、厨房の雪子とカウンターの定位置に座る鍋島だ。鍋島とはなかなかタイミングが合わず、デート前からしばらく顔を見ていなかったため、玲もつられて笑顔になった。


 「今日は一人?」

 「あ、少し遅れて来るそうです」

 

 雪子と玲の会話についていけず、鍋島は二人を交互に見やる。


 「なになになに? 私がいない間についに彼氏ができたのっ?! 玲ちゃん!?」

 「先生、近いです……。彼氏ではないですけど」

 「え、何!? 二人で来るのに彼氏じゃない!? 玲ちゃん、あんたをそんな小悪魔に育てた覚えはないわよっ!」

 「鍋島さん落ち着いて~。玲ちゃんは今ゆっくり愛を育んでるのよね?」

 「愛っ……!? なのかな……」


 鍋島に詰め寄られ、助け舟を出した雪子の発言にも悩みの種を刺激され、玲は白目になりかける。雪子も最初は困り顔で二人の様子を見ていたが、すっかり諦めて調理に専念し始めた。


 玲がいよいよ自分の命もここまで……。と思った所で、引き戸が開いた。


 「あ、山崎さん」

 「え、これどういう状況?」


 タイミングよく姿を現したのは、スーツ姿の山崎だ。蒸し暑かったのかジャケットを脱いで腕にかけている。煩わしそうに首元のネクタイを緩めながら、組み合っている玲と鍋島の様子を見て戸惑いを露わにした。


 玲はその時、鍋島の拘束が解かれていくのを感じた。そして、見逃さなかった。鍋島の視線が真っすぐに山崎に注がれていることを。


 鍋島に解放されて脱力する玲を放り、鍋島はスタスタと入り口の山崎の方へ歩いていく。足さばきはモデルに劣らず、居酒屋が急にランウェイになったようだ。

 一瞬後ずさりかけた山崎の前で立ち止まると、鍋島は右手を胸に当て、


 「初めまして。鍋島徹夫と申します。以後お見知りおきを……」


 良家の執事のように、優美な礼をしてみせた。山崎を見つめる瞳は心なしか熱を帯びている。一方山崎は、完全に鍋島の独特な雰囲気にのまれつつも挨拶を返している。


 「あ、山崎義隆と申します。よろしくお願いします……」

 「素敵なお名前……」


 今にもバックで薔薇が咲き乱れそうな光景である。それを離れた場所で見ていた玲は思わず声を上げた。


 「ちょっと先生なにそのダンディな低音ボイス! 聞いたことないんだけど!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る