チェイサー 〜玲と先生の出会い〜
ある夜、涼やかな寒色のワンピースを纏った長髪の女性が、長身の背を丸めて1人繁華街を歩いていた。
数年前の玲である。普段着慣れない体のラインが出るワンピースに、履き慣れないヒールのパンプスを合わせ、靴づれの踵を引きずりながら歩く様はまるで落武者か亡霊の如く。現在よりだいぶ長い黒髪を背に垂らし、一時間かけて奮闘したウェーブヘアのセットは非対称的に崩れてしまっていた。
(もう飲もう。疲れた……)
最近見つけた美人店主のいる、お気に入りの居酒屋「六花」ののれんをくぐる。
引き戸を開けると鼻腔をくすぐる、様々な料理の匂い、お酒の入ったロックグラス同士がぶつかる音。緊張で縮こまっていた胃が、おいしい食べ物とお酒を欲して低いうなり声を鳴らした。
「あら、玲ちゃん」
「どうも……」
オープンキッチンのカウンターの向こう側では店主の雪子が、朗らかな笑みで迎えてくれる。雪解けのように、張り詰めた心が解されていくようだ。
カウンター席に座り、メニュー表を眺めていると、雪子の視線を感じて思わず顔を上げた。
「なんだかいつもとイメージが違うね。大人っぽい」
「私の精一杯の大人コーデです……。不発に終わりましたけど」
苦笑気味に答える玲の様子に、雪子が心配そうに眉根を寄せる。そして何か声をかけようと口を開きかけた瞬間、テーブル席からオーダーを呼ぶ声があがり、その場を後ろ髪引かれる思いで離れた。
玲がやけ気味に酒をあおっていると、ス、と横から何かが差し出される。なにかと見れば、お皿に枝豆がこんもりと盛られている。
「大丈夫。まだ手つけてないから。料理オーダーする前に雪子ちゃんとられちゃったでしょ?」
声の主を辿れば、カウンターの少し離れた席の一人客の男性だった。30代後半から40代といったところか。印象的なのは、少し癖があるロングヘアのサイドを刈り上げて、ハーフアップにしている髪型だ。濃い髭がワイルドなイメージをより色濃くしているが、見た目に反して話し方は雪子のように上品だ。
「え……?」
「もしかして嫌いだった? ごめんね、なんかお腹空かせてそうだったから」
「い、いえ! 好きです……。いいんですか?」
焦って弁解すれば、その男性はなにも言わず、微笑みだけで返事をする。
すっかり空腹だった玲は、みるみるうちに枝豆の皿を空けていく。
「あら玲ちゃん、鍋島さんからおすそ分け?」
オーダーを取り終えて戻って来た雪子が、二人の様子を見つけて柔らかく微笑んだ。
「あ……、鍋島さんっていうんですね。すみません、名前も聞かずに」
「いいのよ。雪子ちゃん、この子にガッツリしたもの食べさせてあげて~」
「玲ちゃん揚げ物がいい? それともご飯ものにする?」
大人二人のペースに飲み込まれて、思わずたじたじとする。
その後、様々な料理の皿を平らげながら、玲はぽつりぽつりと今日の出来事を二人に話し始めた。
「しばらく彼氏ができなくて、街コンに言ってきたんですけど、悲しい事に誰ともいい感じにならず、大負けして帰って来たんですよ……」
「玲ちゃんに合う男がいなかったんじゃない?」
グラスを拭きながら慰める雪子に、鍋島が相槌を打つ。
「そうよ、たった一回きりの出会いの場で運命の人が見つかったらかなりの幸運でしょ」
「でも女子力高めの女の子は次々男性に囲まれていっちゃって……。やっぱり男の人ってああいう癒し系がいいのかなって思いました」
玲が遠い目で弱音を吐くと、鍋島が「そうかしら」と否定の声を上げた。
「あなたにはあなたの魅力があるでしょ? そうやって大衆が受けそうな方向へ無理に舵を切っても魅力が薄まるだけ!」
「え?」
「そのワンピースだって、素敵だけど、無理して合わせてる感じがする。本当に着たかったの?」
「いえ……。これは今日のために」
すると鍋島は水を得た魚のように、玲に詰め寄って熱弁し始めた。
「でしょ! いいのよ無理に着飾らなくて! あなたはお顔がキリっとしてるから、バチバチに決めたファッションにすると少し近寄りがたくなっちゃうのよ」
確かに。今日のコーディネートを改めて自分で見ると、大胆な花柄のワンピースに高いヒールのパンプスと、いかにもなセレブ系か下手すれば夜の街の職業のようなイメージだ。伸ばした前髪を流して、しっかりと巻いたロングヘアがさらに輪をかけている。
「本当はずっとショートヘアだったんですけど、男性受けを狙って伸ばしてみたんですよね……」
「確かにロングヘアも決まってて綺麗よ。でもショートヘアの方がそのお顔がはっきり映えて絶対似合うわ」
「本当ですか……?」
鍋島は熱い眼差しで何度も激しくうなずいている。
(そうか、私無理してなんでもごてごて盛りすぎてたんだな……)
「ごめんね玲ちゃん。鍋島さんはスタイリストの仕事をしてるからつい出ちゃうのよ」
「え!? そうなんですか!!」
「デートの時は頼ってちょうだい」
苦笑する雪子の隣でばちんと激しくウインクをする鍋島に、思わず玲は、
「先生と呼ばせてください!!」
と彼の手を取ってそう言い放ったのだった。
おわり
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