2-5


 「もう消えてしまいたい……。来世は日本酒の酵母に生まれ変わりたい……」

 「反省してる割には贅沢な望みじゃない」

 

 頭を抱えて今にも消え入りそうな声の玲に、鍋島は新たに注文した焼き鳥の皿をすすめる。


 「でも玲ちゃん、男と二人で泥酔は危ないから気を付けなさいね」

 「本当にいい歳してその通りです。ちゃんと家に帰ってたし」

 

 鞄からおもむろにハンカチを取り出す。紺地のシンプルなハンカチからは、いつも使っている柔軟剤の匂いしかしない。


 「その人が貸してくれたハンカチ?」

 「はい。でも記憶が無いので無理やりぶんどったのかもしれません」

 「あ・り・う・る」

 「え!? ひどい鍋島さん!!」


 「彼の連絡先は知ってるの?」


 鍋島の肩を両手で揺らす玲を軽く窘めながら、雪子は新しいグラスと交換した。

 グラスに継がれた琥珀色の液体は、玲の好きな蔵が仕込んだ日本酒ベースの梅酒だ。

 ロックグラスが溶けないうちにまず口に含むと、とろりと舌の上に甘酸っぱい梅の香りが広がる。後味は甘さ控えめで、スッと日本酒らしい余韻を残す。甘辛いたれに絡めたつくね串との相性は最高だ。

 玲はロックグラスの中の氷をからからと遊ばせながら、眉を下げた。


 「それがわからないんです。唯一の共通点といえば六花だったので、最後の希望で……」

 「う~ん。あの後彼は来てないみたいだけど」

 

 玲はがっくり肩を落として、グラスを握りしめたまま動かなくなってしまった。


 「はあ雪子さん、私のせいで大事なお客様を逃がしちゃいました……。すみません……」

 「でもそんなに日は経ってないんでしょ? もし今度いらしたら伝えておくわ」

 「お願いします……」


 玲は念のため、雪子に自分の名刺を渡した。

 結局、山崎は店に姿を見せることはなく、玲はもやもやした気持ちのやり場に困り、鍋島の結んだ髪を三つ編みにすることで気を紛らわした。


***


 「ごちそうさまでした~!」

 「またね~! ん~まっ」

 「雪子さん、先生をよろしくお願いします」


 すっかり頬を真っ赤に染め、投げキスを繰り出してくる鍋島を払いのけつつ、玲は一足先に店を出た。

 ちょっと前までは街灯に照らされて咲き乱れていた桜並木も、すっかり衣替えして爽やかな葉桜に移り変わっている。社会人になってからというもの、気が付けば季節が過ぎ去っていく。


 (なんか軽くつまみでも買って家で飲みなおそう)


 ほろ酔いでほんのり上気した頬を初夏の夜風にさらして、ゆっくりと歩き始めた時、ポケットの中でスマートフォンが振動した。


 (なんだろ……。六花から電話? 忘れ物かな)


 何も考えずに通話ボタンを押した玲は、その後の衝撃に思わず手から端末を落としてしまいそうになった。


 「もしもし、山崎と申しますが。吉井怜さんの電話で合ってますか?」

 「あ……、え?!」


 玲は思わずもう一度差出人を確認した。以前登録しておいた六花の電話番号に違いない。受話器越しに、居酒屋特有のがやがやした雰囲気が伝わる。さっきまで自分がいた空間だからよくわかる。

 混乱する頭に、思い出したくもないのに、嫌というほど思い出したあの夜の落ち着いた低い声が反響する。


(え?! どういうこと!? でも六花からかけてるってことは……)


 必死に脳内を整理しながら、玲はやっとのことで言葉を紡ぎだした。


 「はい、吉井です。えっと、本当に山崎さん、なんでしょうか?」

 

 すると、受話器の向こうで、ふ、と押し殺すような笑い声。



 「はい。もし、まだ帰ってないなら、外で会えますか?」

 

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