1-3

 残業を終えたある日、「六花」ののれんの前で一人、玲は考え込んでいた。


 (この前きたばっかりだしなあ……。でも疲れたから飲みたい、いや飲まずにいられない)


 脳裏に雪子の微笑みが浮かび、扉に手をかけようとした時。


 「あっ」

 

 後ろから声がして振り向けば、先日相席した男性だった。

 横並びでしっかり顔は見ていなかったが、なんとなく全体の雰囲気と声が記憶とつながった。

仕事帰りだろうか、チャコールグレーのスーツに白黒のストライプシャツを合わせ、ボルドーのネクタイを締めた姿だ。

 癖のない黒髪はしっかりと整髪料でまとめ、長めの前髪を額を出すように流している。


 「すみませんこの前。狭かったですよね」

 「いえいえ! 今日は空いてるといいですけど……」


 引き戸を開けば、昨日同様席はほぼ埋まっている。

 

 (いやいや平日のど真ん中でここまで混みますか……)


 「あ! いらっしゃい~」


 雪子がすかさず玲に気づいて手を振るも、後ろの男性に気が付いて意味深に微笑んだ。

 そしてよりによって昨日と同じ、唯一残っているカウンター席を進める。


 雪子の微笑みに潜む圧を感じて引くに引けなくなった玲は、意を決して席に着いた。

 いつも座っている特等席のはずなのに、なぜか落ち着かない。


 「玲ちゃんはいつものでいい?」

 「あ、はい。それと牛すじ煮込みもお願いします」


 「あ、俺も同じやつとハイボールで」

 「はあい」


 思わず横を見た玲に、男性は箸袋を折りながら「すみません、つい食べたくなって」と零した。

 はっきりとした濃い眉と、切れ長の二重の瞳が目の前の黒板を真っすぐ見ている。

 薄めの唇をきゅっと引き結んでいるため、なんとなく近寄りがたい雰囲気を玲は感じた。


 「玲ちゃんは東北出身だからいつも東北のお酒を飲んでるのよね。あなたは?」


 玲のもっきりを差し出しながら、雪子は器用に男性に話しかける。自然な流れで切り込んでいくのは流石だと玲はいつも感心させられる。


 「俺はもっと北ですね。北海道です」

 「あら、ずいぶん遠くからね。いつ頃からこちらへ?」

 「転勤で今年からこっちに越してきたんです」


 (北海道かあ……日本酒というよりウイスキーとかのイメージだなあ)

 

 玲が頭の片隅でウイスキーのボトルを思い浮かべている間に、ちょうど男性のハイボールも注がれ、二人の飲み物が揃った。


 「せっかくなので、はい」

 

 男性にハイボールのグラスを差し出される。玲は少し戸惑いながらも升からグラスを持ち上げた。

 細やかな気泡を浮かべたハイボールのグラスと、薄山吹色で満たされた日本酒のグラスが、小さな音を立てた。


 (おいしい……! 牛すじのこってり感を辛口の日本酒できりっと締める! 最高~~)


 当初の緊張はどこへやら、すっかり玲は料理と酒に酔いしれる通常ペースへ移行していた。

 雪子の腕によりをかけた自慢の牛すじ煮込みは、口に入れるとほろほろと肉が崩れる。牛肉の深い旨味が染み込んだスープは、思わず白飯が欲しくなる。

 するとすかさず、玲の前に白飯が盛られた茶碗がそっと置かれる。


 「なんか疲れた顔してたからサービス。お兄さんも食べる?」

 「いただいてもいいんですか? すみません、じゃあ」

 「雪子さん~~~~」

 

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