1-2

 

 「千田さん、この前の書類できた?」

 「あ、いえ、まだです……」

 「じゃあ今日中にお願いしてもいい?」

 「ちなみに会議の資料の準備は?」

 「すみません……」


 翌日、オフィスの席で返信するメールを打ちながら、玲は前の席の千田(ちだ)に声をかける。

 この春から一緒に担当業務をすることになった男性社員で、玲にとっては初めての後輩だ。

 顔の大きさに合わない大きな眼鏡を直しながら、あたふたと仕事をしている。何を話しかけてもいつも眉を下げて小さな声で返事をするので、玲は扱いに戸惑っていた。


 「じゃあ資料の準備は私やっとくから、書類作成に専念して」

 「はい……」


 猫背気味の背をさらに丸めて返事をする。その姿はダンゴムシを彷彿とさせた。

 その時ちょうど電話の音が鳴り響いて、千田は慌てて受話器をとる。


 「はい、はい、えっと……あの、それは」


 傍から見て心配になるくらい、しどろもどろの対応だ。玲は見ていられなくて小声で千田に話しかける。


 「私代わろうか?」

 「え? あ、あ、はい……それではわかるものに代わりますので……」


 その後千田はあまりの緊張に保留ボタンを押さずに電話を切ってしまい、玲の怒りをかったのであった。



 「も~~~電話も安心して任せられない!!」

 「まあそう怒んないの」


 昼休み、他部署の同僚石本(いしもと)に宥められながら、玲は日替わり定食のから揚げを頬張っていた。

 石本は鶏肉がメインのヘルシーメニューを口に運びながら、苦笑いを浮かべる。

 入社時の研修で意気投合してから、部署が変わっても時々こうして時間を合わせてランチをとっていた。

 

 「ずっと同じ書類作ってるし、いつまでかかるやら……」

 「おお怖。未来のお局候補だわ」

 「私もなるべく優しくしてるつもりだけど、フォローで午前いっぱいほとんど使っちゃったよ……」

 

 玲と違い、石本の爪はきちんと店で手入れしたであろう色とりどりのネイルで彩られている。ショートカットにほとんど毎日パンツスタイルの玲とは正反対で、石本はいつもゆるく巻いた髪を一つにまとめたり、背中に垂らしたりとアレンジしている。

淡い水色のシフォン生地のブラウスが、柔和な彼女の雰囲気に似合っていた。


 「吉井もさ、いつもテキパキって感じだから余計合わないんだろうね」

 「そうかな……。でも課長に任された以上、どうにかしないと……」

 「まあがんばれ~」


 思い出す、春。課長に呼び出された玲は、後輩の千田と一緒に担当業務を進めてほしいと頼まれたのだ。

 入社二年目だという千田は、課長の後ろからおそるおそる前に出て、「よろしくお願いします……」と俯きながら蚊の鳴くような声で挨拶をした。


 入社四年目にもなり、上司から大小様々な仕事を振られて大量の業務を抱えていた玲は、千田の様子に心労がさらに重なったのだった。


 「吉井さんがしっかりしてるからつい頼んじゃうんだよね~」

 

 それが課長の口癖だ。楽観的な性格で、いつもふらっとどこかへ行ってしまう。戻って来たかと思えばどこからか仕事を持ってきて、部署内でも比較的若手の玲に仕事を任せてはどこかへ去っていく。

 その度に先輩たちからは「どうせ課長は遊びまわってるだけなんだから、真面目に仕事引き受けなくていいのよ!!」と怒られていた。そういう先輩方こそ、休憩時間外に喫茶スペースで愚痴の花を咲かせてばかりでは……なんて口が裂けても言えない。

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