『10』
白くて、まろくて。それは口に入れるとあっという間にほどけ、無くなってしまう。何かを掛けなくても、寧ろかけない方が美味しいと言うことに、この店に通い始めてから気づかされた。
「美味いか」
ぶんぶんと首を縦に振る。店主は柔和そうな笑みを浮かべ、俺の頭をひと撫でしていった。ばっちりスーツを着ているのに、中々いつまで経っても子ども扱いで困る。それもこれも、多分出会い頭がきっかけだ。
「食っていかねえか」
新装開店のお洒落なお店だった。古民家を改装したような風貌で、道に面した壁は全て取り払われている。店主は紺のエプロン姿で、店の半分を占めるキッチンから顔を覗かせていた。
風通しのいい店内は、その店特有の匂いに包まれている。
「あー、あんま得意じゃないんで……」
得意じゃない、を通り越して実際のところは嫌いだった。味がしないと思っていたから。ついでに言えば今もしているこの特有の匂いが本当に苦手で、この時も同じように、俺は眉間に皺をよせていたのかもしれない。
「得意じゃない人こそ食ってほしいんだがなぁ」
ふにゃりと眉を下げられる。大柄な成人男性がするには些かミスマッチな見た目に、すこしだけ心を侵食されたような気がした。しかし、こだわっている店が言いがちなセールストークだということも分かっている。うーん、と言いながら首をかしげると、店主は更に目じりの皺を深めた。
「あんまいうべきじゃないのかもしれないが、普通のとはちょっと味も違うしな。元のが食べられなくてもうちのは食べられる、って人も結構いるんだが」
本当に言うべきじゃないなと思って、少し笑ってしまう。違うからと言って本当に食べられるのだろうか。そう思ったが、ふと胡麻バージョンなら食べられることを思い出した。
それなら、と思ってしまった時点でもう負けだったのかもしれない。いや、食に勝ち負けなどないのだけれど。辺りに広がっている匂いのことは、若干頭から抜けていた。
「少しだけ、なら」
「よし来た、そこ座っててくれ」
「あの、ほんと。無駄になったら悪いんで少しでいいです」
クリアガラスで囲われたキッチンで、丸いスプーンを使い大きな樽から掬って居る姿が見える。暫くしてそれは盆に乗せられ、こちらに運ばれてきた。
「はい、どうぞ」
びいどろの小鉢によそわれたそれは、一見プリンのように揺れている。崩れることなく、少し弾力があるようだった。
「是非ひとくち目は、そのまま食ってくれ」
こだわって作っている風の店だったから薄々分かっていたが、やっぱり実際に言われるとたじろぐ。どうしても食べなければいけない時は、醤油をかけて誤魔化していた。
「いただきます」
とはいっても、随分と昔から食べていないので今はどうか分からないのも事実だ。微かな期待を持って、ゆっくりとスプーンで掬って口に運ぶ。舌にのせる一瞬、いつもの匂いが香ったが、口に入れてしまえばそれは甘みと化した。
「……あ、おいし」
店主を見ると、頬が緩み、口角が上がっている。そのまま頷いて、キッチンへと下がっていった。俺は何もかけずに、もう一度スプーンで掬う。ふるふると揺れる白が、崩れることなくスプーンを飲み込んでいく。
随分とゆっくり食べた。美味しかった。終わって、すごく満ち足りた気持ちになった。静かに手を合わせる。俺は鞄から財布を出した。
「あの、おいくらですか」
「あぁ、いいよ」
「えっ」
「お客さん、また来てくれるような顔してるから」
にやりとした笑みにばっちり見抜かれ、俺はそのまま店主が狙った通りのリピーターになった。スーパーマーケットで売っているものは結局食べられないままだったので、必然的にここへ来るしか美味しいものを食べる術がないのだ。ここまで分かっていて味を変えているのだとしたら、彼は随分と策士である。
店先で食べる用のびいどろの中身が、もう無くなってしまった。残念な気持ちで手を合わせる。家で食べても美味しいが、やはり出来立てが一番美味しいので、無くなると少しがっかりとした気持ちになってしまう。
それを見たのか、キッチンで俺が持ち帰り用に買ったものを詰めていた店主は声を上げて笑う。
「毎日でも来たらいいだろ」
「毎日来るって決めて一日でも来れない日が出来たら、俺多分すげぇがっかりしちゃう」
「あー、それは正論だなぁ」
持ち帰り容器を入れた袋を手渡される。俺の生命線。美味しいものは人生を豊かにしてくれるという言葉を、最近常々実感している。
「また来てくれよ」
「はい」
手を振る店主に、頭を下げる。貰った袋の中身を覗いて、俺は自分の口角が上がるのを感じた。
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