サイレース・ブルー

「君の症状は、何だったかな」

「不眠と不安。あと希死念慮とか……不眠が一番辛いかもしれない」


 見知らぬ場所で、私は年老いた男と席を共にしていた。そこはさびれた喫茶店といった様子で薄暗く、周囲には人の気配をまるで感じられない。私と老人だけを照らす不自然な光源が、漂う埃を照らし出す。


「薬はどうかね」

「サインバルタ60mgにロラゼパム0.5mg、あとブロチゾラムを」

「サイレースはどうした。気に入らなかったか」

「ええ、身体に合わなくて……」


 老人とは初対面だったが、不思議と信頼感を感じていた。私は酒や煙草、薬の話を他人とするのは好まないのだが、どうしてか昔馴染みの友人に対するような気楽さでぺらぺらと話している。老人は穏やかな微笑みを浮かべ、丸いテーブルに両手を組み親身になって耳を傾けてくれていた。


「では、これを飲むといい」


 そう言って老人が取り出したのは、袋入りの二種類のカプセル剤だった。一つは白く、もう一つはピンクだ。ヤバい薬なんじゃないのか。色鮮やかな薬は大体ロクでもないものだ。私はあくまでも、社会が許容する範疇での薬物中毒者なのだ。


「なんだか、アキラみたいだ」


 昔観た映画のワンシーンが浮かんで、そのまま口にしたが老人に無視された。好みの話ではなかったのかもしれない。


「白を飲むと眠れる、ピンクは目を覚ます。それぞれ強い薬だ。注意して、バランスをとって飲みたまえよ」

「朝まで残るってことか。何はともあれありがとう、頂くよ」


 私はカプセル剤の袋を二つともポケットに仕舞った。そこで初めて、老人が青いカクテルを手にしていると気付く。カクテルグラスの中で、真夏の青空を閉じ込めたが如き液体が鮮やかに映えている。私はそれが何か知っていたが、知らなかった。


「それは?」

「サイレースとシャンパンのカクテルだ」


 サイレース、人工的に着色された吹き抜けるような青。


「駄目だよ、そういうのは。カート・コバーンはそれで……」

「会ったこともない人間を心配する暇があるなら、自分の心配をしたまえよ」


 老人はサイレースカクテルを優雅に傾けた。溶けきれなかった錠剤の破片でグラスが汚れている。


「君は何の才能もない癖に努力せず、酒と煙草に溺れ、心の平穏を化学物質に任せきりではないか」


 痛いところを突かれた。痛恨の一撃だ。私は危うく泣きそうになった。


「ところで、君も何か飲まないかね」

「あー、じゃあカミカゼが飲みたい。よく冷えたカミカゼ」


 ウォッカとコアントローの混合液が私の手元へ現れた。飲んでみると確かに冷たく、ライムがよく効いている。望んだ通りのカミカゼだ。しかし不味いことに、私はこれから睡眠薬を飲まなければならない。酒と睡眠薬の相性の悪さは、一般にもよく知られている。


「いいんだよ、ここでは」

「そうか、よかった」


 そうか、よかった。

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