うしみつキャット

 草木も眠る真夜中、私は大量の猫を腕に抱いて走っていた。理由は分からない。今確かなのは、背後から恐ろしい何かが迫っていて、ヘビースモーカーの上に運動不足の私は今にも死にそうだということだけだ。


 無様な走りがよたよたと身体を揺らすと、猫たちはミャーミャー鳴いて耳をあちこちに傾けた。大量の、本当に大量の猫だ。猫の遺伝子が発現しうる毛の模様を全て網羅しているだろうと思えるほどに。


 ご存知の通り、猫は場合によっては液体のような振る舞いを見せる。靴底が地を蹴るたびに腕が緩み、隙間から液体化した猫が漏れそうになっていた。僅かな隙間を目敏く見つけては足を、尻尾を、下手すれば下半身をずるりと突っ込んでしまう。その都度抱え直し、余計に体力が奪われる。


 こいつら、状況が分かってないのか。背後から迫る何かに捕まると、どんな恐ろしいことになるか……


 息を堰切らせて走る私をよそに、何匹かの猫がひらひらと舞う蝶に腕を伸ばしていた。やめろ、後にしてくれと叫ぶ。夜に蝶が飛ぶのか? マジに勘弁してくれ。頼むから猫の気を逸らすような真似はやめろ。


 終わりなきマラソンコースは川沿いに入った。川を挟んで向こうに佇む工場の明かりが、土手に茂るススキを明るく照らしている。綺麗だ。もし状況が許すなら、足を止めて猫たちとゆっくり眺めたかった。


 しかし、そんなことをしている場合ではない。姿は見えなくても、彼我の距離は確実に縮んでいた。

 

 今まさに通り過ぎんとする一軒家の屋根に、茶トラが一匹座っていた。月明かりに照らされ、私を見つめる双眸は愚か者に対する冷たさに満ちている。だが、私は猫にその手の視線を投げかけられることに慣れていた。私は叫ぶ。


「来いよ! 一緒に行こう!」


 やれやれ仕方がない、といった様子で茶トラは重い腰を上げ、しなやかなジャンプで私の頭に飛び乗った。私としては腕に乗って欲しかったが、言わなかったこっちが悪いのだ。

 夜は長い。一体どこまで逃げればいいのか――


 寝汗の不快感で眼が覚めた。手元の時計は午前四時を示している。二度寝したかったが、不眠症患いの身では絶望的だ。諦めて窓を開け、手巻き煙草を咥えた。


 思い返せばそんなに悪い夢でも無い。猫好きとしては、腕いっぱいの猫は歓迎すべきことだから。

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