『消えた足跡』
僕らには普通のことだった。左足から家の外に出てはいけないし、山を歩くときは左耳を塞がなければならない。小さな集落だから学校は一つしかないけれど、クラスは一学年二クラス。でも、一組に生徒はいない。二組が村の子供たちだ。左利きの子はすべからく右利きへと矯正すべし。
そんなルールをめんどくさいなんて思うことはなかった。当たり前で、ご飯を食べるように普通であった。
外から村に新しい人が入ってくることはない。逆に僕らも外へ行こうなんて考えることもない。そもそも外なんて存在しなかった。すべては地産地消。神様は僕らを守ってくれている。いや、僕ら自身が神と同等で友である。そう教わってきた。
とはいえ、一組の子と遊ぶ時は僕らから誘ってはいけない。そして、誘われたらめいっぱい遊ぶ。断ってはいけない、ともいうけれど、誰も断ろうとなんかしない。一組に入れるのは神様だけだ。僕らは入ることはできないけれど、仲良くしている。
僕らの村の神様は目に見えない。そして目に見える。隣のクラスのざわめきは聞こえるけど、そこに姿はない。遊ぶときは目に見える。一組の子が声をかけてくれる瞬間目に見えるようになる。
この村で左は特別なものだった。よい意味でも悪い意味でも左というものは、普通とは違う。祭りの日は左手だけを使う。ご飯を食べるときも鋏を使うときも、左手だけで行う。もちろん足も耳も左だけを使う。これが何をさしているのか、いまいちわかっていないけれど、祭りの日は一組の子がしっかり見える。祭りは楽しいものだった。夜遅くまで起きてても許されるし、大きい岩の上に乗っても怒られない。それに声を出して笑うこともできる。
ちなみに村の習慣で子供が生まれた日に木を植える。習慣というよりも掟に近かった。木は必ず決まった場所に植えられる。大きな赤い門を持つ家の裏山。そこには子供が生まれるたびに一本植えられ、毎年誕生日と十五歳になる祭りの日はそこで過ごす。
そして、村の子供は悪さをするたび自分の木の下で過ごさなければならない。左手を気に結び付けられ、朝になるまでそこで反省をさせられる。
僕も六歳の時に何をしでかしたか(確か妹の髪を引っ張って泣かせたはずだ)僕の木に結ばれた。電灯はほとんどなく、高い場所だから村の灯が少しだけ見えた。夏とはいえ山の上だから涼しく、夜が更けていくごとに心地の良い気温になった。六年ではまだ木は小さく、逃げようと思えば簡単に逃げられる。でもこれと言って逃げる必要もないし、逃げて帰ったりしたらまた怒られる、そしてほかの子に馬鹿にされてしまう。幸い、僕は暗闇が怖くなかった。いつの間にか眠りについていた。
どれぐらいたったのか、急に空気が冷たくなった。寒さに目を覚ました僕は、遠くに人の姿を見た。そしてその人は、大きな木を一人で切っていたのだ。奥のほう、そして大きな木だから村の老人のものか。誰の木かなんて全部は覚えていなかったが、あの辺りは黄色い屋根の家の人のものだ。どうして木を切っているのだろう。そう思ったものの急に木にもたれていた背中が熱くなってまた眠りに落ちた。
その後、朝になり母が迎えに来てくれた。帰り際、あの木のほうを覗くと何人もの人が手を合わせていて、沢山の花が置かれていた。それを見て母は「おじいちゃんが亡くなったのよ。六時前ぐらいにね」と言った。
他にもクラスの子は、白い靄を見た、子供の笑い声を聞いた、なんて言っている。みんな怖がっているのではなく、楽しさとして怖がるふりをしているだけだった。
今日は僕らの学年が十五歳になる日のお祭りだ。この日を全員が楽しみにしていた。だってこの日は、夜は僕らだけになりこの場所で遊び倒してよい。麓の川で右手の汚れを流し、左手で全身を洗う。そして、そのまま山に向かう。この日だけは、耳を塞がなくていい。
そうして、しゃべり続けていると寝始めてしまった。だから僕らはみんなを起こさないように少し離れた場所で話していた。アキラは二組の中でも一番仲の良い、幼いころからの親友だった。
小さな村だから同級生は一生同級生で、ポジションも決まっている。クラスを引っ張るリーダーのグループ、あんまり話さない子のグループ、どちらともそれなりに仲の良いグループこの三つで形成されている。僕らは最後のグループに所属していた。
四時になれば、解散をして家に帰らなくてはならない。そして、九時間ほど家でゆっくりして学校に行かねばならない。その日だけはは一三時始まりなのだ。だから、僕らは四時まで話し続けた。そして、ほかの寝てしまったみんなを起こして麓まで戻り、川で手を洗った。少し目が覚める。その後解散をした。
家に着くなりベッドにもぐりこむ。日が高くなるまで起きずにいた。そして授業に間に合うように家を出て、二組のクラスまで行く。
あれ?
誰もクラスにいないのだ。それどころか、ガラクタばかりが詰め込まれていた。後ろからおはようと声が聞こえる。
「ここ二組だよな?アキラ」
「当然。なんでみんないないの?」
「シュートとアキラおはよう。何してんのー?」
一組のほうから声が聞こえた。窓から乗り出してこちらに手を振るマコがいる。
「お前、なんで一組にいんだよ」
「なんでって、何言ってんのさ」
「いや、え?」
「てかなんで二人とも物置に入ろうとしてんの?」
マコは至極当然のように言う。一組の教室を覗くと確かにクラスのメンバーがそろっていた。
「お前ら、早く席につけぇ」
担任が僕らに声をかけたことで、一組の教室から笑い声が上がった。アキラと顔を見合わせると彼は首を傾げた。右足から教室に入るとまた笑いが起こる。
「二人そろって右足から入るとか、息ぴったしだね」
とにかく自分の席に着こうとする。教室は違うが僕はコハルの後ろの席のはずだ。二時間だけの授業が始まるといろんなおかしいことが起きていた。左利きを矯正されたはずのタツヤが左手でノートを写している。それにペンではなく鉛筆を使っている。
なにかがおかしい。
一組は神様の教室だ。僕ら村の子供は二組でないといけない。授業中動揺したアキラとうなずきあった。学校終わり、すぐに教室から出て逃げるように走った。一度家にも帰ってみたがやはり今まで教わった、いや教わることすらないぐらい自然であった行為がされていなかった。僕らはいつもの人が来ない橋の下で話していた。
「なあこれは夢か?」
「シュート、一回俺を殴ってみてくれ」
痛い。お互いにやってみたが痛いものは痛い。夢だろうと痛みを感じるのか。
「神様がいなくなったってことか?」
「んなわけ……。だって、あれは、何百年も昔からあるはずだろ?」
「だよな。意味が分かんない」
僕らの伝統という先祖から続く足跡がすべて消えた。一晩にして、なくなるなんてことはあり得ない。
「もしかして、何か儀式をミスったとか?」
「でも、僕らは普通だったじゃん。何もおかしくない。そもそも僕らはおかしくなってないし」
「ねえ二人とも」
心臓が止まると思うぐらいに驚いた。そこにはリュウキが立っていた。彼は静かなグループに属していたため、僕らとはあまり親しい仲ではなかった。
「ジャンケンをしよう」
リュウキの突飛な提案は僕らにとっても重要だった。僕らは当然左手を出す。ジャンケンは特別な力を借りたほうが良い、というルールがあったからだ。
リュウキはグーを出した。左手で。
「やっぱり、二人ともおかしいと思ってるよね」
いつもより高くなった声で詰め寄ってくる。リュウキは僕らと同じように伝統を知っているのだった。
クラスの中で、いや村の中で伝統が忽然と消えた。そしてそれを覚えているのは僕ら二人とリュウキだけだったということだ。
「あのさ、昨日の夜、二人ともずっと起きてたよね?」
「だな、起きて喋ってたよ。リュウキは寝てたんじゃないのか?」
「寝てたよ。でも途中でトイレに行きたくなって…ちょっと離れた場所まで一人で行ったんだ」
気づかなかった。それだけ僕らは話に夢中になっていたのだろうか。
「そのとき、川の向こう側に子供がいてさ。迷子かなって思って声をかけたんだよ。でも反応なくって木の下まで戻ってきたんだ。それで気づいたんだけどさ、自分たちの木から人みたいなのが出てきてね、一人一人の中に入っていくんだ」
「ちょっと待てよ。そんなの夢だろ?俺ら見てないもん」
アキラが声を荒げる。落ち着けとなだめて話を促す。
「で、思うにさ。あれが神様で、一組の子供たちなんじゃないのかな…。僕らと全く同じ神様が一組にいて、十五歳の式で僕らと同化して神様側になる」
受け入れられない言葉だ。意味も分からないし、何が起きてるのかもわかる気がしない。ただ、僕らは確実に今までいた村と違うところにきてしまった。
「同化じゃなくて、入れ替わるんじゃないか」
ぽっと思いついた言葉が僕の口からこぼれる。
「僕らがもともとは神様だったんだよ。そして、自由の世界に降りてこれた」
口から出まかせだ。頭を通して発言していない。けれど、なぜか言葉があふれてくる。
「なら、ここから出られるってことじゃないか」
訳が分からないが、僕らはもうここに入れないだろう?そう問いかけると彼らは頷いた。
これで始まりだ。
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