二章 みからでたさびにおぼれる

第7話 スタジオは便利に使おう

「じゃ、僕は牛丼で」

「え?」

「バターロール」

「俺は唐揚げ弁当」

「……え?」

「じゃあわたしは、タマゴのサンドイッチ!」


 アオが目をぱちくりとさせたのを見て、全員が楽しそうな、また意地悪な笑みを浮かべた。明らかに理解できていないという表情の彼女に、へへ、と説明を加えるのはトウカだ。


「一番下っ端が買いに行くんだよ。なんと、お金はかいちょーのポケットマネーです!」

「え……あ、えっと、一人で?」


 そこ? と突っ込みたくなるのを抑えて、「そうだよ」と頷く。


「去年はわたしとフジサキが順番で行ってたの」

「そう……変な習慣ね。まぁ良いけれど」


 五人が今いるのは、芦花公園駅北口から旧甲州街道方面へ少し歩いたところにある、音楽スタジオ『horen』。

 せっかくなら、先程できあがった曲のデモを作ろうということになったのだ。いわゆるレコーディングである。


 そうでなくとも、会長の実家でもあるここで放課後を過ごすことが、作曲サークルの定番になっている。それはここ数年だけの話ではなく、サークルが設立されてから代々続く、伝統のようなものらしい。というのも……。


「この習慣も、会長のお父さんが作ったのかしら」


 そのサークルを設立したのは、会長の父であり、このスタジオの経営者である、「渡辺さん」(と、みんなは呼んでいる)だからだ。

 彼は定位置である受付に座り、今日ものんびりとトウカたちの会話を聞いている。


 基本的にこのスタジオの客は少ない。というより、ほとんど客が来ない。

 前にトウカは潰れてしまわないか心配したことがあるのだが、心配はいらないと笑われたことがある。どうやら経営会社は、別のことで儲けているらしかった。

 それが何なのか気にならないわけではなかったが、さすがにそこまで突っ込むのは野暮というものだろう。それ以上のことをトウカは知らない。


「んー、どうだったろう? やってたかもしれないね。渉は知らない?」


 と、渡辺はこんな風に会話に入ってくることもある。アオもすぐに、それを自然と受け入れたようだ。会長の独特な距離感は、やはり父親譲りなのだとトウカは思う。


「そんな前のこと知らないよ」

「だよねぇ」

「アオ、これでよろしく。飲み物も適当に買って来てくれる?」


 会長が自分の財布から取り出した数枚の千円札をぴらぴらとさせて、アオがそれを受け取る。その様子が何だかおどおどしているように見えて、トウカは目尻を下げた。


「仕方ないから、わたしもついて行こうかな?」

「良いの?」

「せっかく女の子が入ってきたんだもん。そういうのも楽しいでしょ」


 ふふん、と胸を張ったトウカに対して、曇り顔になる男四人。岸は、あからさまに眉までひそめている。


「二人で、大丈夫か?」

「へーきへーき。駅前じゃなくて、甲州街道の方行くから。アオ、行こ」


 そう言って、首を傾げているアオの腕を掴む。もしかすると、子供扱いされているみたいで不服なのかもしれない、とトウカは微笑んだ。


(そんなんじゃ、ないんだけどね)


 コンビニのご飯で軽く夕飯を済ませた五人は、早速スタジオに入る。サー室と同じように様々な楽器が並べられたその部屋は、もはや作曲サークル専用スタジオと言っても過言ではない。


 慣れた様子で機材の準備をする会長を見ながら、アオが唸った。


「こんな立派な設備を使える環境があるのに、サー室も豪華すぎないかしら? 他のサークルから文句は言われないの?」

「去年のフジサキと同じこと言ってるね。ここのことはみんな知らないだろうし、そもそも……」

「狭いし、階段下。どこも、使いたがらない」


 岸の言葉に、納得の表情を見せるアオ。

 防音ルームBを作曲サークルだけで使っているのは事実だが、それは他の大所帯サークルにとって、むしろ都合の良いことなのだ。順番で使うサークルが減れば、その分が自分たちのサークルに回ってくる。喜んであの防音ルームを差し出す姿など、簡単に思い浮かべることができた。


 そんな話をしながら準備を終え、会長と岸を残してロビーへ戻る。最初は岸のパーカッション、それからフジサキのピアノ、最後はアオのギターだ。


 トウカはレコーディングには参加しない。この曲の土台となった詩を書いた時点で、仕事は終わっているのだ。彼女が今日したことは、会長が位置を決めたマイクに、シールドを繋いでいくことのみ。

 それでも、こうしてみんなで過ごす時間が楽しいのだと、トウカは思う。




 フジサキと交替でアオがスタジオに入ると、部屋の中は香ばしい匂いがしていた。

 ケーブルがショートでもしたのだろうかと思ったが、会長にそんな様子は見られない。アオは気にしないことにした。


「ギターを取り終わったらさ、メインメロディーをこれで弾いてくれる?」


 アオがギターとマイクの位置を調節していると、トントン、と自分のパソコンの横に置いてある小さなキーボードを叩く会長。横から伸びるケーブルはパソコンのUSBポートに繋がっていて、入力音を後から自由に弄ることのできる、MIDIキーボードだということがわかる。


 アオは快諾した。

 本当はトウカにうたって欲しかったのだが、彼女はそれを辞退したのだ。自分にもうたえない理由がある手前、アオにはそれを受け入れる他なかった。


 会長に手渡されたヘッドホンを着け、岸とフジサキの演奏を一度聞く。冒頭の数小節を聞いたところで、アオの唇は弧を描いた。


「……オーケー」


 自分を試しているのだ、とアオは思った。先程サー室で合わせたときよりも、二人の音が格段に良くなっているのだ。洗練されつつも、自由度は増しているようで、これから乗せる音も、当然それ以上のものを要求される。


(それなら、私だって)


 と、会長がニヤニヤと笑っているのに気づく。試されているという感覚は間違っていないのだと、確信した。

 デモとはいえ、このような音を聞かされてしまえば、簡単に終わらせることはできない。それでも、そのプレッシャーがアオには心地良く感じられる。


 耳元で再生される音と、トウカの言葉。

 イメージするのは、広く美しい空と、新しい出会いへの期待。


 意識的にタガを外せば、アオの脳内で、一本の旋律が再構築された。

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