7(夏澄美side):灯羽(じなん)、夏澄美(にょにん)羽織り

 得意分野もい。

 親しまれる人格もい。

 恋人や友達はおろか、帰宅部なので後輩すらない。



 高石たかいし 灯羽ともはとは、そういう人物。

 退屈で偏屈で鬱屈とした、兎に角、屈折に事欠かない人物だ。


 

 家族仲だって、くはい。

 父親は下心の塊だし、母親は小姑。

 兄貴はガキ大将だし、弟はエリート。

 反抗期にかこつけて疎遠になるのは、自明の理だった。


  

 唯一、心を許したのは、ペットのダックス。

 正確には、何故なぜか向こうから執拗に懐いて来たので、気を許さざるを得なかった曲者くせものだ。



 そのダックスは、本当ほんとうに、く絡んで来た。

 締めていたはずのドアを開け毎朝、幼馴染感覚で起こしに来るわ。

 あまりに常習犯ぎたので、しまいにはケージを部屋に移す羽目になるわ。

 わけく無駄に走り回って、畳を傷だらけにするわ。

 餌も散歩もトイレも済んでるのに、寂しいからと叫んで呼び出して来るわ。

 タイピングしていたキーボードの上に、寝転がって甘えて来るわ。

 とまぁ、そんな具合だ。

 というか、最後のは猫がする仕草ではないか。



 そのさまは昔、一緒に暮らしていた祖父のようだった。



 小学生だった頃。

 交差点で、横から走って来た、前方不注意の自転車に擦られ、足から血を流し、がらにもく泣いていた時。

 職場が近所だったので、急いで駆け付け、手当してくれた祖父。



 同じく小学生だった頃。

 家族で釣りに行ったら、逆に釣られ、海に落ちてしまった時。

 誰よりも早く気付き、さきに潜り、助けてくれた祖父。



 他にも、パチンコで当てたコンポや、お駄賃や小遣いをくれたりと、なにかと面倒を見てくれて。

 そうやって絡むことで、祖母に先立たれた悲しみを紛らわせていた、寂しがり屋の祖父に。



 そんなわけで、このダックスの名は、『ジジ』に決定した。

 決して、パン屋に住む魔女に当てられたのではない。

 大体、あれは猫だ。



 ジジのおかげで、少しは人生が楽になった。

 補足すれば、別に楽しくなったわけではなく多少、ストレスが緩和されたという話だ。

 そこで、次は『楽しみ』を見付けることにした。



 しかし、分からない。

 自分がなにを好んでいるかも、存在意義も、アイデンティティも。

 なんなら、ジェンダーすら怪しかった。



 断っておくが、女性は好きだ。

 ただ昔から、花や宝石、占いが好きだったり。

 大人になってからも、少年漫画よりTLの方が好みだったり。

 そんなふうに、一般的な男子像とは食い違ってるだけだ。

 


 そこで、男らしい物を漁った。

 そうすることで自我、そしてマスキュリニティーの確立を試みたのだ。 



 そうして行き着いたのが、PCゲームだ。

 現実の人間に興味と好感のく、微エロ漫画で目覚めた身としては、最適解だったのだ。

 もっとも、その頃は未成年だったので、コンシューマー版で手を打ったが。

 同時並行で、下読みのアルバイトも始めた。



 そうして、高卒と同時に、在宅ワーク可のゲーム会社に就職。

 家にながら、シナリオ・ライターとして働いた。

 仕事自体は嫌いではなかった自分が、少し意外だった。

 問題なのは、そこからだった。


 

 相変わらずクズガキの兄。

 世間体の悪さ。

 無くならない偏見。

 真っ当な出世街道を邁進する弟への、嫉妬。

 違法配信、割れ厨共の跳梁跋扈ちょうりょうばっこ

 脚本家やスクリプターが逃げたことでの皺寄せ。

 職場のスキャンダル。

 

 

 そんなストレスに見舞われる中、訪れた、最大の不幸。

 それが、父親の左半身付随だった。

 日頃の不摂生が祟ったらしい。



 父は、ヒーローのような存在だった。

 っても、創作の世界の出身とかではないし、過去に役者、スーアクとして出演していたんでもない。

 ましてや、ローカルは勿論もちろん、ショーにすら出ていない。

 それでも、個人的には、紛れもくヒーローだった。



 子供を思った結果、酒も煙草もめ。

 家族の為に、老体に鞭打って重労働に明け暮れ。

 休みの日は決まって病院に通い。

 息子に、多くのゲームをプレゼントし。

 そうやって、なるべく家族が不自由しないよう、最善を尽してくれた父。



 そんな父は、ある日、なくなった。

 見る影もくらいに、衰えてしまった。

 まるで、変身不能にでも陥ったかのような喪失、絶望、虚無感だ。



 無論むろん、一番ショックなのは、他でもない父だ。

 それは、理解しているもりだ。

 かといって、「許容しろ」だなんて、簡単には行かない話だ。



 常に松葉杖を付き、音を立てて歩き。

 ドアを開けっ放しにして、トイレを済ませ(後にノブを紐で引っ張れる仕様にしたが、近くに誰もいないと、それで閉めることすらいやがった)。

 少し動く度に逐一、舌打ちし。



 あるいは、自分から望んでサブスクに加入しておいて、月一のログインを次男に押し付け。

 変更前の情報しか乗っていないメモを渡し。

 何度、口で説明しても、「パスワードの必要、重要性」を理解せず億劫がり。



 特にドン引きしたのが、未だに女性に興味津々、どこぞの世界の名医ばりに現役バリバリだったことだ。

 居丈高に振る舞い、リハビリで訪れる女性の先生にデレデレし。

 すでに退院しているのに、「お世話になった女医さんと話したい」というだけの理由で、予約もしに、非番の次男をハイヤーに使い。

 なんなら今でも、スマホの待受にしていたり。

 隙あらば、若い子を捕まえ、再婚しようとしていたり。

 


「一緒に暮らしてるんだから、なんとも思うな」。

「ここまで育ててもらっておいて、文句言うな」。

 そうバッシングされても、無理はいだろう。



 だが、しかし。

 そんな、年甲斐のい執着と、みっともない浮ついた面を日々、見せ付けられ。

 それでも「適応しろ」という方が、こくなのではないだろうか。



 そこまで強いられ、虐げられ。

 それでも、「前を向いて生きろ」と命令する現実に従うほど

 残念ながら、素直ではなかった。



 だから、自殺することにした。

 元々、エスカトロジーとかデストルドーとか、そういうのには惹かれる人種だった。

 生きる上でのシンボルを失ったのだ。

 ここらが、そろそろ潮時だろう。



 そんなこんなで、ある日、死神からのメールが来て。

 そこから紆余曲折を経て、今日こんにちに至るというわけだ。



 色々ったのが起因し。

 今となっては、家族を真面まともに見られなくなってしまった。

 


 ゆえに、別人に成り済まし、適切な距離を維持しつつ、接することにした。

 そのための策として、『女装』というのは、実に合理的、打って付けだった。

 なんたって、「家を出、多忙な次男の代理で顔を出す、同棲中かつマッサージ師の彼女」として、自然と打ち解けられるのだから。

 それに、気の多い父を適度に懲らしめる、つなぎ止められるし。

 


 などと、言い訳めいた調子で自身に言い聞かせるも。

 いざ、家の前に立つと、やはり不安が隠せない。

 


 情けないことに。

 自分は、演技が不得意なのだ。

 いつ、正体が露見されるともしれない。

 もし、仮にそうなった場合の対策、打開策もい。

 かといって、家族は心配だ。

 弟や母、なんだかんだで改心、結婚した兄はともかく。

 父は、放ってはおけない。

 自分が少しでも目を離せば、ぐにでも熟年離婚、家庭崩壊してしまいそうで。



 というか今となっては、年齢的にも性格的にも、父の方が、女性受けが悪そうではないか。

 なのに本人は、てんであきらめを知らないと来たもんだ。

 呆れて物も言えない。

 自分を、ザ・ドリフター◯の一員とでも誤認しているのでもあるまいに。

 体よりも、メンタルを直すべきだったか。



 ……最早、手遅れか。

 自分とて所詮、同じ穴のむじなだ。

 その興味対象が、3次元か2次元か。

 共感を得られる方か、他者にとって無害か。

 違うのは、それだけだ。



「おわっ」



 などと玄関前で自嘲していると。

 不意に、足元に、見慣れたダックスがやって来た。

 性懲りもく、またしても脱走したらしい。

 


 いや。

 そんなことよりも。



「お前……分かるのか?」



 念のため、再確認しておこう。

 こっちは今、似ても似つかない別人に女装している。

 多少なりとも勘付かれぬよう、軽く香水だってしてる。

 


 にもかかわらず、だ。

 ジジは出会い頭、一瞬で、見抜いて来たのだ。

 これは、流石さすがに想定外だ。



「……さては本当ほんとうに、中身がジージなのか?

 こっちが心配なあまり、死神と契約し、犬に転生したってパターンか?」



 屈み、冗談めかしつつ、頭を軽く撫でる。

 ジジは、「く分からない」といった調子で首を傾げ、顔を舐めて来た。

 どうやら、当てが外れた模様もようだ。



 じゃあ、なにか?

 一言も発さず、面影も残さずに名前も性別も変え、ご自慢の嗅覚さえ無力化され。

 その上で、見破って来たとか。

 そんな、「奇跡」としか言いようい事象を、本当ほんとうに引き起こしたとでも?

 こんな、ちょっと仲良くしてただけの、有り触れたダックスが?



「お前……エグいな」



 今度ばかりは、素直に負けを認めよう。

 まさか、こうもサクッと看破されるとは思わなんだ。

 おかげで、適度に気が緩んだ。



「これこれ、ジジ。

 なにしてるんだ?

 お客様にご迷惑だろ?

 すみません、家の子が、とんだ失礼を。

 それはそうと随分ずいぶん、豊満な、いてててててっ!」



 飼い犬を出汁だしにして、こっちをナンパしかけた、下心丸出しの父。

 そんな、小遊◯みたいな振る舞いを、即座に止める母。

 父の頬を抓り、ジジを抱えつつ、母はたおやかに微笑ほほえむ。



「すみません、うちの子が永久不滅のオマセで」

「お、俺か!?

 ジジじゃなくて!」

「当然です。

 いやはや、恥ずかしい。

 い加減、少しは自制してください」

「い、いだろ、これくらい

 こっちは、ずーっと、仕事一筋だったんだぞ!?」

「だからといって、なんでも許されるわけではありません。

 私の目の黒い内は断じて、他所よそ様に不埒な真似マネはさせませんからね。

 しかも、いつまで昔の話を引きずるもりですか。

 あなたが退職したのは、もう何年も前の話でしょう。

 い加減、そっちも引退してくださいよ。

 だらしない真似マネは、おしなさい」

「いーや、だね!

 俺は絶対ぜったい、料理上手で気立てがくてボンキュッボンな、プリプリのお嬢様と再婚してみせるっ!」

「はっ。

 出来できもしない、甲斐性しの分際で、偉そうに。

 そもそも今時、こんなダメ亭主を無償で引き取ってくれる寛大なお方が、どこにるっていうんですか」

だとぉ!?」

「事実を言ったまででしょう」

「そこまであげつらえなくてもいだろ!」

「でしたら、普段からちゃんと節制してさえいれば済む話ではありませんか。

 大体あなたという人は、いつもいつも」



 ……また始まった。

 やっぱり、父の恋愛脳は、早急に調整すべきか。

 本当ほんとうに、世話が焼ける。



「して。

 あなたは、どちら様ですか?」



 父を物理キックで失神させたあと

 何食わぬ顔で、母が尋ねる。


  

 てか、頭から湯気出てるんだけど。

 大丈夫かな、あれ。

 死んでないよね? 父さん。

 あ。指、ピクピクしてる。

 大丈夫だな、多分。



「あ……。

 えと……」



 言いあぐねていると、母に抱っこされていたジジが、器用に抜け出し、こっちにジャンプして来た。

 慌ててキャッチすると、涼しい様子ようすで、こっちの顔をペロペロして来た。



「す、すみません。

 普段は、ここまで腕白わんぱくではないんですが。

 こんなに懐くのも、家の次男にだけだったんですが」



 それを聞いて、得心した。

 やはりジジにだけは、正体を見抜かれたらしい。

 相変わらず、原因は不明だし、信じがたいが。



 これは、好都合だ。

 別に、父の真似マネをしようってんじゃないが。

 折角せっかくなので、利用させてもらおう。



「でしたら、納得かもです。

 一緒に暮らしてる内に、彼の匂いが、移ったのかも」

「まぁ。

 あなた、灯羽ともはの?」

「彼女です。

 今日は、彼の名代みょうだいとして、ご挨拶に上がりました。

 改めまして、初めまして。

 姫城ひめしろ 夏澄美かすみと申します。

 今後とも、よろしくお願い致します。

 自己紹介前から手厚い歓迎、痛み入ります。

 あと、これ。

 良かったら、どうぞ。

 ほんの気持ちばかりですが、差し入れです」

「まぁまぁ、ご丁寧に、ありがとうございます。

 そうとは知らず、ごめんなさいね。

 いきなり、失礼を働いてしまって。

 ささ、どうぞ、上がってください。

 今、お菓子をご用意するので。

 時に、夏澄美かすみさんは、紅茶はお好きかしら?」

「はい。

 大好物です」

「ならかった。

 いつ灯羽ともはが帰って来てもよう、あの子の好きな物を常備してあるのよ。

 振る舞ったのがあなたなら、灯羽ともはも怒らないわ。

 是非とも、召し上がって頂戴ちょうだい

「頂きます」



 計算通り。

 やっぱり、夏澄美このすがたの方が、なにかと効率的だ。

 灯羽じぶんの話題にさえ触れなければ、間髪入れず、シームレスに進行出来できる。

 まるで、オンゲーでもしているかのようだ。



「あら、お父さん。

 そんなところで、なにをしてらっしゃるんですか。

 お客様の前ですよ。

 仕方しかたい人ですね。

 夏澄美かすみさん、ごめんなさい。

 ちょっと、この人を部屋まで運ぶの、手伝ってもらえるかしら?」

「任せてください。

 お手の物なので」

「え?」



 し、しまっ……!

 つい、いつものくせでっ……!



「あー、いや、えっと、灯羽ともはっ!

 ベロンベロンになった灯羽ともはに、いつもやってるので!!」

「あら、そう?

 ごめんなさいねぇ、親子揃ってご迷惑掛けちゃって。

 にしても、めずらしわねぇ。

 あの子、下戸げこはずなのに」

「み、見栄を張りたかったんですよ、きっと!

 彼女と宅飲みしている手前!

 ほ、ほら!

 そういう、格好かっこしいなとこるじゃないですか!

 男の人って!」

「そうねぇ。

 それはそうと、そっちお願いね」

「は、はーい!」



 あ、危なっ……。

 どうにか、免れたか……。

 


 にしても、調子が悪いな。

 やはり、実家だと気を抜いてしまいがちなのか。

 もっと、引き締めないと。



 なにはさておき。

 父を寝室に運び終えた後、二人で。

 時々、ジジも混ざって、しばらく談笑した。

  


 こうして、始まったのだ。

 我が家の、新しい形が。

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