4(静空side):真っ赤な初恋(うそ)

 腰まである、赤いメッシュの入った黒髪。

 髪を右にボサボサと靡かせ、さらに右目を隠す、赤と黒のチェック柄のバンダナ。

 遠くからでも分かるだろう、中性的かつ端正な顔立ちと、真っ赤な瞳。

 ちょこんと出された耳に装着せしは、天使の羽を模したイヤーカフ。

 白と黒を貴重とした、所々に「☓マーク」の施された、ロックでパンクな服。

 そんな、如何いかにも関わりたくない人種、今年度No.1。



 高校一年生になったばかりの私の前に現れたのは、校医こういには似ても似つかない変人で。

 一般的なクール女医をイメージしていたのも合わせて、動揺するのは当たり前で。



「嫌ぁぁぁぁぁっ!!」



 ……まぁ、だからといって、彼のお腹に向けて鞄を全力投球するのは、我ながらどうかと思う。

 


 でも、同時に、褒めてしい。

 なんだかんだで、顔だけは狙わなかったことを。





「ほら、免許。

 ちゃんと、ここの校医こういです。

 分かってもらえた?」



 数分後。

 あれだけ理不尽な不意打ちを受けておきながら、先生はケロッと、にこやかに私に潔白を証明した。



 暁月あかつき 友生ゆうき

 それが、このアバンギャルドな校医こういの名前らしい。

 なんてーか……。



「……服装はともかく、性格と口調には、合ってますね」

「あははっ。

 よく言われるよ。

 それより、今日はなに用かな?

 甘城あまぎ 静空しずくさん」

「……私のことより、自分の心配をした方が……て」



 実に違和感いわかんく呼ばれ、あまりの怖さに、私は椅子ごと距離を取り、条件反射的に、両腕で上半身を守る。

 先生は、「器用だなぁ」なんて笑ってるけど。



「……なんで、私の名前……」

「ここに配属されたあとしばらく校内探索しててね。

 君の友人に、そう呼ばれてたから。

 それに、聞いたよぉ? なんでも、一年生で成績トップらしいじゃない。

 入試も一位で、新入生代表のスピーチも務めたって話でしょ?

 憧れちゃうなぁ。僕は、そっち方面、からっきしでさぁ」

「そんな調子で、よく校医こういになんて、なれましたね」

「ねー。ホントだよねぇ。

 あははっ。不思議だし、面白いよねぇ。

 でも、ありがと」



 あからさまに抵抗を示し、ジトさえ向けている(だろう)私に対し、フニャフニャ、フワフワとした態度で接する暁月あかつき先生。



 ……どうしよう。

 本格的に、苦手なタイプだ。



「それより、ベッドに横になって。

 じゃないと、始められないから」



 草食系だと油断していたからか、あるいは余所事を考えていたからか。

 先生からの、まさかの一言に私は、それまでとは異なる恐怖を覚えた。



 いやいや、待て待て、落ち着け、私。

 いくなんでも早計、失礼がぎる。

 普段から少女漫画を読み漁ってるから、そういう曲解に陥るんだ。



 説き伏せるように自身に言い聞かせ、私は突っ込む。



「……は、始める、って……。

 ……なにを、ですか?」



なにって。

 足だよ。あ・し。

 体育の授業でグネっちゃって、だから来たんでしょ?

 違う?」



 ……ほら、見なさい。

 思った通りだ。

 当たり前じゃない。彼は、校医こういなんだから。



「……甘城あまぎさん?

 なんか、落ち込んでない?」

「別に、ガッカリなんてしてません。

 それより、なんで分かったんですか?」 「……ジャージだったら、察しない?」



 ツンケンと拗ねていたら、正論を突かれた。

 


 なんか……!

 なんかもう、さぁ……!!



甘城あまぎさんて……意外と、可愛い所、るんだね」

「〜っ!!」



 あー、もうっ!

 死にたいっ! 今直ぐ誰かに、私を殺してしいっ!

 成り行き上、仕方しかたくとはいえ、仮にも異性の前に、ジャージで現れるとかっ!

 せめて、スカートだけでもっ……!



ぼく、スカジャーって、どうかと思うんだよね。

 だってさぁ。ボトムスで隠されてるって分かってても、つい気になっちゃうのが、男の性分って物だからさ。

 その楽しみを最初から、根こそぎ、無慈悲にも奪うのって、ねぇ」

「すみません、ちょっと黙ってくれません?

 むしろ、黙れ」

 


 なんか、敬語使うのも馬鹿らしく思えて来た。

 別に成績とかに響かないし、もうタメ口でいっか。



「あっはっはっ。

 ごめん、ごめん。

 まぁ、いじゃない、きちんと足は治せたんだし」

「は?」



 なんて適当な。

 軽い捻挫とはいえ、ただお喋りしてるだけで治るなんて、そんな非科学的、医学的なことわけが……。



「ーーは?」



 ……った。



 え? ……嘘でしょ?

 本当ほんとうに、もう完治してる。

 全然、痛くない。



 ここまで一人で来るのも、大変だったのに。

 誰かに補助に付いててもらえば良かったって、ずっと後悔してたのに。



 なんで……?



「どう?

 これでも結構、名が知れてるんだよ?」



 これが自分の腕前とでも主張するように、先生が、裾を捲った右手で力こぶを作る。



 ……いやいや。

 魔法じゃあるまいし、いくなんでも、それは流石さすがに有り得ない。

 百歩譲って可能だとしても、世界で、最前線で戦えるほどの腕利きが、校医こういで収まってるはずい。



「で?

 余ってる時間、どうする?

 今戻っても、変に疑われるだけだし、折角せっかくの休憩時間が、勿体無くない?

 ぼくが思うに、本当ほんとう甘城あまぎさんは、優等生ではないと思うけど?」



「……」



 しかも、見抜かれた。

 私が成績を維持しているのは、あくまでも両親を仲直りさせたいがためだけなのだと。

 こんな、ほんの一瞬で。



 本当ほんとうに……なんて恐ろしい先生だ。

 徹頭徹尾、抜かりない。

 恐らく、ここで真面目まじめ系を気取った所で、また弱みを暴露され、追い込まれるだけ。



 だったら。



「はぁ……」

 


 これみよがしに溜息ためいきき、私は大人おとなしくベッドに横になった。

 先生は、相変わらず笑顔を崩さずに、カーテンを閉めてくれた。



 ……本当ほんとうに、なにもしないんだ。

 ……少しくらい、ちょっかい出してくれても、いのに……。



「っ!?」



 自分の思考に驚きつつ、余計なことは考えまいと、私は本格的に寝る覚悟を決めた。



 にしても、妙に寝心地抜群だなぁ。

 枕もシーツも、可もなく不可もなくな、普通の出来できなのに。



 などと不思議がっていると、いつしか私は、深い眠りに就いていた。





「ん……」



 これまでで断トツのスッキリ感に包まれつつ、私は目覚めた。

 そのまま上体を起こし腕を伸ばし、だらんと倒して窓の向こうを見る。



 あー……放送が鳴ってる。もう、下校時間か。

 どれだけ、熟睡してたのやら。

 通りで、睡眠時間の割に、目も体も軽いわけだ。



「はいぃっ!?」



 目の前の景色が信じられず、慌ててベッド横のスマホを取り、時計を確認。

 バタバタと騒がしくした結果、先制に気付きづかれた。



「起きた?

 随分ずいぶんお疲れだったようだねぇ」



 カーテンの向こうから、声を掛けてくる先生。

 いきなり無許可で開けなかったのは、ポイント高い。

 


 ……じゃなくってぇ!!



「あ、あのっ!

 誰か、来たりしなかった!?」

「君の幼馴染達なら、もう帰ったよ。

 君の寝顔を見たら、安心したんじゃないかな?

 っても、ぼくは見てないから、分からないけど」

「そう……なんだ……」



 三人の対応まで……。

 どこまで、気が回るのやら……。



「あれ?

 もういの?」



 スマホのカメラで確認しつつ身支度を整え、ベッドを降り、靴を履き直し鞄を持ち、カーテンを開け、私は先生にお辞儀した。



「お陰様で。

 本当に、ありがとうございました。

 でも、今度からはなるべく来ないようにする」 

「それは、なに

 これ以上、ぼくと一緒にると、なにか不都合でも?

 君が、塩対応ばかりで、幼馴染の三人以外とはかたくに交友を持とうとしないことに、なにか関係が?」

「……っ!!

 失礼しますっ!!」



 図星だと気付かれたくないあまりに、私は先生の質問を無視し、保健室を去った。



 こうして私は、先生と……異性に向ける、初めての感情に出会ったのだ。





 認めよう。

 確かに私は、暁月あかつき先生に、主導権を奪われつつあった。

 彼の、全体的に謎だらけな言動に、振り回されつつあるのは確かだ。



 でも、それがなに

 だったら、もう怪我けがなんてしないようければいだけのこと

 なにも難しくなんてない。



 なんて自惚うぬぼれていたのは、間違いだったのだろうか。



 改めて思い返してみると、もっときちんと怪しむべきだった。

 どうして彼は、私のことについて、あれ程までに詳しかったのかと。



「初めまして。

 本日より、甘城あまぎ家で医師を勤めさせて頂きます、暁月あかつき 友生ゆうきです。

 以後、お見知り置きを。静空しずくお嬢様」



 依然として攻めた衣装に身を包み、うやうやしく挨拶する暁月あかつき先生。



 私は悟った。

 もう、退路さえ断たれたのだと。





「あ。おはよう、静空しずくちゃん。

 いや……静空しずくお嬢様?

 なんか、慣れないね」



 ……。



「あれ?

 もしもーし。聞こえてますかー?

 ……体調、悪い?

 起き抜けだから、仕方ないよね」



 …………。



「それより、ご飯の支度、出来できてるって。

 早く、一緒に行こう?

 ね?」



 ……うん。

 えず、言うべきことは、ただ一つ。



「ってに……!!

 ひとの部屋に、入るなぁぁぁぁぁぁっ!!」



 執事じゃあるまいし!

 そもそも、なんで向こうは、いとも容易くカーテン開けたり、自然に振る舞えてるのよ!?

 同棲中の彼氏かっ!



 そんなこんなで、いきなり眠気が覚めた私は、先生に向けて再び鞄を投擲した。



 先生と保健室で出会い、家で再会し、一緒に暮らすようになった翌日。

 翻弄されっ放しの私に、安息の日は、果たして訪れるのだろうか。



 


「あー……あの、イケメン校医こういことかぁ」

地明ちあき、知ってるの!?」  

「当ったり前だろぉ?

 あの先生、学園きっての超絶イケメンだからなぁ!」



 

 クラスメイトで幼馴染、谷代やしろ 地明ちあきに、私は質問をしていた。

 ボーイッシュでフレンドリーな性格がさいわいし、地明ちあきは男女共に好かれているので、ちょっとした情報通なのである。



 まぁ、その所為せいで掛け持ち、急なヘルプ、公平な対応を余儀なくされ、帰宅部なのだが。

 おかげで、朝練中の、まだ人も疎ら時間帯に、騒ぎ立てられずに聞けるのだから、良しとしよう。



「しっかし、驚いたなぁ。

 まさか、浮いた話がほとん静空しずくまで狙うとはなぁ。

 うちは、あの派手派手なファッションで、もう冷めてるからいけどさぁ」



 え? 格好かっこ良くない?

 と思ったけど、胸に秘めた。

 脱線するのも、関係が拗れるのも、どっちも困る。



「あの先生、本当ホント謎なんだよなぁ。

 よー分からんけど、妙な治療法で、気付けば全快してるんだもんなぁ。

 おまけにあの、中性的かつ魔性的な、現実離れしたファンタジックな雰囲気。

 そんなだから、内の学校でも、『Dr.ヴァンパイア』なんて呼ばれてて、早くも七不思議の仲間入だってさ」

「……矛盾してない?」



 何故なぜ、吸血する側が、される側を救うのか。



 などとツッコむと、私の机で腕を組んでいた地明ちあきは、そのまま頭の後ろに運び、椅子いすをギコギコ鳴らして揺らし始めた。



「こういうのは、フィーリングなんだよ、フィーリング。

 イメージにそぐわないとかでなければ、いじゃーん。

 大体、フィクションにはすでに、ドクター名乗ってる魔法使いや、『死の外科医』なんて呼ばれてるトラ男だってるんだぞ?

 それに、頭ごなしに否定から入るのは、名付け親に失礼だ」

「それは、まぁ……確かに……」

「だろぉ?

 てわけ静空しずく、内にジュース奢り決定ー」

地明ちあきだったんじゃない!

 名付け親!」



 真相に辿り着いた私に対し、地明ちあきはケラケラ、ケタケタと笑う。



 なんでこの子は、こういう時だけ、切れ者になるのか。

 それとも、私が騙されやすいのかなぁ……。



「まぁでも、冗談抜きに、けた方がい。

 ああいう手合いは、往々にして、陰でよろしくやってるってのが、ラブコメでは定石だ。

 大方おおかた、あのイケメンも、休日返上で可愛い彼女とデートに明け暮れ、イチャイチャに勤しんでるだろうからなぁ。

 遊びならさておき、本気にはなるなよぉ?

 手痛い目にあうのがオチだぞ?」

「なっ……!?」



 (私が買って来た)コーラを飲みつつ、創作頼りで上からなアドバイスをして来る地明ちあき

 幼馴染、相談を持ち掛けた側の贔屓目を抜きにしても、カチンと来る。



 そもそも。



「別に、そういうんじゃないんだってばぁ!!」





 正直、どこか鼻で笑っていた、地明ちあきの持論。

 予想通り、それは外れていた。



 もっとも、悪い意味でだけど。



「……」



 平日の放課後。

 なにをするでもく街を歩いていると、大人っぽい女性と服屋でショッピング中の先生を、窓ガラス越しに捉えた。



 う、嘘……!?

 まさか、本当ほんとうに彼女持ち!?

 彼女さん、メンタル強過ぎない!? それとも、そっちの趣味が……!?



「除き見は、くないなぁ」

「わぁっ!?」



 い、いつの間に、後ろに!?

 てか、あれ!? 恋人さんは!?



「あの子は、仕事に戻ったよ。

 甘城あまぎさんこそ、こんな所でなにをしてるんだい?」



 ……そんなに時間、経ってた?

 体感だけど正味、たった数分位くらいだったような……。



「……別に。

 ただ、物色してただけ。

 家には帰れないし、皆に迷惑、心配かけたくないから……」



 ……てか今この人、ちゃっかり読心術使わなかった?

 まぁ、もういけど。切りないし。



「そっか。

 それは、好都合」



 伏し目がちに私が答えると、やにわに先生が笑顔になる。

 流石さすがに気になったので、オドオド、オズオズと尋ねる。



「な……なにが?」

「君に、付き合ってしい所があるんだ。  ちょっと、一緒に来て。

 あと、ここから先は、『先生禁止』で」

「へっ!?

 あ、あのっ!?」



 言うが早いか、先生は私の手を握り、青信号になったりタイミングで、横断歩道をダッシュした。



 この人、なんでこうも突然で、おまけに話

、聞かないのぉ!?





 なんことい。

 私が連れて来られたのは、なんの変哲も変化球も変態性もい、一般的な場所……ようは、服屋だった。



「ごめんね?

 無理矢理な上に、急に誘っちゃって。

 ちゃんと、埋め合わせするから」



 手を合わせつつ、謝る先生。



 ……ズルい。

 そんなふうに下手に来られちゃ、怒るに怒れない。



「……別にい、そういうの。

 それで? どうして私を?」

甘城あまぎさん。

 これ、どうかな?」



 ……この人、どこまでも話、聞かないな。

 ってのはさておき、先生は私に、白ワンピを見せて来た。



 ……彼女へのサプライズ、プレゼント?

 なるほど……それで、異性の意見を聞きたいと?

 まぁ確かに、家でも顔を突き合わせている都合上、私には相談しやすいんだろうけど………



 だったら、睛子しょうこさんでも良かったんじゃあ……?

 あーでも、あの人、既婚者なんだっけ……。

 いや……そもそも、彼女以外の異性に聞くのも、どうなの?

 先生はまったく意識してないんだろうし、他に手はいし、一人でチョイスさせるのは些か不安だけど……。



甘城あまぎさん?」



 先生に呼ばれ、ハッとした。



 いけない、いけない。

 私は今、感想を求められているんだった。

 なら、きちんと責務を果たさないと。

 いくらアポ無し、理由が見えない、メリットも特にいとしても。

 そうみずからに言い聞かせ、切り替える。



 ……白ワンピか。悪くはない。

 王道ってか、「男の人って、こういうの本当ホント好きだよね」感が凄いけど。

 可愛い系の彼女にも、きっと合うだろう。



 ただ……。



 ジーッと眺め、頭の中の恋人さんに会釈し、着せ替え開始。

 が……結果は同じだった。

 となれば、開き直る他無い。



「……ちょっと、物足りないかも。

 春らしい、ピンクのカーディガンやジャケットとか、足してみる?

 あるいは、桜のヘアピンとか……。

 ちょっと気が早いけど、白いテンガロンハット、麦わら帽も捨てがたい……となると、リボンも複数、揃えたい……。

 あ。空色のストールとかも、合うかも。

 小物も欲しいなぁ。肩掛け鞄とか」



 て……今度は、がっつき過ぎてしまった。

 ていうか、もう完全に塩対応なんかじゃなくなってるじゃない、私!



 あー、もぉ……。

 なんか、途端とたんに恥ずかしくなって来た……。

 そもそも私、初対面ですらないし、私が着るわけでもないのに……。



「あははっ」



 齷齪あくせくしていると、いきなり先生が笑い出した。

 ただ、人目を引くほどの声量ではない辺り、大人だ。



「……分かった。参考にしてみる。

 ありがとう、甘城あまぎさん。

 はい、これ。お礼」



 どこからともなくソフトクリームを出し、私に手渡す先生。



 ……この人、マジシャンこそを生業なりわいにすべきなんじゃあ……?



「って、ないしっ」



 気付けばまたしても、姿が見えなくなった。



 ……考えてても仕方しかたい。

 大人おとなしく、外で食べてるとしよう。

 ただ、商品に付けたりしないようにだけ注意しよう……。



 そう決心し、私は服屋を出て、近くにあったベンチに座り、ソフトクリームを頂くのだった。



 ……本当に、どこから出したのか。

 そもそも、前以もって準備してたらしい割りには、まったく溶けていないのは何故なぜなのか。



 案外、本当にファンタジックだったりして。

 魔法使いとか、ヴァンパイアとか、悪魔とか……。

 死神、とか? 格好からして一番いちばん、それっぽい。



「なーんてね……」



 みずからの想像力の豊かさを一笑しながら、私は再び、ソフトクリームを食べ進め始めた。





「置いてくなんてひどいよ、甘城あまぎさん」



 買い物を終え帰宅した先生が、開口一番に不満顔でげた。

 私は、腕を組みつつ素知らぬ顔で返す。



「別に約束なんてしてないし、ましてや、そんな親しい間柄でもない。

 誰かに見られて騒がれるリスクを回避したのも含め、最適な距離感、判断だと思うけど?」

「だったらせめて、メッセくれたら良かったのに」「……知らないのに、どうやって送れと?」



 私が正論を突き付けると、「あ、そっか」と先生は納得した。

 さては、すでに教え合ってるもりでいたな?



「じゃあ今、交換しない?」

「必要性と緊急性とメリットを感じない」

「そう言わずにさ。

 ほら。振るだけでいからさ。

 それなら、甘城あまぎさんにでも出来できるでしょ?」

「……先生の中で私が、『友達の少なさが災いした『機械コミュ音痴』的な位置付けになってるのが心外なので、お断りします」

いから、いから」   



 いや何も、どこもくないんですけど?

 距離感おかしいの、そっちじゃない?

 


 などとツッコミつつも、仕方しかたくスマホを出す。



 そう。これはあくまでも、仕方しかたくだ。

 だって、ここで却下した結果、学校や町中で求められても困るし。

 単なる、妥協案だ。



「……あ。

 そのシステム、もう無くなったんだった」

「……」



 ……この、ルーズ男。

 折角せっかくこっちが、めずらしく折れたっていうのに、外しおってからに。



 まぁ、い。

 これで、プライベートを変に詮索されずに済む。

 寝室のみならず、スマホにまで無断侵入されては、堪らないし。



 ……別に、落ち込んでなんてないんだから。

 ちっとも、これっぽっちも、残念なんかじゃないんだから。



「なら、どうしようもないですね。

 先生、事前準備にもっと入念になった方がいですよ?

 リード下手ベタは、異性に嫌われます。

 それじゃ、大人おとなしくあきらめてください。

 願わくば、私の前からも消えてください」

「急な敬語、怖っ!?

 まぁ、いや。

 それはそうと、はい」



 いや、いんかい。

 てか、なに? この袋。



 プレゼント?

 私に?



「……なんで?」

「お近付きの印。

 それじゃあ、またね。甘城あまぎさん。

 あ……ぼくの部屋には、いつでも来てくれて構わないからね?」

「分かった。

 じゃあ、先生を逮捕するために、警察と行く」

「それは、それだけは流石さすがめてっ!?」



 ……自覚は有るんだ。

 なんか結構、安心した。



 なにはともあれ。

 私は先生と別れ、自分の部屋に戻ってから、先生に渡された袋の中身を確認。

 そして、驚嘆した。



「これ……」



 さっきの、服?

 しかも、私が提案した物、一式揃えてる。

 それでいて、高そうなのばっかり。



なんで、私に……?」



 本格的に疑問に思っていると、持ち上げた服から、ヒラヒラと、紙切れが落ちて来た。

 私は、それを無言で拾い上げる。



 ……メモ?



『いつも、困らせちゃってごめん。

 よかったら、受け取ってください。

 p.s.一緒にたのは、従姉妹です』



 ……なんだろう。

 この、なんとも言えない、完敗感は。



「……あれ?」



 よく見たら、裏にもなにか書いてある。

 これは……ID?

 


「意外と抜け目ないなぁ……」



 どこがルーズなんだか。

 まったく……なんというか、本当に。



 っと。

 こうしちゃ、いられない。

 頂いた以上、きちんとお礼を返さないと。



 そう思い、制服のままベッドにダイブ。

 スマホを構え、先生のアカウントをフレンド登録し、初メッセを送る。



『まわりくどかったけど、受け取った。

 プレゼント、ありがとう。


 これからも、程々によろしく。

 しょうがないから、相手してあげる』



 ……なに様なんだ、私は。

 とてもじゃないけど、感謝してるようには映らない。



 ま、いっか。

 飾らない本音だし。



「よっと」



 まだ制服だったことを思い出し、私は着替え始める。

 


 そこで、はたと気付きづいた。

 早速、着てみたいと。



「……まぁ、折角せっかくだし……」



 言い訳めいた発言をしつつ、私は白ワンピを装備。

 そのまま全身鏡の前で、モデル気取りでポーズ取ったり、クルッと一回転してみたり、ランウェイごっこしてみたり、見えない範囲でピラッとしてみたりした。



 とまぁ、ここまで来ると、他のも試してみたくなるのが性分であって。

 


 まぁ、あれだ。

 使わないでいるのも、失礼だしぃ?

 

 

 などと、普段の失言っりを棚に上げ、私は再び、袋をオープン。

 海賊王みたいに両手で二つの帽子を回したり、空に打ち上げ、被ったり腕で転がしたりと宴会芸、大道芸のノリで遊んだり。

 あるいは、他のアイテムを普通に装備したり。



 ……こうして見ると、使いみちに困るスキルばかり身に着けたな、私。

 退屈な一人時間を持て余し過ぎた結果だけど。

 


 などと自嘲しているとコン、コンと、ドアをノックする音が聞こえる。

 入室を許可しようとする私だったが、微妙に恥ずかしい格好なのを思い出し、踏み留まる。



静空しずくちゃん?

 ぼくだけど」

「わ、分かってるっ。

 ちょっとタイム」



 着替え直してる時間……は、いっ!

 制服は……散らかしてないっ! 数分前の私、グッジョブ!

 となれば、急いで髪だけ整え……って、見えてないのに、なんでっ!?



 違うから!?

 意識してるとか、少しでも可愛く見られたい、ドキドキさせたいとか、そういうんじゃないからっ!?

 あくまでも、異性! 引かれたくないだけで、決して惹かれてるわけじゃあ……!!



 って、そうじゃない!

 早く、先生に話をさせないと!



 などと一人コントを繰り広げたあと、呼吸を落ち着け、ドア越しに先生に声をかける。



「……なに?」

「晩御飯出来できたって、睛子しょうこさんさんが」



 ……それだけか。

 褒めに来たわけじゃないのか。



 ってぇ! 当たり前じゃない!

 何、その気になってるのよ!? 私っ!

 ただただ、痛いじゃない!



「……分かった。

 ぐに行く」

「うん。

 それとさ、静空しずくさん。

 さっきは、ありがとう」



 ……フレンド登録のこと

 別に、感謝されるほどじゃなくない?

 律儀だなぁ。


 

「そんな、改まって言わなくっても……。

 あれ位、私にだって……」

「そっちだけじゃ、なくってさ。

 そのぉ……。

 ……思った通り、すごく似合ってる。

 早速、着てくれて、ありがとう」

「……」



 もしかして……。

 ……バレた?



「かっ……てにっ……!!

 私の心に、不法侵入するなぁっ!!」



 ……本当ほんとうに、この人とやって行けるのだろうか。

 私は。





 体育祭。

 文化祭。

 卒業式。

 三者面談。

 授業参観。



 私は、これの類いが苦手だ。



 その理由、共通点、心は、ただ一つ。

 軒並み、家族が出席するタイプのイベントだからだ。



「……そうですか。

 やっぱり、無理でしたか」



 先生と暮らし始めて、そろそろ一週間になる頃。

 二人だけでの食事中に、私は睛子しょうこさんから、明日の三者面談に、両親がそろって不参加だと教えられた。

 


 ……分かってる。

 最初から、さほど期待なんてしてない。

 元々、二人は常に仕事に追われてて、一緒に食事したことだって、久しくほどだ。

 なんなら、どちらかと向かい合って食べた記憶さえ、すでおぼろげ。



 いや……それを抜きにしても、二人は犬猿、敬遠の仲。

 それはもう、この家に居辛くなるほどに。



「……お嬢様。

 やはり、私が代理で……」

睛子しょうこさんは、この家を守らなきゃいけないじゃないですか」

「ですが……それ以上に、私はお嬢様の幸せを、笑顔をお守りしたい所存です」

「お気持ちだけで充分です。

 いつも通り、私は一人で大丈夫ですから。

 気を遣わないでください。

 ごちそうさまでした」



 一方的かつ強引に話を切り、その場を去る。



 駆け足で部屋にもどり、ドアを締めロックし、凭れかかりながら、堪え切れずに泣き出す。



「『気を遣ってる』のは、どっちよ……。

 私の、馬鹿バカ……。嘘吐き……」



 もう一度、言おう。

 私は、両親に『さほど期待していなかった』。



 裏を返せば……ほんの少しは、本心では、願っていたのだ。

 父親でもなく、母親でもなく。二人が笑顔で、私を見守ってくれている、間違っても有り得ない現実を。





 参観日、当日。

 当たり前のことだが、私の両親は、待てども来なかった。

 廊下や後ろを眺めるのも億劫、恥ずかしくなって、私は机に伏せた。



 ……なにを今更。

 分かり切っていたじゃない。

 割り切っては、いないけど。



 なんて、気落ちしていた、正にその時。



「お、おい、静空しずく……!

 後ろ、見ろ……!

 物凄いイケメンがるぞ……!」



 席替えで前の席になった地明ちあきが、つぶやいて来る。

 耳を澄ませば、確かに辺りがザワついている。



 大して興味はいが、これ以上、地明ちあきに騒がれるのも不満なので、私は視線だけ向ける。

 結果……絶句した。



 そこにたのは、確かにイケメンだった。

 ピシッとした、シックなスーツ姿が決まっていて。

 無造作ヘアも、きっちりハマっていて。

 高級感があり、それでいていやらしさはい腕時計も、ばっちり似合ってる。



 そんな、いつもとはまるで別人の……奇抜ではない、暁月あかつき先生がた。



「あ」



 目が合い、急いで体を戻す。

 が、すでに手遅れ。

 暁月あかつき先生は、それまでの大人びた雰囲気を台無しにする、無邪気な笑顔を浮かべ。



「お嬢様ー!

 ファイトでーす!」

「〜っ!!」



 駄目ダメだ。 

 応えたら、色々と不味まずい。

 ここは、無言を貫いて、赤の他人を装わないと。



 ていうか、フォーマル姿で来るんなら、ちゃんとキャラまで仕上げて来てよ!!



「お嬢様って、誰のこと?」

「ほら、あの子じゃない?

 学年トップで、部活にも合コンにも参加してない、イケメン百人切りした、甘城あまぎさん。

 なんか、お金持ちらしいし」

「あー……いつも幼馴染と一緒にる、あの……」



 バレるの、早くないっ!?

 ていうか、不参加なのは事実だけど、あなたたちには関係無くない!?

 あと私、悪くなくない!? 普段、まったく話してない、大して知りもしない男子にオッケーする方が、色々と問題じゃない!!



「……静空しずく?」

「もしかして……」

静空しずくの関係者?」



 左隣の恵海めぐみ、右斜め前の木香このか、前の地明ちあきに、ぐに見抜かれてしまった。

 これは、不味まずい……。


 

「……ごめん、皆……。

 ちょっと、静かにしてて……。

 あとで、クレープ奢るから……」

「マジでぇ!?

 チョコ・カスタード・ホイップ・アイス・マカロン・クッキー・りんご・ナッツ・パフ・みかん・シロップ・ハニー・マシュマロ・シリアル・レモンチーズケーキ!?」



 ……なんで一枚に収まったのだろうか。

 完全にパンケーキの域じゃない。

 いや、それでも怪しいよーな……。



なんでもいから、大人おとなしくしてて……?

 ね……?」

「っしゃあ!!

 任せろ!!」

ついでに私、ちょっと調子悪いみたいだから、当てられたら助けてくれない……?

 ドリンクも付けるから……」

「おうともよ!!」



 手始めに地明ちあき、買収完了。

 他の二人も、了承してくれたらしく、うなずいてだけくれた。

 なにはともあれ、これで難は逃れた訳だ。



 にしても……。



「……なんで来るのよ。

 先生の、お馬鹿バカ……」



 ボソッと悪態をきつつ、私はスマホを持ち、文句の一つでも言ってやろうとする。

 が、そのタイミングで本鈴が鳴り、担任の先生が入室し、しまわざるを得なくなる。



 こうなった以上、抗いようい。 さいわい、今回は国語の授業。

 前回、私はすでに音読したので、ず指名はされない。

 ただ、黙って聞いていれば良いのだ。



 などと、高を括っていると。



「前回は、えと……誰まで進んだっけ?」

「私の前までです、先生」

「おぉ、そうか。

 親切にありがとう、出住いずみ

 んじゃあ、最初の文を……出住あまぎ

 読んでくれ」



 ーーん?

 


 あ、あれ?

 先生、今、何て……?



「っかしいなぁ。

 今、私は確かに、『出住いずみ』を指名したはずなんだが……。

 じゃあ、改めて……出住あまぎ。読んでく」



 言葉を止め、右手で喉を弄る先生。

 妙な空気を感じ取り、教室がにわかに騒がしくなる。



 ……違う。

 先生は一切、巫山戯ふざけてなんてない。

 この人は、少し抜けているけれど、真面目まじめなタイプ。

 こんなふうに、自分からボケたりしない。



 と、いうことは……。

 呼べないんだ。私の名前以外を、何故なぜか。



「お嬢様。

 あまり、先生を困らせないでください。

 さぁ、さぁ。早く、お読みください。

 静空しずくお嬢様の、鳥の囀りさえ上回る魅惑の、透き通った美声を、この教室に、どうぞ高らかに響き渡らせてくださいまし」



 意味もく腕を伸ばし、演技がかった口調でしゃべ暁月あかつき先生。

 刹那せつな、横に居る女性が、彼の胸に肘打ちをお見舞いする。



「……」



 く分からない、けど。

 どうやら、避けては通れない、か……。



「先生。

 私、読みます」

「おぉ、そうか?

 すまんな、甘城あまぎ



 覚悟を決め、教科書を構え、私は起立する。



「よっ!

 静空しずくお嬢様、日本一、ぐえっ!!」 



 またしても要らぬ茶々を入れる暁月あかつき先生の足を、女性が笑顔で踏む。

 しかも、ピンヒールで。



 一体、どんな関係の知り合いなのか。

 気にはなるが今、解決すべきは、目の前の問題。

 差し当たって、教科書の音読である。



「ファイト……です……」

「緊張しないの。

 リラックスよ、静空しずく

「一発、ド派手に噛ましたれぇ!!」

「……地明ちあき、林檎カット」

「嘘ぉん!?」



 ……そこまで?

 あれだけ具材入ってるんだし、一つくらいくない?



 とまぁ、それは置いといて。

 三人のアシストを受け、私は淡々と読み終えた。



「ありがとう、甘城あまぎ

 おかげで助かった。

 しっかし、どうなってるんだ、一体……」

「きっと、お疲れなんですよ」

「単に、緊張しぎなんじゃないのー?

 もしくは、静空しずく狙いとかー?」

地明ちあき、レモン抜き」

「フルーツばっか取んなよぉっ!?

 レモンチーズケーキからレモン取ったら、何が残ると思う!?

 チーズケーキだけじゃないかよぉ!!」



 すごく頭の悪そうなことを力説する地明ちあきは置いといて。

 えず、これで今度こそ、私はお役御免のはず



「じゃあ、続き。

 甘城あまぎの後ろの、溝呂木あまぎ



 今日になって明かされた、衝撃の事実。

 どうやら、このクラスに『甘城あまぎ』は二人居るらしい。

 そんなにありふれた名前でもないし、この席順は自由制なので、とんでもない、それこそ運命的な確率である。



 ……そんなわけい。



「お、おい……。

 私は本当ほんとうに、どうなってしまったんだ……?」



 ……こっちが聞きたい。

 本当ほんとうに、なにが起こって……?



静空しずくお嬢様」

「っ!?」



 いつの間にかそば暁月あかつき先生。

 耳つぶしながら、教科書の、次の文章を指差す。


 

「ここですよ。

 ここを読めばよろしいのです。

 簡単でしょう?」



 ち、近いっ……!?

 てか、なんで私、こんなにドキドキして……!?



「先生」

 暁月あかつき先生を押し退け、再び立ち上がる。

「私、読みます」



 と、こんな調子で、またしても読み始める。



 結局、この日の授業はすべて、私が読んだ。

 四回目からは、本格的に手間に思えたので、終業のベルが鳴るまで音読し続けたのだった。



 なお、その結果、地明ちあきが食べられるクレープが皮のみ(ドリンクもキャンセル)になったのは言うまでもい。





「ま、待ってください!!」



 ホーム・ルームのあと、帰宅途中の暁月あかつき先生に、慌てて声をかける。



 開口一番に放つ台詞セリフは、うに、自ずと絞られていた。



さっきの、あれ……。

 なん真似マネ、ですか……?」



 息を整えながら尋ねる。

 先生は、私の方へ体を向けながら、笑顔で答える。



「ああすれば、緊張が解れるかなぁと。

 いやぁ……我ながら、慣れないことをしちゃったよ。

 恥ずかしいったら、ありゃしない」

「そっちじゃない!

 いや、それもるけど、その前に!」



 態勢を直し、改めて問う。



「先生の仕業でしょ?

 さっきの、『私の名前しか呼べなくなる』怪奇現象。

 どんなトリック?」

「君は一体、ぼくなんだと思ってるんだい?」

「初対面の生徒をジャージ姿でベッドで寝かせ込んで、家まで転がり込んで、熟睡中の女性の部屋に無断で入り込んで、拒んでいる未成年に連絡先交換を頼み込んで、『いつでも部屋に来るように』と主人に誘い込んで、彼女でもない相手と選んだ服を身内でもない異性に極秘でプレゼントに仕込んで、女子高生を見に平日に学校まで忍び込んで、不審な点が込んでる、心に上がり込んでる、神出鬼没の耳つぶ魔」

「ちょっと情報量と悪意多いですね」

「身から出た錆。

 まぁ、詮無いので色々置いといて。

 どうして、あなたが?」

「決まってるじゃない。

 ぼくに憎まれ口と鞄ぶつけてばっかの、ソルティお嬢様の応援だよ」

「レスバ弱いなぁ」

「君のガードが固過ぎる所為せいでしょ?」

流石さすがに、その不満をぶつけられるのは、不愉快な上に初めてなんだけど」



 なんでこの人の前だと、こんなに長話をしてしまうのか。

 まぁ、九分九厘、この人の、良く言えば親しみ易さ、悪く言えば慣れ慣れしさが原因だろうけど。



「まぁ、多目に見てよ。

 こうして巫山戯ふざけ合えるのも、今日までなんだから」



「え」



 普段と変わらない調子で放たれた、あまりに突然の、エイプリルフールにしては遅過ぎる、笑え無さぎる宣告。



 春風に髪を踊らせ、はにかみながら、先生は続けた。



ぼく……この町を、出るんだ。

 君とは、もう……一緒にられない」





 先生の衝撃発言から、数時間後。

 


 泣いて縋る地明ちあきの分も込みで、三人にクレープとドリンクをサービスし、みんなと別れ帰宅し、制服のままベッドに埋まる私。



 ……恵海めぐみにも言われたが、今の私は、心ここにらずだ。



 そもそも、わけい。

 暁月あかつき先生が……初めてドキドキした先生が、保健室からも、私の家からも、なくなってしまうと、知らされて。



 神出鬼没、いつも突然で勝手だとは常々、思っていた。

 でも、ここまでとは、流石さすがに予想外だった。



 なんて落ち込んでいると、不意にドアを小さく叩く音が木霊する。

 この音量、リズムは、間違いない。



 暁月あかつき先生だ。



「……静空しずくちゃん?

 ちょっと、いかな?

 なんなら、ドア越しでも構わないから」



「〜っ!!」



 この人は、本当ほんとうに……!! 

 どうしてこうも、私を振り回すのか……!!

 そもそも、これじゃあ連絡先交換した意味がいじゃない!!



「ま、待って!

 五分……いや、十分でいからっ!!」

「……なんで伸びてるの?」

「色々、るのっ!!

 それから、ちょっと離れてて!

 聞き耳とか、立てないでよっ!?」

「……もしかして、振り?」

「じゃないっ!!」



 明らかに男性ウケの悪そうな理不尽な態度を示しつつ、いそいそと準備に取り掛かる。

 


 その途中で、思う。

 この人は、こういう私のリアクションを楽しんでる愉快犯なのではないだろうか、と。





 そんなに狙ってない、あざとくない、ダサくもない、無難な、けれど念のため内側だけ僅かに攻めてる、勝負してる服に着替えたあと

 私と先生は、クッションに座りつつ、テーブルを挟んで向かい合っていた。

 


 今の私、大丈夫かな……?

 流石さすがに、香水とブレスケ○は、気合入りぎかな……?

 でも、学校帰りだし、体育マラソンだったし、お風呂と歯磨きまだだし。

 あ。そういえば、ご飯もだった。

 お腹鳴ったり、しないよね……?

 にしても、良く十分で、ここまで整えられたな……今回ばかりは、素直に自分を褒め称えたい……。



「……さっきの、話だけど」



 やっぱり。

 そう来ると思った。

 だって、先生が私の部屋を訪問する理由が、他に思い付かなかったから。

 最近、食事の連絡は睛子しょうこさんに、スマホで済ましてもらえるようにしたばかりだし。



「……うん」



 大丈夫。

 気持ちの準備なら、気が得ながら済ませた。

 ちゃんと、聞ける。



「……もう、察してるかもだけど。

 僕は元々、君のお母さんに依頼されて、ここに来た。

 君の学校に一時的に赴任したのは、君の心身のケアも、お母さんに頼まれたからなんだ」



 ……薄々、気付きづいてた。

 あれだけの腕を有した名医が、校医こういをするためだけに来たのも、理由も明かさずに我が家に来たのも、おかしいと。

 


 きっと、お母さんの体を治すのがメインで、来たのだと。



「でも……。

 ここを去る、ってことは……」

「……ご推察の通り。

 君のお母さんは、僕でも治せなかった。

 保健室にる間も、怪我けがをした生徒、先生が訪れない限りは、僕はお母さんの治療法を模索していた。

 けど、それでも駄目ダメだった。

 叩きのめされたよ。自分は、非力ではなく、無力だったんだと」

 


 初めてだった。

 力無く、切なく、儚く笑う、先生を見るのは。



「だから、思った。

 お母さんを治せないのなら、せめて、二つ目の依頼は完遂しよう。

 君の心を、孤独を、痛みを、少しでも和らげなくては、と」



 腑に落ちた。

 それが、必要以上に私に構って来た理由なのかと。



 つまり……先生は別段、私を意識してなんていなかった。

 ただのビジネス、リップサービス、ご機嫌取りだったのだ。



「って、言うもりだったんだけどな。

 でも、実際は、少し違う。

 仕事とか、同居人とか、主人とか、生徒とか。

 そういう大義名分じゃなく。

 気付けば少しずつ、君に惹かれる自分がた」

「え……」



 流れが、変わった。

 先生の、様子ようすと共に。



「……静空しずくちゃん。

 僕は……」



 言おうか言うまいか悩んだあと、意を決して、先生は私を見詰めた。



「こんなの、ご法度、言語道断……公私混同なのは、百も承知だけど。

 プライベート的な意味で、君を知りたいと切望するようになった。

 君を……恋愛的な意味で、好きになりつつあった」



「……じゃあ、てよ」



 ひざの上で握り拳を作り、涙ながらに、私は訴える。



 先生との距離が、私達を遮るテーブルが、もどかしく思えてならなかった。



「……私のこと、そういうふうに見てるなら。

 私に、ほんかすかでもチャンスがるのなら。

 ……そばてよ。

 先生……」



「……分かってしい。

 いや……さとい君なら、すでに織り込み済みのはずだ。

 僕は、君の『先生』であり、君の『使用人』。

 君は、僕の『生徒』であり、僕の『主』。

 加えて君は、現役の高校生。

 そして僕は、立派かどうかはさておき、一人の大人。

 今の時代で僕達が結ばれるには、あまりに壁が大きく、多く、分厚過ぎる」



 ねぇ、先生。

 なんで、こっちを見てくれないの?

 どうして、私と目を合わせてくれないの?



「言い訳して逃げないでよ……!」



 せきった私は、バンッ!、とテーブルを叩き、先生に主張する。



さっきから先生、私について一切、触れてない!

 世間体とか、常識とか、世論とか時流とか、そういうのばっか!

 先生は、私のこと、どう思って」

「愛してるに決まってんだろっ!?」



 これも、初めてだった。

 先生が、ここまで語気を荒げるのも。

 心情を、吐露するのも。



「そうだよ、『好きになりかけてる』なんて嘘っぱちだ!

 ぼくはもう、君しか考えられない!

 ぼくにはもう、君しからない、でもっ!

 それじゃ駄目ダメなんだよ、静空しずくぅっ!!」



 先生の雰囲気に押され、飲み込まれ、無言になる。

 暁月あかつき先生は一旦、冷静さを取り戻し、大人っぽく続ける。



「……前にも言ったろ?

 これでもぼくは、そこそこ名が知れてるんだ。

 未成年で患者の君と特別な間柄になったのを、週刊誌にでも取り沙汰されてもみろ。

 僕の人生のみならず、君の人生も終わりだ。

 清廉潔白でありながら、そうやって面白半分、実しやかに職を奪われ、破局し、すべてが破綻し、精神的にも肉体的にも社会的にも追いやられた気の良い同士を、ぼくは何人も目の当たりにしてる。

 気にするなって方が、無理なんだよ」



 ……読んでた。

 立場上、先生が安易にうなずけないのも。



 だからこそ、用意していた。

 それに対する、反論も。



「だったら、あと二年……ううん。

 何年だって、待つ。

 恋人として先生の隣になってても、誰にもなにも言われない、立派な、自立した、大人の女性になる。

 それくらい、余裕。先生だって、知ってるでしょ?

 私、処世術には長けてる」



「じゃあ、なにかい?

 君のこれからの数年間を、僕だけに捧げさせろと?

 君の、たった一度の青春、高校生活を、僕に奪わせろと?

 僕なんかよりもっと優れた男と出会えたかもしれない期間を、可能性を、他でもないぼく自身に、費やさせろと?」

「……先生よりい男なんて、ない。

 そもそも、そんな簡単にうつつを抜かすほど、ヤワじゃない」

「分からないじゃないか、そんなの」

「分からず屋なのは、先生の方でしょぉ!?」



 抑え切れずに、私は先生に駆け寄り、抱き着いた。



 先生の胸は、割と引き締まっていて。

 ゴツゴツしているのに、妙に落ち着いて。

 まるで、保健室のベッドのようだった。



「私……もう、好き避けしない。

 先生が言うなら、他の人にも素直になるし、友達も増やす。

 あるいは、このまま、先生にだけ甘える形でも構わない。

 そんなに我儘言わないし、強請ねだらないし、記念日とか忘れられててもあまり怒らないようにするし、先生が他の女子に絡まれてもなるべく拗ねないようにする。

 私、い子に……先生の理想に少しでも近付けるよう沢山たくさん、勉強するから……!!

 ……だからぁっ!!」



 意図的に体を押し当て、私は打ち明ける。

 恐らく一世一代になるだろう、告白を。



「私を、私だけを、私こそを、選んでよ……!!

 ……ぃ……!!」



 全力だった。

 本気だった。

 これが、今と私に出来できる、最大、最強、最後のアピールだった。



「……そういう、色仕掛けでたらし込む辺りが、子供だって言ってるんだ」

 

 

 けど、駄目ダメだった。

 先生は私を離し、遠ざけた。

 もう一度、今度こそ繋ぎ止めたいと思わせる、複雑な面持ちで。



「……静空しずく

 僕は、医者だ。

 僕には、これから先、沢山たくさんの命を、身体からだを、人生を、心を、未来を救う使命がる。

 君には悪いが、ここで人生を踏みにじられるわけにはいかない。

 君にばかりかまけていられないんだよ」



 そうだ。

 先生は、そういう世界を生きているんだ。

 私が、足枷になるわけにはいかない。



 でも……。



「人の家に、心に……恋路にまで、ズカズカ、ズケズケ踏み込んで……。

 さんざ、自分仕様に踏みにじって。

 今更、どの面下げて、言ってるのよ……。

 こんなに……こんなに、友生ゆうきを想ってるのに、どうして……。

 ……どうして、私のすべてを、独り占めしてくれないの……?」


 

 初めてだった。

 こんなにも誰かを、一心に想ったのは。

 いつも振り回されて、困り果てて、突っぱねて、恥ずかしい所ばっかり見られて、なのに嫌いにだけはなれない。

 そんな……初めてだらけの、初恋だった。



 どうしても、あきらめたくなかった。

 暁月あかつき先生を……友生ゆうきを、手放したくなかった。

 


「君なら、そう言うと思った。

 ……出来できれば、この手だけは使いたくなかったんだけどな」



 そうげ、グローブを外した右手を、先生は私の頭に置いた。

 


 まさか、ナデナデなんぞで手を打とうなんて思ってるんじゃあ……と、振り払おうとした、次の瞬間。



 私は突然、強い眠気を覚えた。



「な、に……これ……」



「言ってなかったね。

 僕の専攻分野は、心理学。

 簡易的ではあるが、僕は人の心、記憶を操れるんだ。

 今、君の精神、脳に負荷をかけた。

 俗に言う、催眠術って奴だ。

 ついでに、僕に関する記憶も、眠らせる。

 君が僕を思い出すことは、もう二度とい。

 君は、僕というしがらみから解放される。

 君は、もう……自由に、生きていんだ。

 でも、もし……僕の洗脳を、弱さを、君の思いが、記憶が、いつか上回ったのなら。

 その時こそは、もう迷わない。君を、迎えに行く。       

 今度こそ本当ほんとうに、堂々と、君と幸せになるために」



 真面まともに体を動かせなくなった私を抱き抱え、ベッドの上に寝かせ、布団ふとんをかける先生。

 その顔は、誰が、いつ、誰と、どこで、どのように見ても、明らかに悲痛そうだった。



 違う……私は、こんなエンディングを望んでたんじゃない。

 


 助けなきゃ……友生ゆうきを。

 初めて本気になった、大切な……大好きな人、を……。



「ゆ、う……。

 ……きっ……」



 伸ばした手が、虚しく空を掴み。

 そのまま、力無く垂れ下がり。



 視界がボヤけ、揺れ、真っ黒に染まり。



 そして、私の意識は、記憶は、途絶えた。

 友生ゆうきを、たった一週間だけの初恋を、道連れにして。





 恋なんて、したいと思わなかった。

 むしろ、したくないとまで思ってた。


 

 恋をしてカップル、夫婦になった所為せいで、私の両親は、絶えず喧嘩していたから。



 あんなふうに周囲、特に家族、娘に辛い思いをさせるくらいなら、私は誰とも付き合わないし、誰にも恋をしない。

 そう自分に、ずっと言い聞かせていた。



 だから、異性とは親しくなろうとしなかった。

 そういう風に見るのも、見られるのも、いやだったから。

 そんな態度を示し続けた結果、痴情の縺れみたいになるのもいやだったから、三人以外には、同性の友達も作らなかった。

 そうやって私は、意図的に、クラスで浮いていた。



 そう。

 恋なんて、幸せに対する、単なる阻害因子。

 呪いで、呪縛で、ネック。



 ましてや、初恋なんて尚更。

 よしんば失敗したら一生、悔いが残るのだから。



 だから、私は恋をしない。 

 恵海めぐみ地明ちあき木香このか、そして仲良くなった両親と、いつか現れるかもしれない家族がれば、それで充分。



 そう……思ってたのにな。



静空しずく……なんか、変わった?」

「……なにが?」

「分かんないけど、こう……雰囲気?」

 柔らかくなった、ってーか…… 



 通学中に地明ちあきに唐突な質問を受け、私は吹き出してしまった。



なにそれ……。

 別に、なにいと思うけど……」

「っかっしーなぁ……

 どうにも、うちの恋愛センサーが反応するんだけどなぁ……」

地明ちあき恋愛脳過ぎるだけ。

 あと、そのセンサー、修理に出した方がいよ?」



 冗談を飛ばすと、地明ちあきは目を丸くした。

 ……そんなに、可笑おかしかったかな?



「……やっぱ変わったって、静空しずく

 今までも最高に仲良くしてたもりだったのに、限界突破したってーか……」

「……別に、なにも変わってないよ。

 だって、なにも言われなかったから」

「誰に?」



 地明ちあきに追求され、確かに……と、ハッとする。

 そのまま、無意識に足を止め、考え込み、記憶を検索する。

 が、ヒットせず、眉間にシワを寄せる。


 

 私は一体、誰に、なにを言ってしかったのだろう。



「……分からない」

「ふーん。

 まーでも、あれだ。

 正体は謎仕舞いだけど、とりま、その誰かに感謝だな。」

地明ちあきは、ポジティブだなぁ。

 別に、い人なのかどうかさえ、不明なのに」

うちの親友を成長させてくれたんだ。

 見た目も性格もイケメンに決まってる!」

「……地明ちあきのそういう所、ちょっと羨ましいかも」

「でしょ?」



 ニカッと笑い、叫びながら、地明ちあきは突然、猛ダッシュを始める。

 本当ホント……青春してるなぁ。



 私は、特に意味もく、青空を見上げる。

 相変わらず理由は分からないけど、なんだか、胸がスッとした。

 けど、どこか寂しいような気もした。



静空しずくー」

「おはよう……です……」



 呼ばれて正面に戻すと前方から、恵海めぐみ木香このかを引き連れ、地明ちあきが戻って来る。

 もしかして、迎えに行ったんだろうか。



「……うん。

 今行く」



 拝啓、どこの誰とも知らない、誰かさん。

 私はこれからも、大切な幼馴染と一緒に、生きて行きます。



 だから、もし、あなたが未来にるのなら。そのまま、どうか待っていてください。

 私も、いつか、あなたに会いに行くので。



 甘城あまぎ 静空しずく

 初恋は、まだ未経験。

 でも……いつか初恋になってしい経験、ビジョン、願望なら、こっそり持ってる。

 


 これは、そんな私の、秘密で不思議な、恋の物語。

 ずっと忘れない、きっと思い出す、大切なお話。

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