第60話


「あったかい。」



アキ君の鳴らした1音目は、まぎれもなく暖かかった。どこか悲しい曲調なはずなのに、すごく暖かく聞こえた。



「茉穂ちゃん。これだよね。」



私は愁君の音楽を聞いたことがないから分からないけど、茉穂ちゃんの言った"愁みたいな音"って、多分これだ。分からないのに核心をもって言えたのは、私がの近くにいるからかもしれない。



"あの日からずっと僕たちは 同じ深い闇の中にいると 思っていたのは僕だけで君はもっと先を歩いてた"



アキ君はついに、歌いだした。

凛の声を長年聞いていた私は、彼の声をとてもじゃないけどキレイだなんて言えなかった。



"ベース越しに見ていたものがなにかなんて 分からないほど馬鹿じゃないよ それでもそばにいてほしい それでも音楽しててほしい"



彼の声は荒々しかった。ゴツゴツとして、粗削りだった。歌っているというより、叫んでいるようにすら聞こえた。



"あの時そう言えたなら 君はまだここにいるの? 伝えられない言葉は どこに飛んで消えてくの?"



でもなぜだか、心の奥深くに刺さる感じがした。深くに刺さって胸をギュっと締め付けた。苦しかった。すごく、音楽だった。あの日アキ君の部屋で聞いたものと同じ曲とは、全く思えなかった。



"君にはこなくなった明日が 僕にはだらだらとめぐる 君が歩いた道を僕も やっと歩けている気がする"



ねぇ、茉穂ちゃん。

あなたの音楽は完成した?

私は音楽のことはよく分からないけど、彼の音は確実にあなたから聞こえて、そしてあなたに帰っているよ。



"長く住んだ住み慣れた部屋 思い出が僕を締め付ける それでも僕はここにいる それでも僕はここにいられた"



苦しみながら、心の中で何度も叫びながら、アキ君はここにいた。一人であの部屋にいた。そして彼はあなたの質問の答えに、たどり着いたんだと思う。


すごいよね。私たちはたどり着けなかったところに、彼はたどり着いたんだよ。自分の足でちゃんと一人で立って、そしてちゃんと前に歩き続けてるんだよ。



"ただの失恋ストーリー 世界のだれも知ることもない だから、さよなら ただのお別れをする あの日と同じように"



彼があなたのことを忘れることは一生ないんだろうけど、いつかきっと、"失恋の一つだった"って言える日が来る。

彼と同じように凛だって、そう言える日が来る。気持ちに整理がついて私のことをまた思い出してくれたとしたら、また私の曲を書いてね。



"さよなら また会う日まで さよなら"



さよなら、凛。また会う日まで。

いつかまたどこかで、その曲が聞けることを楽しみにしてる。地獄の深いところにあるあなたの沼で、私はさまよい続けていると思う。だからいつかきっと、また私を見つけてほしい。



"さよなら"



苦しくたって何度でも、あなたに会いたい。消えたいほど苦しくたって、出会わなければよかったなんて思ってない。会えてよかった。愛してよかった。



あなたの音楽になれて、本当に良かった。



"さよなら"



そしてアキ君、さよなら。あの日私に付き合ってくれて本当にありがとう。おかげで悔いは一つもなくなりました。今日はすごく、かっこよかったよ。



もう茉穂さんには届いていると思うけど、一応私の口から伝えておくね。きっと茉穂さんも同じような沼にいるような気がするから。



さよなら、ありがとう。

直接伝えられなくて、ごめんね。



「さよなら。」



叫ぶような刺さるような彼の歌声で、会場は涙に包まれていた。私はそれを見て改めて、愁君と茉穂さんの、そしてアキ君の音楽が完成したのを感じた。



これ以上、思い残すことはない。いい子守唄だった。私はアキ君たちの演奏が終わる前に、そっとライブハウスを出ることにした。



外はもう暗くなっていた。

初めて消えようと思ったあの日のように、暗くなっていた。


まるで世界が"もういいよ"って私のことを許してくれている気がして、ありがとうって言いたくなった。





ありがとう。ありがとう。


――――さようなら。

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