第7話


――――誰か、いる。



こんな暗い橋で、その人は私と同じように地獄の入り口を見つめていた。私にはなんとなく、その人が私と同じように消えようとしていることが分かった。

同じ気持ちでいるからだろうか。お互い、大変だったね。



そしてお互い、キレイに消え去れますように。



お互い干渉することなく消えられるように、私は川の方を向きなおそうとした。でもその時ちょうど車が通って、その人が車のライトで照らされた。



その人はよりにもよって、ギターケースを抱えていた。私は凛に出会ったあの日のように、その人から目が離せなくなった。




そしてあの日と同じように、吸い込まれるみたいにして足がその人の方に向かっていた。近づいてみるとその人は私よりずっと若い、男の子に見えた。



「あのさ。」



驚くことに、私はためらいもなくその子に話しかけた。

もう消えようと決めているからだろうか。少しだけ酔っているんだろうか。ためらいとか恥じらいとか遠慮とか、そういうものが私の中から抜け去っている気がした。



その子は驚いて、私の方を見た。その驚いた目で私も驚いたのは、きっと自分が信じられない行動をとっているからだと思う。



「飲まない?」



そして私はいつしかもう一度手に取っていたビニール袋を差し出しながら言った。その子はまだ、すごく驚いた顔をしている。



「消えるんでしょ?なら最後に付き合ってよ。」



そしてその子はもっと驚いた顔をした。でも次の瞬間少し悲しい顔になって、小さな声で「はい」と返事をしてくれた。



「どーぞ。」

「どーも。」



それから私たちはなんとなく、その橋の横にある川の堤防へと移動した。そして腰掛けたと同時にビニール袋からビールを取り出して、その子に渡した。男の子は小さく頭を下げながらその缶を手に取った。



「乾杯。」



そしてお互い封を開けて、私は彼の方に缶を向けた。

今度は乾杯の相手がここにいるけど、どうせお互い消えるんだからいいや。



「乾杯。」



男の子は遠慮がちに缶を合わせて、勢いよくそれを飲んだ。私も同じように、勢いよく飲んだ。



「あ、未成年じゃないよね。」



どうせ消えてしまうからそんな確認もいらないかと思ったけど、まっとうな社会人の自分が彼に聞いた。すると彼はすこしムッとした顔をして、「とっくに違います」と答えた。



「24です。」

「若いね。」



彼はまた少しムッとして、ビールを気持ちよく飲んだ。のどぼとけを見ていたら凛のキレイな首筋を思い出して、やっぱり声をかけたことを少し後悔した。



「名前は?」



そんなこと知らなくていいのかもしれないけど、消えるからこそ聞いておこうと思った。すると彼はちょっと困った顔で笑いながら、「晶(あきら)です」と答えた。



「晶、くん。」

「アキでいいです。」



「アキ君」と、言いなおした。するとアキ君は少年みたいな顔で笑って、「はい」と返事をした。



「お姉さんは?」

「莉緒。」



はじめてあった人にはこうやって自己紹介をするのが普通だ。

凛と初めて出会った時のことを思い出して、"普通"じゃなかった自分を改めて自覚してしまった。



「莉緒、さん。」



するとアキ君は少し小さな声でそう言った。

そうか。私は気が付けば、"莉緒さん"になってしまったんだ。



「どうしてここに?」

「ん~。」



アキ君はやっぱり悲し気な目でそう聞いたけど、私ははっきり答えられなかった。するとアキ君は私の方を見て、「ごめんなさい」と言った。



「理由なんて、ないですよね。」



確かにここに来た理由なんて、ない。ただ当てもなく歩いていて、たどり着いただけだ。でも強いて言うんだとしたら…。



「入口に見えたから。」



ここが次に私が進むべき、入口に見えたからだ。とにかく暗闇と同化して消えられそうなここが、入口に見えたからだ。

私の言葉を聞いたアキ君は「はは」と乾いた声で笑って、「俺もです」と言った。



「二人ともそう見えたなら、ほんとに入口なのかもね。」

「かもですね。」



私たちはまるで息を合わせたみたいに、ビールを飲んだ。座っている堤防は冷たくて体が冷えたけど全部どうでもよかった。凛が隣にいてくれないんなら、この世の全てが意味をなさないような気がする。

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