第6話
ただあてもなく、夜も街を歩いた。
履いたままのストッキングが窮屈で、早く捨ててしまいたい。
田舎から都会に出てきてはや10年以上。もう夜が明るいのにも慣れてしまった。でもあてもなく歩くってことにはあまり慣れていなくて、どこにいったらいいのか分からない。
まだ少し肌寒いのに上着も着ずに歩いている私は、浮いているだろうか。
いや、たくさんの人が行きかうこの街で、私なんかを気にしている人なんて一人もいない。
でも今はそれが都合が良かった。誰にも見られず誰にも気にされず、ただ空気みたいな存在になりたかった。凛のことだけじゃなくて自分のことも忘れて、無になりたかった。
そうなるためにはやっぱりビールが必要だった。
早く家を出たかったせいで財布を持ってき忘れたけど、でもスマホ一つで物が買えてしまうこの世の中には本当に感謝だ。
私はテキトーなコンビニに入って、ビールを4本買った。今日は発泡酒ではない、本物の、ビールを。
「はぁ。」
でもこれを買ったところで、別に行くあてが出来たわけではない。
やっぱり一人で飲み屋にでも入ろうかと思ってもみたけど、変なスリッパで出てきてしまったからそれは少し恥ずかしい。
「ってかこれも凛のだし…。」
やっぱり当てもなく歩くしかなくなった私は、出来るだけ家から離れたところを歩いた。家の近所を歩いてしまえば凛のことをまた思い出してしまいそうで怖かったから。
とにかく何も考えたくなくて、っていうかまだ現実が受け止めきれていなくて、どうすればいいのかもわからなくて、ボーっと歩き続けた。そして歩き疲れた私は、来たこともない真っ暗な橋にたどり着いた。
「ここでいいや。」
出来るだけ人に会わないところで、一人で飲みたかった。割と大きな橋だけど嘘みたいに暗いここなら、誰か来たとしても顔も見られないと思った。別にみられていけないことをするわけじゃないんだけどとにかく空気になりたい私は、橋の柵に両手をかけて、ビールの封を気持ちよく開けた。
「はぁ…っ。」
どんな気持ちの時でも、ビールを開ける音はとても気持ちよかった。そして一口目のビールも、最高に美味しかった。
なにやってんだろ。
何度自分に問いかけても、答えは出てこない。
その問いかけが"今"に対するものなのか、"10年"に対するものなのかも、よくわからない。
「私…。」
この10年間。どの瞬間を切り取っても、私は凛と一緒だった。
本当に彼女なのかただの金づるなのかもよく分からないけど、それでも凛は私と一緒にいてくれた。
いつしか凛が私の全てだった。そしていつしか、凛にとって私も、彼の全てになっていると勘違いをしていた。
でも凛にとって私はきっと、各駅停車の電車みたいなものでしかなかった。とても便利でいつでも乗れる。いつでも来てくれる。そしていつでも降りられる。
「な~んだ。」
10年間。長いのか短いのかよく分からない。
思い返してみればとても短かった気がする。私は20代というすごく大事な時期のほとんどを、彼に、そして彼の人生にささげてきた。
でもそれは別に、凛が私に頼んだことではない。
私が全部全部好きでやっていたことだ。頼まれたわけでもないのに、馬鹿みたいに尽くしていた私がバカだったんだ。
「もう。」
私って、なんなんだろう。
ビールはいつも通りすごく美味しいのに、全然酔えなかった。何度もさっきの光景が頭の中にフラッシュバックした。
凛は私を捨てられるはずがないと言ったけど、凛は私に見られるかもしれない環境で他の女を抱いていた。どう考えても私は捨てられた。
凛が私を捨てたことで、なぜだか自分の存在ごと全て否定されているような気持ちになった。
「依存だ。」
そうだ、これは依存だ。
どう考えても私は凛に依存していた。凛が私に依存していたんではない。私がしてたんだ。
分かってはいるけど、それでも辛い。私の存在価値がわからない。
「消えてしまおうか。」
いっそのこと、もう消えてしまおう。
死にたいほどつらいとかじゃない。死ぬのは怖いし、痛いのは嫌だ。
でも私は消えたい。
存在価値がないのなら、この世から私という存在を消してしまいたい。
そんなことを思って橋の下を見ると、暗すぎて流れているはずの川が全然見えなかった。
もしかしてここは、地獄の入口なんだろうか。生きていても地獄沼みたいなところにいる私には、この底の見えない地獄の先がピッタリの場所なのかもしれない。
ここに私がたどり着いたのも、もしかして何かの導きなのかもしれない。今私が消えたとしても、きっと悲しむ人なんていない。いや、親くらいは悲しんでくれるだろうか。
「いや、そうだった。」
そう言えば私、親にも勘当されてるんだった。
凛と付き合ってズブズブの私を、親は捨てたんだった。
「ほんとに、何もないじゃん。」
本当に、私には何もない。やっぱり消えてしまおう。せめてこのビールを、最後に飲み干してから。
最後のビールくらい、味わって飲もうと思った。
この世に生きていて、楽しいこともいっぱいあった。ビールは美味しかった。自分の全てをささげられるような、恋もさせてもらった。
「ありがとね。」
ありがとう。いるかもわからない神様、ありがとう。
空に向かって、ビールの缶を差し出して乾杯をした。缶を合わせてくれる人はそこにはいなかったけど、消えゆく私にはちょうど良かった。
私は一気にビールを飲みほした。そして空き缶とまだ空けていない3本のビールを足元に置いて、もう一度川の方を向いた。
「よし。」
消えよう。これで凛のことも自分のことも消せる。
自分の胸辺りまである柵をどう登ろうかと、辺りを見渡した。すると右の方に、私と同じように柵から川を眺めている人のシルエットが見えた。
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