episode2

第5話


「いいからもう、出てって。」



そもそもこの10年間で、彼が軽くなかったことなんてなかった。思い返してみればずっと彼はこんな感じだった。今になって期待した私の方がバカだった。



「どうして?」

「は?」



分かっていてもまだ少しまともな答えが返ってくることを期待しているらしい私は、またひらがな一文字で言った。凛は本当にどうしてか分からないという顔をして私を見ている。



「新しい恋見つけたんでしょ?ここは私の家だから。新しい恋の方に行きなさいよ。」

「俺を捨てるの?」



もう、訳がわからない。でも訳なんて分かったことがない。それも私と彼の10年間なんだ。



「あなたが私を捨てるんでしょ?」

「捨てないよ。捨てられるわけない。」

「それじゃ終わらせるって一体何?」



人の家で他の女と裸で抱き合って、そしてそのまま"終わらせよう"と言ったのは凛じゃないか。もしかしてここでの正解は「行かないで」って泣きつくことなんだろうか。でもこの10年間いう事を一度も曲げなかったあなたが、私が泣きついたところで変わるとは思えない。無駄だとしか思えない。


意味が分からな過ぎて静止していると、凛も同じようい静止して「う~ん」と何かを考えていた。



「莉緒を、自由にしたくて。」

「もう…。」



自由って何。この人はなにを言ってるんだろう。

でも凛はふざけている様子なんて一切なくて、本気でそう言っているみたいに見えた。



「私は凛の彼女じゃなくなる。でも家には置いてほしい。捨てないでほしい。ってこと?」

「う~ん。だって。」



本人も意味が分かっていない様子で彼は白いTシャツを着た。そしてベッドの横に置いてあるタバコを手に取った。



「女の人は、はっきりした答えが好きでしょ?」



もう訳が分からな過ぎて頭が爆発しそうになった私は、ついに彼の持っているタバコを手ではたいた。



「うん。だから言ってんの。出てって。」




思えば凛が私のことを"彼女"だと言ったのは、あれが最初で最後だった。

凛は女の人がはっきりした答えが好きだからあの時"彼女"と言っただけで、本当は彼女なんてもの、持ったことがなかったのかもしれない。



「はぁ。」



半分追い出すみたいにして、凛を外に出した。冷静になって部屋を見渡してみると、そこはすごく空っぽに見えて、まるで私の10年間みたいだなって思った。




「なに、してたんだろ。」



本当に何をしていたんだろう。

ほぼ少女だった私は、いつの間にかアラサーになった。

お酒も飲めるようになって、あんなにまずかったビールも美味しくなった。むしろビールなしでは日頃のストレスも緩和できなくなってしまった。



こういう時飲む飲み物といえば、もはやビールしか思い浮かばない。

胃も脳みそも空っぽの私は冷蔵庫を開けて、ビールを一缶取り出そうとした。




「これも…。」



冷蔵庫の中には、私がいつも飲んでいる発泡酒と凛の好きな海外のビールがたくさん入っていた。入っていたといっても補充したのは私だし、これもいつもの光景なんだけど、それすらも今の私には辛く映る。



「はぁああ。」



出て行けと言って凛を追い出したけど、いちいち思い出すのなら私がこの家から出て行けばよかった。いや、でも家賃を払っているのは私なんだから、私が出て行くのは絶対におかしい。



ビールを取り出すのをやめて、振り返って部屋をもう一度見渡してみた。

二人で住むために借りたこの部屋は、一人暮らしには十分すぎるほど広い。

ベットルームに、広いリビング。その広いリビングの片隅には使い方もわからないエフェクターに、電子ドラム。大きなアンプに、ギターやベースが置いてある。誰の家なのか一旦分からなくなるほど、この部屋は音楽にあふれている。


ベッドルームに戻ってみると、その中からフワッといかがわしい匂いがした気がした。サイドテーブルには凛のたばこが置いてある。



「禁煙だって、言ってるでしょ。」



私がいない時に、凛が部屋でたばこを吸ってることくらい気づいている。でもそれでも言わなかったのは、やっぱり私がズブズブだからなんだと思う。



「もう。」



でももう彼はいない。あまり実感はないけど凛はここにいないし、私は自由になったらしい。


腹いせに残っていたたばこを全部、一気に折って捨ててやった。



どこを見渡しても、この家には思い出がありすぎた。思い出はたくさんあるのに、何もかも不安定で、やっぱり私は空っぽだ。



「ダメだ。」



これ以上ここにいたら本当にダメになる。

家中の物を全部壊してしまいたくなる。本当に壊れてしまう前に私は、スマホだけもって外に出ることにした。

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