第4話
「莉緒、ごめんね。」
ギャルがさった部屋で、凛はやっぱり軽いトーンで言った。
「それだけ?」
やっと頭の整理ができてきた私は、ようやくまともな言葉を口にできた。はずなのに、凛は不思議そうに首を傾げて、「うん」と言った。
「新しい恋…。」
「うん。はじまったんだ。」
彼のトーンはやっぱり、すごく軽かった。まるで新商品のお菓子が出たときみたいなテンションだった。
「私は…?私…。」
私の10年はどうなるの?と、聞こうとした。でもその途中で凛は、いつものようににっこり笑った。
「莉緒の新しい恋も、また始まるんだよ。」
「は?」
私の語彙力はまた、ひらがなに戻った。
そして冷静になって思い出した。この人とこれ以上話しても無駄だ。
それを誰よりもよく知っているのは、私じゃないか。
☆
それから私は、週に5日は凛の家で寝るようになった。いや、週に7日だろうか。
大学は自分の家からの方が近かったけど、塾は凛の家からの方が近くて、バイト終わりはだいたい凛の家に帰った。っていってもバイトだって週に4日しかしてないんだけど、その他の日はただ凛の家に行きたいがために、遠回りして大学に通っていた。
「莉緒。今日はちょっと遅くなりそう。」
「うん、わかった。」
ほぼ一緒に暮らして、やっと少しずつ凛のことが分かり始めた。
凛は自分より6歳上の25歳で、バンドマンをしていることや、そのバンドで彼はギターボーカルをしていること。そしてバンドの作詞作曲はすべて、凛がしていること。
彼はだいたい夜遅くまでスタジオで練習をしていて、家に帰ってもだいたいギターを弾いていた。それがすごくかっこよくて、コードを押える凛の手を見るのが好きだった。
「いい子で待ってるんだよ。」
「うん。」
私は別に、付き合おうとか好きだとか凛に言われた訳ではなかった。
ただ合鍵を渡されて、帰ってきていいと言われている。それだけの理由で、凛の家に居座っている。
「行ってきます。」
「うん、勉強頑張ってね。」
真面目で冷静な自分がたまに「なにやってんだろ」と言っていたけど、それでも私は凛に夢中だった。あの人の何がいいのか分からないけど、もう家に行くことをやめられないほど夢中だった。
「それ、付き合ってんの?」
「ん~。」
麻衣子にだけは、凛のことを話した。すると麻衣子はすごく嫌そうな顔でそう聞いた。私と同じように真面目に生きてきただろう麻衣子には、私の今の状況が信じられないんだと思う。本人も信じられてないのに、友達が信じられるわけもないと思う。
「わかんない。」
「大丈夫なの?その人。」
大丈夫かどうか聞かれたら、「大丈夫ではない」と即答できるほどに冷静な頭は残っていた。冷静なのにそれでも大丈夫じゃない人の家でほぼ暮らしているみたいな生活をしている私は、多分全然"大丈夫ではない"。
「ねぇ。やめときなよ。今ならまだ間に合うよ。」
「うん。そうだね。」
麻衣子の言う通りだ。絶対にやめておいたほうがいい。
だけど麻衣子。もう多分、間に合わないと思う。
「はぁ。」
って私の心の声を、どうやら麻衣子は聞いていたみたいで、呆れた顔で大きなため息をつかれた。心の中の小さな私も、私に大きなため息をついている。
「それじゃ、バイト行ってくる。」
「はい。また明日ね。」
確かに大丈夫な恋愛ではないけど、私は彼に出会ったあの日を覗いて大学をさぼっていなかったし、なんならバイトの数は彼の家に通う口実を作るために増やしていた。
人間的にダメにならないのならきっとそれでいいと自分で思い込むためにも、自分の"大丈夫"な部分はしっかりと残しておきたかったから。
「ただいま。」
その日の夜、凛は思っていたよりも早く帰ってきた。そして凛が開いた玄関のドアの向こう側からは、少し賑やかな声が聞こえてきた。
「あれ?」
玄関に凛を迎えに行くと、凛の他に3人の男の人がいた。真面目な私は反射的に、その人達に頭を下げた。
「女の子がいる。」
凛と同じくらいの年に見えるショートカットの男の人は、とても真面目そうに見えた。耳にはピアスがいくつもついていたけど。
そしてその人は人懐っこく笑って、「こんにちは」と私に言った。
「凛。だれ?」
そしてその笑顔のまま、彼は凛に聞いた。凛はその男の人にニコッと笑って、「莉緒」と言った。
「そうじゃなくてさ。お前の彼女かって聞いてんの。」
その人が聞いた質問に、胸がドキっと高鳴るのが分かった。
それは恋する心地いいドキドキではなくて、ヒヤヒヤの方の“ドキッ”だ。だって私自身、凛との関係を聞かれても即答できないんだから。
「う~ん。」
そして凛もまた、即答しなかった。やっぱりって思った。
やっぱり私はただの“都合のいい女”で、そのうちポイって捨てられる。
まだ凛と出会って1か月足らずなのにもうズブズブにハマっていた私の胸は、今度はズキズキ痛み出した。それなのに凛は私の方を見て、大好きな顔でにっこり笑った。
「そうだね。彼女だ。新しい、恋だから。」
言っている意味はよく分からなかったけど、”彼女”と言ってもらえただけで死んでしまいそうになるくらい嬉しかった。
麻衣子。やっぱりもう手遅れみたい。
冷静な私は、多分そんなことを思っていた。
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