第8話


「音楽、するの?」



まだビールが残っていたから、暇つぶしみたいにしてアキ君に聞いた。するとアキ君はやっぱり少し悲しい顔で「はい」と答えた。



「いや…、もうやめました。」



そして続けてそう言った。その後すぐに「違うな」と言って、また悲しそうに笑った。


「もうやめます。どうせ消えるんで。」



なるほど。確かにそうだ。

どうせ消えるんだから、音楽だってやめることになる。



「だね。」



そう考えたらなんだか、少し気分が楽になってくる気がした。私もこれで私を終わらせられる。存在意義とか価値とかそんなもの、すべて感じる必要もなくなる。



「どうして、人は音楽なんてするんでしょう。」



するとアキ君は、絞り出すみたいにして言った。その顔が少し、泣いているように見えた。



「どうしてって…。」



そんなもの、聞かなくても決まってる。



「苦しいから、でしょ。」





凛との生活が始まって、あっという間に1年が経った。



「莉緒。今日ヤス達が来るから。」

「わかった。」



1年たっても、私達は出会った頃とあまり変わらない生活をしていた。変わったことと言えば私が凛のバンドメンバーの人たちともだいぶ親しくなったことと、料理がずいぶん上達したことくらいだと思う。



「行ってきます。」

「うん。」



そしてたまに、凛はバンドメンバーの人たちを家に連れて帰ってきた。私より5~7個上の人たちにちやほやされるのは少し嬉しくて、彼らが遊びに来てくれるのはいつも楽しみだった。



メンバーさんたちが来ると分かっていた日はいつも少しウキウキしながら学校に行ってバイトをして、帰りには食材とお酒を買い込んで帰った。



「ただいま~。」

「莉緒ちゃん、いる~?」

「は~い。」



メンバーさんたちはだいたい、練習をした後に凛の家に来た。

だから帰って来るのはいつも深夜になってからで、いつも少しだけ眠かった。



「おかえりなさい。」

「ただいま。」



凛は人の目も気にせず、いつもただいまのキスを私にした。そしてメンバーさんたちもそれを気にすることなく、まるで自分の家みたいに部屋に入って行った。



「あ、あっためるんでちょっと待ってください。」



そしていつもみんな、ご飯を食べずに帰ってきてくれた。私は調子に乗っていつも、たくさん料理を作ってみんなを待った。



「いつもありがとうね。」

「いえ。」



バンドのリーダーでドラム担当のヤスさんは、最初にここに来た時凛に私を「彼女だ」と言わせてくれた人で、すごくすごくまともな人だ。


今だって私がたくさんの酢豚を盛った皿を軽々と運んでくれて、メンバーの取り皿や橋もちゃんと運んでくれる。



「莉緒ちゃんは食べないの?」

「はい。私はもう先に食べたので。」



最初はみんなの帰りを待っていたけど、何も気にすることなく深夜にご飯を食べ続けていたら見事に太ってしまった。だから最近は先にご飯を食べるようにしていて、だいたい私はみんながご飯をおいしそうに食べてくれている姿を眺める。



「それじゃ、いただきます。」

「どうぞ。」



20代半ばから後半の男性とは思えないくらい、みんなは豪快にご飯を食べてくれる。それがすごく嬉しくて、私はどんどん料理を勉強していった。



「なあ、凛。この部分ちょっと単調すぎない?」

「そう?それがいいと思ったんだけど。」



そしてだいたいみんなは、ご飯を食べながら音楽の話をしていた。最初は単語すらよく分からなかった会話も、1年たつと意味が分かってくる。ただ意味が分かったところで口出しも出来ない私は、みんながご飯を食べている間はだいたい、勉強をして過ごしていた。



「ねぇ。莉緒。どう思う?」



するとたまに、凛が私にそう聞いてくることがあった。そんなことを聞かれても困るのに。




「う~ん。」

「そんなこと聞いても困るだろ。ね、莉緒ちゃん。」



そういう時はだいたい、ヤスさんが助けてくれた。

私はいつも助かったと胸をなでおろして、「はい」と答えていた。



そしていつも凛は頭を抱えながら「わかった」と言う。そしてもう一度少し考えて、「もう分らない」と言う。



だいたい凛の曲は、みんな非のつけようもないくらいすごく仕上がっているらしい。でもたまに、凛はすごく考え込む時があった。

そうなった時はみんなが帰った後も凛はどこか上の空でいたから、私もあまり話しかけないようにしていた。



「ねぇ、凛。」



でもあまりに苦しそうで、顔を覗き込んで話しかけてみたことがある。すると凛は少し険しい顔で、「ん?」と言って私にキスをした。



「どうして音楽、やってるの?」



音楽をやってる時の凛は、いつも少し悩んでいる。っていうか凛はだいたいの時間音楽をしているから、いつも悩んでいるように見えた。そんなに悩むなら、いっそのことやめてしまえばいいのに。


そう思って質問すると、凛は私ににっこり笑いかけた。



「苦しいから、音楽なんだよ。」



音楽をやっていない私には、全く意味が分からなかった。これ以上聞いても意味がわからないと思って寝る準備をしようとしたら、凛に思いっきり手を引かれてそのままベッドに倒された。



「莉緒。」



そういう時のセックスは、やっぱりすこし苦しそうで、いつもより激しかった。それでも私で少しは発散が出来るのなら、私を求めてくれるのなら、それでいいって思った。

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