捜査編(Bパート)
現場となった海沿いの通りは、今やすっかり元通りになっていた。とはいえ、当分は規制線が張られたままなので、静かなものだ。
つばめはさくらのスマホを使って、昨晩のウエゲが配信した生配信を見ていた。
「それにしても、むちゃくちゃな動画ねえ。よくわかんないわ」
「ウエゲさんは、これでも割とおとなしい作風ですよ。それでも業界のトップとして活躍できているのですから凄いです! ホラ、過激すぎる動画は批判を浴びてしまいますから!」
なるほど、ニュースでも聞いたことがある。つばめはウエゲが部屋に血糊を撒く動画を見ながら唇をなぞった。
「変よねえ……」
「変ですか? まあ、自分の部屋を真っ赤に染めるのは変かもですね」
「そっちもだけど……こんな時間から急にこんな動画を上げる意味あったのかしら?」
HOMEチューバー達の常識はわからないが、よりにもよって深夜二時過ぎに、こんな疲れそうな内容の動画を、突発的に生配信する意味がわからなかった。当然、何か理由があったはずだ。
僅かな違和感と引っかかりが残る。
「ウエゲさんは突発的な生配信、結構おやりになりますよ! 私も眠れないときよくお世話になります!」
「刑事なんだからいつでも眠れるようにしとかないとダメよ。お肌にも良くないんだから……」
「ハイ!! 参考になります!!」
「さくらちゃん。マンションの住人に聞き込みして頂戴。なんでもいいからヒントがほしいわ。それに、被害者が落下した時間が分かれば儲けものだから」
「お任せください!」
さくらは勢いよく立ち上がると、これまた勢いよく敬礼し、踵を返してマンションへと走っていった。
つばめもゆっくり立ち上がると、再び現場──マンションの二十階へと足を向けた。
退屈な時間だった。
何年かぶりにスーツを着て、溝口と一緒に会社のメインバンクに行って、経営計画と今後の資金繰り、銀行からの融資計画の修正を担当者と話し合った。
当たり前だが、ユウジも一経営者として、金勘定の大切さは理解しているつもりだ。
しかし、溝口や死んだレンがあんなに必死になる意味はわからない。
俺が動画を上げて、個別のオンラインミーティングを開けば、一月もあれば稼ぎ出せそうな金額を脂汗を流しながらどうこう考えなくてはならないなんて。
ユウジは態度が人を変えることを理解していた。そんな考えを態度に出せば、銀行もそっぽを向く。動画を作ることが一気に難しくなる。それは彼の意図することではなかったので、ユウジはなんとか銀行との話し合いを乗り切ることができた。
疲れた。こんなことをずっと続けなくてはならないのか。レンがいればこんな苦労はしなくて済むのだが──レンはもういない。
「あら? ウエゲさん。お戻りかしら」
レンの部屋──それを覗き込むように、つばめが様子を伺っていた。
「ええ。三条さんは捜査ですか?」
「い〜え〜。レンさんの部屋の中はだいたい終わりましたから」
「あいつも──いいたかないですけど、馬鹿ですよ。これからってのに死んじまうなんて」
つばめは少しだけ切なげな表情を見せて、頭を下げた。
「──お察ししますわ」
少しだけ早足で自分の部屋のドアへと向かい、ドアノブを掴む。キーを入れて回す。
「あのう。……ごめんなさいねえ、お忙しいとは思うのだけど──少しだけお時間よろしいかしら?」
嫌だ、と言いたかったが、ウエゲとしての顔がその選択を拒んだ。HOMEチューバー・ウエゲは、誰にでも親切でユーモアを介し、礼節をわきまえた男なのだ。
「もちろん、構いませんよ」
ユウジは振り返ってにこやかに笑顔を見せた。つばめはそれにお辞儀をすると、申し訳無さそうに口を開いた。
「ごめんなさいねえ。……生配信見ました。なんだかそのう……すごかったわね?」
血糊を撒いた突発生配信──自分で言うのもなんだが、インパクトはあったと思う。しかし、同時にウエゲがやりそうな動画の域は捉えている。
アリバイ工作は完璧だ──依然変わりなく。
「あれくらいの無茶はご愛嬌ですよ。こないだなんか、一千万するポルシェでカースタントやって、ボロボロにしちゃいましたから」
「はあ〜……凄い世界なのねえ。私、自分で買った車に小擦り傷ができるのも耐えられないわあ。こないだなんて、ガレージから出そうとした時に──」
「三条さん。……申し訳ないんですが、今日は少し疲れてまして。用が無いなら、これで……」
「やだ、ごめんなさいねえ。私ったら、つい長話に持って行っちゃって……で、その配信なんですけど……どうして午前二時の深夜に始めたんですか?」
妙なことは言えない。アリバイ工作のための配信だったし、それ以上の意味はない。
「眠れなかったんで……こう見えて、HOMEチューバーってストレス溜まるんですよ。だから、ストレス解消も兼ねて、ですかね」
「なるほど、ストレス解消のために……。深夜眠れない代わりに配信──言ってみれば仕事熱心なのねえ」
「ええ。……でも、同じ頃にレンが死のうとしてて──実際に命を断ったのはショックでした。……今日は疲れましたよ」
つばめは唇をなぞり、何度かとんとん叩いてから笑みを見せた。
「そうですよねえ。だいぶお疲れなんでしょう? 呼び止めてしまってごめんなさいねえ」
つばめが背中を見せて、去っていったのに安堵しながら──ドアノブを回そうとしたその時だった。
エレベーターの方に歩いていっていたつばめが足を止め、こちらに振り返ったのだ。
「……ところでえ。もうひとつ伺っていいかしら」
「三条さん。疲れてるって言ったじゃないですか」
「もうひとつだけ。それだけ聞いたらお暇するから。大したことじゃないんだけど、わたし変なこと気にしちゃって眠れなくなっちゃうタイプなのよう。スキンケアにも良くないし──」
どうやら放っておくと、無限に話を続けてしまうタイプのようだった。面倒この上ない。ただでさえ刑事と長いこと絡みたくなど無いのに──ユウジは意を決するように、大きくため息をついた。
「で、聞きたいことってなんです?」
「あらやだ、ごめんなさいねえ。わたしったらすぐ話が逸れちゃって……どうしてもわからないのだけど、どうしてレンさんが亡くなった時間に生配信していたって気づいたんですか?」
心臓が大きく鼓動を打ち──じくじくと汗が流れたような気がした。
疑われている。
ユウジはつばめに背中を見せたまま、考える。下手なことは言えない。背中に疑いの視線が突き刺さっているのがわかる。それでも、ユウジはHOMEチューバーだ。ハプニングをものにしてこそ、良い動画を作ることができるのだ。
「いやだなあ、三条さん。溝口さんからスマホを見せてもらったんですよ。メッセージの投稿時間見て、びっくりしましたけどね……」
悲しげに声色で演技を入れるのも忘れない。恐れることはない。元からアリバイ工作は完璧なのだから。
「あらやだ、わたしったら。そうですよねえ、溝口さんにはメッセージが届いていたんですものね。すっかり見落としちゃって……お邪魔しちゃって、ごめんなさいねえ。じゃあ、これで……」
つばめは笑みを見せて頭を下げ──そのまま後ろに振り返ってエレベーターに乗った。扉が閉まり、彼の姿が見えなくなるまで、ユウジは立ち尽くしていた。
近くのコーヒーチェーンに入り、ホットコーヒーを注文する。一杯二百三十円、都内最安値だ。レトロな内装が売りのチェーン店で、店は賑わい騒がしい。つばめはさくらと並んで腰掛けると、一口コーヒーを口に運んだ。
「キャップ、質問があります!」
「……どーぞ」
つばめは頬杖をつきながら、聞いているのか聞いていないのか上の空でさくらの質問を促した。
「キャップはウエゲさんが怪しいと踏んでいらっしゃるんですか?」
さくらはストローの袋を取り、アイス抹茶ラテに刺しながら言った。
怪しいどころか、完全にクロだと見ている。しかし今の段階では単にカンでものを言っているに過ぎない。
決定的な証拠はなにもない──しかし、犯人でないとする根拠もない。
「ま、そうね……でも証拠はないわ」
「そうですか! 実を言うとわたし、ウエゲさんのファンなのです。彼はとっても良い人です! 動画も面白いですし、たくさん慈善活動だってしています! まかり間違って、人を殺すような人ではないと思います!」
警察官──中でも犯罪捜査を担当する刑事は、あらゆる可能性を模索する──つまりは疑ってかかるのが仕事だ。
さくらはその視野が欠けている。こう見えて、
巡り巡って、つばめの下で仕事をすることになったわけだが──素直なだけに、それに見合った仕事を任せると、なかなかいい仕事をするのだ。
「どんな聖人君子でも人を殺すことはあるわよ」
「そうなのですか?」
「まあそれもケースバイケースだけど。で、さくらちゃん。聞き込みはの首尾はどうだった?」
さくらは名前のとおりの桜色の手帳をめくり、調べたことを報告し始めた。彼女曰く、深夜帯だったこともあり、目撃者はいなかったらしい。加えて、現場のマンションは防音性が高いことが売りで、おかしな物音を聞いた住人もいなかった。
「残念ですが、手がかりになりそうなことは何も……」
「そう……参ったわねえ。レンさんがいつ落ちたのかが分かれば、捜査の参考になったんだけど……」
つばめは頭を掻き、コーヒーをまたぐいと飲んだ。その時だった。彼のスマホが震え、警視庁から着信があることを伝えた。つばめは構わず電話を取った。
『おう、キャップ。廣瀬だ!』
「ヒロチョウさん、どうしたの?」
廣瀬はどこか慌てた様子で、話を続けた。
『どうしたもこうしたもねえやな。
つばめの中で、ピースが一つぴったりと埋まった。天田レンは殺された。ならば当然、殺した犯人がいる。
彼の中でそれは──間違いなく西木戸ユウジだ。
「なるほどね……ヒロチョウさん、知らせてくれてありがとう」
『ついでにもう一つ。ロボット掃除機の中のゴミは大したもんはでなかったが、まとめだけはしといたぜ。髪の毛でも出りゃあ違ったんだがな……ま、焼き鳥一本貸しだぜ、キャップ。じゃあな』
通話が切れたと同時に、つばめは立ち上がった。居ても立っても居られなかった。確認したいことが山ほどある。そしてそれは、一刻も早く解決しなくてはならない。
「さくらちゃん、もう一回現場に戻りましょ」
「ぶへっ!? もう行くんですか!」
「現場百遍っていうでしょ。置いてくわよ」
抹茶ラテを半分ほど飲み終えていたさくらは、驚いて少しむせかけたが──慌てて残りを直接飲み干して、後を追った。
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