捜査編(Aパート)
タワーマンション下──海に面した遊歩道沿いに、男性の落下死体が見つかったのは午前五時の話であった。
犬の散歩をしていたマンションの住民が、血塗れになった遺体を発見し通報。直ちに
鑑識による現場検証──そして実況見分が始まった頃。そんなことは知る由もないユウジは、一階の自販機コーナーでコーヒーを買おうとしていた。遠くでサイレンが鳴っている。自分がまるで威嚇されているように感じる。うんざりだ。
普段、缶コーヒーを飲むときは企業コラボや広報の時くらいだった。飲んだようなそうでないような甘ったるい味に辟易しながら、差し込んでくる朝日に目を細めた。
「ねえ、ちょっとよろしいかしら?」
ハスキーな声だった。少し猫背気味のその人物は、自販機の商品ディスプレイを指し、こちらに目線をやることもしなければ、ユウジに顔を向けることもなく、その商品を見つめていた。
「あなた、この飲むやきいもって飲んだことある? いつもなら朝はスムージーにしてるんだけど無くて……もうこの際食物繊維が入ってたらなんでもいいんだけど、おいしいのかしらねえ」
妙な男であった。体は細く、タイトめな黒いスラックスに高いヒールを履いている。何より目を引くのは、カラフルなドレスシャツにグレーのベストを合わせた派手なファッションだ。ツーブロック気味に撫でつけた髪はウェーブがかっており、左目は隠れてしまっている。一見するとホストやミュージシャンにも見える。
こんな男、マンションに住んでいただろうか?
ユウジは訝しんだが──よく見れば少し前に企業案件で飲んだことがある商品だということに気づき、口を開いた。
「あ〜……温かいやつだと結構イケるんですけど、それ冷たいやつですね」
「そうなの? やあねえ……まあでも、いつも続けてることだからなんかその……食物繊維とらないと気持ち悪いのよね」
「コンビニでも行ったほうがいいんじゃないですか」
「この辺あんまり無いじゃない? 高級マンションだからか知らないけど、周り静かだし……」
「確かにそうですね。じゃ、俺はこれで……」
ユウジは缶コーヒーをゴミ箱に入れると、足早にその場を去ろうとした──が、男は背中越しに彼を呼び止めた。
「ごめんなさいね。もしかしてここのマンションの方?」
仕方なく立ち止まって振り返り、ユウジは頷いた。
「そうなのね。朝からお騒がせしちゃってごめんなさいねえ。うるさかったでしょう?」
「はあ」
「しばらく騒がしくすると思うけど、捜査が終わるまでのことだから──」
捜査。ユウジは口の中で呟いた。当然結びついたのは、警察という二文字だった。この男が?
「捜査……って」
「あら? パトカーのサイレン、結構凄かったと思ったけど……あっ、ボタン押しちゃったわ」
ガコン、と缶ジュースが自販機の底を転がる音が響き、男がしゃがんでそれを取ろうと手を伸ばす。ユウジはいても立ってもいられず──その場から離れることもできたのに、思わず尋ねていた。
「何があったんです?」
「飲むやきいもだけど」
「そっちじゃなくて。捜査。何の捜査なんです?」
男は眠そうな目を擦ってからプルタブを起こし、飲むやきいもを流し込み、目を白黒させた。どうも合わなかったようだ。
「甘すぎよ、これ……食物繊維入ってんのかしらコレ?」
「あの、何の……」
「あー。捜査? 死体が見つかったのよ。男性の死体」
「殺人ですか?」
「それはまだ何とも」
飲むやきいもをもう一口口へ運んで、持っているのも辟易したのか、一気にそれを飲み干し、ゴミ箱に入れた。
「甘すぎ。確かにこれ冷たいので飲むもんじゃないわねえ。で、なんだったかしら。……あなたよく見たらテレビで見たことあるわね。ウエゲさんよね? HOMEチューバーの。こないだ小学生とクイズで対決してなかった?」
「はあ、まあ。タレントもやってますから……」
「やっぱり。あなたあれわざとだったの? 小学生相手にクイズで負けてちゃ世話ないわよ。じゃ、そろそろ」
男は外へ向かって歩き出し始めた。引き止めなくても良かったが、どうしても先を聞かねばとても部屋には戻れなかった。
「あの、今更ですけど──刑事さんなんですか?」
立ち止まった男は振り返ると、朝日を背にしながら答えた。
「警視庁捜査一課の三条つばめよ。よろしくねえ」
つばめはビニールシートで覆われた現場へ入る。すでに実況見分も佳境に入っていて、
「ごめんなさいねえ、遅れて……」
他の刑事と話していた女性刑事がこちらに駆け寄り、敬礼した。
「三条
警察官としてはギリギリの身長の、小柄な女だった。黒髪を髪留めで結い上げた、いかにも新人です、とメイクで描いたような初心者顔、額が目立って輝いているような気がする女である。リクルートスーツ姿はおぼこいのでナメられる、と何回言ってもやめないので、そこは注意するのをやめた。
「やめてよお、仰々しいのは……。さくらちゃん、
菊池さくらは最近警視庁捜査一課に異動になった新入りだ。本来ならば巡査部長がその指導とフォローにあたるのだが、訳あってつばめとコンビを組む形となっている。
「上下関係は大事ですから!」
「……まあいいけど。で、どんな感じ?」
「
きっぱりと言い切るさくらに、つばめは興味なさげにふうんと返事をすると、現場の状況を自分でも確認し始めた。
確かに、さくらの言う様に自宅から落下したことには違いないようだ。
「さくらちゃんさあ。自殺だなんてどうして分かったの?」
「二十階にある自室のリビングの机の上にスマートフォンが見つかりまして、そこから遺書らしきものが発見されました。よって自殺ではないかと!」
事実を並べればそうだろうが、それを決めるのはもう少し先の事だ。さくらはこの勢いの良さ──悪く言えば早とちりがすぎる性格で失敗が続いたせいで、つばめの下に異動することになった。
つばめもまた警視庁の中では浮いた存在であるので、問題児同士ペアにしておけば安心というわけなのだろう。
「で。この辺監視カメラとかは無かったの?」
「ありません! 海沿いで人通りが少ない区域ですから。マンションの入口には設置されていましたが怪しい人物の出入りは確認できませんでした!」
つばめは運び出されていく遺体を止め、足側の布を捲った。靴下を履いている。きれいなものだ。
「変ねえ」
「キャップ! 何がおかしいんでしょうか!」
「靴下がキレイすぎる。ベランダは掃除されてたの?」
指さした先をまじまじと見た後、さくらは頭を振った。
「さっき現場を見てきましたが、特段キレイではありませんでした!」
さらに布を捲ると、黒いスラックスの尻から足にかけて、砂埃のような白い汚れがついているのが分かった。
「そう」
つばめは布の端を離し、運んでいた鑑識担当官にもう行っていいことを伝えた。
「さくらちゃん。ここは大丈夫。部屋を見たいわねえ」
「はい、キャップ! 行きましょう!」
二十階のフロアはペントハウスの数階下だったが、ひとフロアに二部屋だけという豪奢な作りだった。
中央には絨毯が伸びていて、扉が真向かいに設置されている。2002号室の前には黄色い規制テープが貼られていて、鑑識班による現場検証と撮影の真っ最中だった。
「
中で指揮を取っていた、鑑識班の制服に身を包んだ中年の担当官が振り返った。
「おっ、来やがったな三条。おせえンだおめえは」
廣瀬は二個上の先輩で、つばめとは何かと協力し合う間柄だ。警察官はガチガチの縦社会であるが、それゆえに横の繋がりが重要だ。気の許せる同僚がいると、それなりに融通も効く。
「下の現場見てたのよ。こっちはなんか変なもの出た?」
「出ねえな。
「そう。ベランダ見ていい?」
「おう。そっち終わったか?」
廣瀬がベランダ側の指紋を採っていた部下へ声をかけると、問題ない旨の返事があった。
「廣瀬さん、ロボット掃除機、さっきまで動いてたみたいですよ」
別の部下がそう報告するので、廣瀬はつばめからロボット掃除機に興味を移した。仕事熱心故に信頼できる。職人肌の男だ。こうなるともう、つばめのことなど見えていない。
「じゃ、上がらせてもらおうかしらね……しっかしキレイにしてる部屋ね」
「ロボット掃除機までありましたからね! 被害者はとても綺麗好きなんですよ。間違いありません」
さくらがまたもどうでもいいことを決めつけるので、つばめは呆れたようにため息をついた。
「見りゃわかるわよ。……広いベランダねえ」
「被害者はあんまりここを使ってなかったみたいですね」
いつ使ったのか分からないバーベキューセットや、サーフボードにスキー板などが雑然と置かれている。どうも部屋の中だけキレイにしていれば外まで気にしないタイプだったようだ。そして、ベランダの床は薄く砂埃が張っていた。
「こっちの
指紋を見ていた鑑識担当官が顔を上げて、つばめの疑問に答えてくれた。
「はい。靴下のものと思われるものがいくつか。ですが、何か引きずったのかほとんど消えてます」
「そう。ありがと」
指で唇をなぞる。確かに自殺に見えるが、それにしては妙な事実が見え隠れしている──つばめがさくらを呼ぼうとしたその時、玄関から男性の声が響いてきた。
「これはどういうことですか!」
「お……落ちついてくださいッ! 今現場検証中ですから!」
揉めているのはおそらくさくららしかった。彼女に任せるとまとまるものもまとまらないだろう。つばめはベランダから玄関に戻って、騒ぎのもとを確かめることにした。
「私はここの住人の──天田くんと同じ会社の者です。事情を教えてもらいたい!」
「ですから今は!」
さくらの肩を叩き、彼女を押しのけるように、つばめは男の前に立った。妙な風貌の男に面食らった様子だったので、彼は気にせず話を切り出した。
「ごめんなさいねえ。見てのとおり現場検証中で……あ、私捜査一課の三条つばめ警部補です。一応現場責任者でしてえ」
「まさか、レンのやつ本当に……レンはどうなったんです!?」
「残念ですが、お亡くなりに……失礼ですけど、おたくは」
スーツ姿の三十代らしき男は、苛立ったように名刺を差し出した。株式会社ウエストワールド 映像編集統括プロデューサー・溝口タカシと印刷されている。なるほど、確かに被害者の関係者である。さくらと共に玄関の外へ出ると、つばめは改めてお悔やみを伝えた。
「ショックな出来事に驚かれたと思います。どうかお気を落とさずに」
「レンはやはり自殺ですか」
溝口はせわしなく額をハンカチで拭った。先程までの苛立ちが一気に抜けて、その言葉尻は弱々しかった。
「やはり、と言いますと?」
さくらが特段隠すような素振りも見せず、はきはきとその疑問に応えた。
「レンさんのスマホのアプリから、溝口さんへ自殺を仄めかすメッセージが送信されていました!」
「それは何時頃なの?」
「深夜二時十分です。このアプリには送信時刻が表示されますから……」
溝口のスマホの画面には、確かに天田レンからのメッセージが届いていた。この手のアプリは送信予約ができないと聞いているため、信頼性はあるだろう。
「じゃ、少なくともこれ以降にレンさんは飛び降りて亡くなったということね?」
「そうだと思います。……もしかしたら、うちの社長にも同じものを送っているかも」
社長。亡くなったのはウエストワールドの取締役だった。それならば、当然代表取締役がいることになる。
「社長さん? どこに住んでいらっしゃるのかしら?」
「同じフロアの隣の部屋です。まだ寝てるのかな……ご紹介しますよ」
インターフォンが鳴ったのは午前八時を回ったところだった。ユウジはとうとう来たか、と一瞬身構えたが、すぐに思い直した。
いつもどおりに。
HOMEチューバーは、肩の力が抜けたいつも通りの平常心を見せることが重要だ。おそらくそれは、殺人を犯したあとでも同じことだろう。
姿見を見て髪の流れを整えてから、ユウジはいつもより悠然とした態度で玄関へ移動し、扉を開けた。
「ユウジ!」
「溝口さん。朝っぱらからどうしたの」
「レンが……レンが死んだんだ!」
溝口が慌てた様子なのが、妙におかしかったが、笑うわけにはいかなかった。レンは長年のパートナーだった。おかしくないように振る舞わねばならない。
ユウジは動揺したふりをして、しばらく押し黙っていたが──ようやく口を開いた。
「まさか、死体って──」
「あら? ウエゲさん? それじゃあウエストワールドの社長って……」
先程自販機の前で出会った男──警察官の三条つばめが、溝口の後ろに立っていた。
「ああ、はい。ウエストワールドは俺の個人事務所みたいなもので……レンが死んだんですか?」
「残念ですが、そうなんです。溝口さんのスマホに自殺を仄めかすメッセージが送られてて、もしかしたらあなたの方にも送られていないかしら、と」
メッセージは送っていない。一応自分のスマホに目を落としながら、ユウジは自分の目論見通りに事が運んでいることに安堵していた。
自分にも送れば、レンが死のうとしていることに気づいていなければ不自然だ。隣の部屋なら、扉を叩いて止めようとするくらいはしなければならなくなる。飛び降りた時間と生配信中にメッセージが来た時間は被っているのだから、あえてメッセージを送らないほうが都合が良かったのだ。
「レンからのメッセージは来てませんね……それに、昨日は生配信してましたんで、来ても気づかなかったかも」
そうした前提の上で、ユウジはカードを切った。絶対のアリバイ。その証明者は日本中に散らばっている視聴者だ。これほど頼もしい味方もない。
「生配信? 失礼ですけど、それは何時頃だったのかしら?」
「午前二時くらいから三十分くらいやってました。突発的なヤツでしたけど……アーカイブも残ってますよ」
つばめは唇に手を当て、ふうんと唸ると、少し納得した様子で笑みを見せた。
「なるほどねえ。……溝口さん、ありがとうございました。ウエゲさんも。なんだか朝早くからごめんなさいねえ」
「いえ。……ユウジ、このあと時間取れるか。色々まずいことになってる。レンの代わりに色々回らにゃならんからな」
溝口は未だ青白い顔をしていたが、伝えるべきことをねじこむように話してきた。ユウジには頷くほかない。溝口もある程度は会社のことにタッチしているが、ユウジはその限りではないのだ。
「じゃ、着替えていくよ。十時に下で待っててくれ」
扉が閉まってから、つばめはその場から去ろうとする溝口の背中に声をかけた。
「ちょっとよろしいかしら?」
「はい?」
「レンさんが急にお亡くなりになって、まずいことというのは何なんでしょう? ごめんなさいね、こんなこと会社のことだからあんまり聞くのは良くないんでしょうけど、気になっちゃって……」
溝口はすこし逡巡した様子であったが、そう時間をかけずにその疑問に応えた。
「お恥ずかしい話ですが──資金繰りがうまくいってなくて、外注先への支払いの滞りがあるんです。今日、支払日の早い順から精算して、残りを銀行と相談する予定だったんですが……」
「です、が?」
「プールしていた資金が取り崩されていまして。……いいたかありませんが、またユウジが使ってしまったんでしょう。レンが組んでた計画を一部変更して報告しないと。だいたい、銀行が乗り気になったばかりなのに、どうして──」
「あのう、予定通り借金を払えばそのような面倒もないと思うのですが、いかがでしょうか!」
さくらが急に正論という名の棍棒を振り回してくるので、つばめは苦笑いしながら彼女の前に立った。
「この子、ものを知らないから適当なこといってしまうんですよ。ごめんなさいねえ。……お金のことはレンさんが管理してらっしゃった?」
「ほとんど全部は。大学の経済学部を出ただけあって、優秀な経理担当でした。……それにお恥ずかしい話ですが、ユウジのためなんです。ヤツは浪費癖が酷くて。結構な金額、会社の経費として使ってしまうんですよ。レンが財布の紐を握っていても、コントロールできない程でした」
「キャップ! ……横領でしょうか!?」
「べつに被害届出てないんだからそうも言えないでしょ。……そういうことですよね?」
溝口も言いにくそうに視線を逸らし、頭を掻いた。
「……ユウジは社長で弊社の顔ですからね。ここまでの浪費を許してしまった我々にも問題はありますが──」
「よくわかりました。ご協力感謝いたします。溝口さん、場合によってはあなたやウエゲさんにもお話を伺うこともあると思いますから、よろしくおねがいします」
頭を下げて、重い足取りで去っていく溝口の背中を見ながら、つばめは引っかかりを覚えていた。妙なことが多すぎる。
「やっぱり自殺でしょうか!?」
「銀行が乗り気になった。しかもその話を詰めに行く前日に自殺するものかしら?」
さくらは首を傾げたが、すぐに──本当にすぐに結論を出した。
「考えるのも嫌になったんじゃないでしょうか!? 私も数字のことを考えると気分が悪くなります!」
「さくらちゃんの意見じゃちょっと参考にならないわねえ」
さくらの意見は置いておくとして──つばめには持論がある。どんなに辻褄があっていても、変だ、おかしい、と感じる時──それは突っ込んで調べねばならないということだ。
刑事ならではのカンが、この事件はおかしいと告げていた。間違いない。天田レンは自殺ではない。
「さくらちゃん、行きましょう。……気になることができたわ」
「はい! おまかせください!」
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