三条つばめ警部補のお別れ 『海のそばで殺された夢』
高柳 総一郎
海のそばで殺された夢
犯行編
西木戸ユウジは別の名前を持っている。ここ数年は、もう一つの顔としての名前のほうがすっかり馴染んでしまった。
HOMETUBE。誰もが自宅にいながら世界に対し配信できる、最大級の動画配信サイト。ユウジはそこで活動するHOMEチューバー──ウエストゲイトこと『ウエゲ』だ。
「ハイハイハローワールド! ウエゲです! 今日は開封動画。修理用機材が届いたので開けていきたいと思います。すべて!業界最高級品で揃えましたので、さっそくバッテリー関連から……」
自宅兼スタジオはスッキリとした白い壁。ライトを工夫すれば簡単に撮影ができるという理由で選んだマンションだが、いまやコラボ先からのプレゼントや、撮影で使ったおもちゃで埋まっている。
その中央に、二年前に買った高級ソファが鎮座。それらを全て捉えるように、テレビ局でも使われている最高画質のビデオカメラが設置されていたが──突然レンズの前へ手を差し込む者があった。
「おい! 何すんだよ!」
「撮影中に悪いな。話がある」
同じ大学に通っていた同級生だった天田レンは、今や日本随一の配信者となったユウジのパートナーであり、彼の会社の経理担当でもある。
レンはカメラを止めて位置をずらすと、ユウジの前に座った。
「撮影を止める必要あったか?」
「ある。まどろっこしいのは嫌いだ。単刀直入に言う。会社でプールしてた三百万。何に使った?」
痛いところを突かれた。ユウジはすっかり撮影用の顔を崩してしまい、大きくため息をついて目をそらした。
ユウジの会社は、動画配信業──つまりユウジの配信を金銭面で支えるため、節税対策に設立したものだ。都内一等地にあるユウジのマンションも会社名義で登記しているし、彼が撮影で使用する機材から交際費に至るまで会社の経費として使うために存在する。
しかし、それにも限界はある。遊びや車、洋服──使う全てが動画のネタになる動画配信者とはいえ、税務署や警察はバカではない。会社を実際にやりくりするレンからは、何かに付けて金の使い方について小言を受けてきた。
ユウジは、それらを当然のことのように流した。なにせユウジの動画チャンネルの登録者数は1500万人いる。彼らが動画を見るたびに、配信サイトからのマージンと、マーケティング動画でコラボする企業からの契約料が湯水の如くなだれ込んでくるのだ──近年はユウジが他メディアに露出するようになったことから、タレントとしての収入もある。
ユウジとしてみれば、小言を受ける意味がわからないのだった。
「また使ったんだろ。あれは今度支払期限が来る税金のためのプールだったんだぞ」
「……悪い。また個別のオンラインミーティング開いてカンパしてもらうよ。そしたら三百万くらい……」
「そういう問題じゃないだろ。いいか、ユウジ。はっきり言う。うちの会社はそう遠くないうちに火の車になるぞ」
「は? 何言って……」
「お前の金の使い方はどうかしてる! 新品のスポーツカーでカースタントやる企画、誰があんなのやっていいってったんだ!」
先々週にアップした動画──あれは楽しかった。一千万でローンを組んだスポーツカーを使って、スタントマンを雇ってアクションを撮った。かなりバズったので、出来には満足していたが──レンには違って見えていたようだ。
「ウケたからいいだろ!」
「いいわけあるか! 会社には借金だってあるし、そこでまたお前が湯水の如く金使ってみろ。とてもやりくりなんかできないし、そうなったらお前のブランドイメージだって傷がつくんだぞ」
何を言っているのやら、理解できなかった。俺が動画を作る限り、金は泉の如く湧いて出てくるものなのに。
「レン、何マジになってんだ? 俺が稼いでお前が管理する。スタッフとかもな。それでうまく行ってきただろ。今更わけわかんねえこと言うなよ」
「ふざけんなよ! 十万二十万じゃない、三百万だぞ! どうかしてる! ……あのな。お前の会社だから俺がなんとかできてるだけだ。お前がやってるのは、横領っていう立派な犯罪だぞ。それにな、近々HOMETUBEが投稿動画の支払単価を下げるんだ。今の配信ペースじゃすぐに賄えなくなる──なによりお前の浪費癖じゃ会社は破産だ! マンションだって叩き出されるぞ」
だから何だというのだ。
大学を卒業してから七年になるが、それでうまくいってきた。今更生活水準を戻す気はないし、戻す必要性も感じない。
動画を上げ続けていれば、なんとかなるだろう──ユウジの考えはひたすら楽観的だった。
レンはそれを見透かしたのか、呆れたように頷くと、立ち上がった。
「ああ……ああ、そうかよ。ここまで言っても分からねえかよ。そういう態度なら俺にも考えがあるぞ。もう辞める!」
「辞める? ふざけんなよ」
「ふざけてるのはお前だ! あー、せいせいする。言っとくが、退職金はたっぷり貰うからな」
レンはすっきりした顔で笑っていた。それがたまらなく不安に感じて、ユウジは彼の肩を掴んだ。
「考え直せよ」
「そのチャンスはお前が全部潰したんだ。全部だ! まったく……人生無駄にしたぜ。なにせこの数年間、お前の尻拭いとどうでもいい金勘定だけしてたんだからな! ……ああ、取り戻せるかもな。暴露本書いて、税務署にでもタレコミしたら多少はマシに感じるだろうよ!」
導火線のように髪の毛の先から火が走って、爆発したようだった。ユウジは近くにあったものを掴んで──レンの頭に叩きつけていた。
レンは言葉を呑み込んだような音を口から出すと、その場に崩れ落ちて──そのまま動かなくなっていた。
息が荒くなる。あたりを見回す。物言わぬおもちゃと死体──白い壁に散った赤い血の跡。
なんとかしなければ。なんとか──レンの頭からは、わずかに血が流れてカーペットを濡らしていた。彼の部屋は、ユウジのスタジオ兼自宅のこの部屋の隣だ。カギはジャケットの中に入っていた。ユウジは死体をカーペットで巻いて、引きずった。元々は第二スタジオという名目で買った部屋だ。節税対策であったとはいえ、今はそれ以上の効果があるわけだ。
部屋を出て、レンの部屋へ。自分のとは違って、落ち着いた高級家具や調度品が、シックな黒でまとめられたモノの少ない部屋だ。
自分だっていい部屋に住んでたのに、あんなことを言うなんて。ユウジは内側で渦巻く憎悪を押し留めながら、レンのスマホに指紋を残さないようにビニール手袋を使い、もう一人の役員──主に芸能関係のマネージングや動画編集の統括をしている溝口に、メッセージアプリで短い文章──つまりレンの遺書を準備し始めた。
『もうおしまいだ』
『疲れた』
『後は頼む』
まだ送らない。今送れば、レンが生きていることにはなるが、ユウジ自身のアリバイはないことになる。
今度は、メールアカウントの下書きに遺書を書いた。
『会社は借金だらけ、税金は払えなくなった。もう終わりです。さよなら』
簡易なものだが、操作しにくいビニール手袋のままではこれが限界だった。
レンは細身なのに、死体となった彼はやたら重く感じた。悲しかったが、もうどうにもならなかった。
レンは俺を見捨てた。俺を破滅させる気だった。今更どうなるものでもない。ウエゲがこれからも楽しい動画をみんなに届けられるように、今はこの犯罪を完璧にしなくてはならなかった。
ベランダから冷たい風が吹き込んで、黒いカーテンを揺らした。潮の匂いが漂ってくる。東京湾を臨む高級マンションは静寂そのものだ。黒く波打つ水面以外には、遠くで瞬いている港や工場の光だけがこちらを見ている。黒、黒、黒──センスのない色だ。白いほうが清潔感があっていいのに──。
靴下姿にして、そのままその重い体を押し出し──レンは宙を舞った。
床に血の跡は見当たらない。カーペットが高級なだけあるようだ。鍵とカーペットを持って部屋に戻り、元通りに床に広げて──ユウジはウエゲになった。血の処理を一通りしたあとに、アクション動画を撮ったときの血糊が残っていたので、それをバケツ一杯に水に溶かして作ると、HOMETUBEで生放送を始める。
一発勝負だ。ヘマは許されない。
「ハイハイハローワールド! ウエゲです! 皆さん元気ですか! 早速ですけど、今日はいきなり生配信!」
深夜二時過ぎに生放送をするのは、初めてのことではなかった。ビールを開けて一気に煽る。ぐるりと全身に血が巡る。
「今日は酒を入れてるんで、家の中で無茶します! 前回撮った動画でつかったこの血糊の余りで、僕の家の中をスプラッタハウスにします! 描いてほしい絵とかあったらコメお願いしますね〜!」
反響がコメントとともに高評価カウントと共に回転し、通知となってユウジのスマホを鳴らした。
十分もすると、血糊が白い部屋を濡らし、カーペットを濡らし──白い壁は赤いキャンパスになった。面白がるコメントに、投げ銭が舞い──ユウジは殊の外反響があったのを複雑に思いながら、レンのスマホをカメラに見えないように操作し、溝口へのメッセージを送った。
カメラの前のウエゲは、血糊まみれで笑う以外はいつもの姿を装った。
「やばいね〜、それにしても……俺もぐちゃぐちゃです。ははは……そうだ、ビールまた取ってくるね」
ユウジは立ち上がり、レンの部屋へ向かい──ダイニングテーブルにスマホを置いた。鍵は玄関そばの壁、黒い木でできたカバー付きの鍵掛けへ戻す。
この部屋はオートロックだ。このまま閉めれば、このスマホでメッセージを送れたのは部屋の中で生きていたレンしかいない。『レンから』メッセージが送られた時には、ユウジは生配信の動画に映っている。
アリバイは成立した。
黒いカーテンが風で揺れているのを確認して──ユウジは扉が音を立てないように、慎重に閉めた。
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