2-14 終末女子会
目が覚めると、見知らぬ天井と対面した。
青い闇の中で、零一は寝返りを打つ。やがて手の平に触れた清潔なシーツの感触に驚いて、眠気の靄が霧散した。ブラインドで千切りにされた月明かりが、リノリウムの床に射している。徐々に状況を思い出し、身体を起こして靴を履いた。
モンスターを退けたあと、零一はエイジたちと合流して、ラジオ局に行ったのだ。
そして、五階にいたアユに礼を言って、擦り傷の手当てを受けて……猛烈な睡魔に襲われて、ビル内の仮眠室を借りて眠っていた。
「あ、零一さんが起きました! ぐっすりでしたね。よっぽど疲れてたんですねー」
五階に行くと、アユが肩口までの髪を揺らして、零一を振り向いた。
だだっ広いオフィス跡地からは、すでにエイジや
「今から祝勝会ですよ! 零一さんもいかがですか?」
アユが料理を手で示すと、ミキがこれ見よがしに笑いながら、海老の天ぷらの串をチーズに沈めた。壁一面の窓から入る月光が、白い湯気を照らし出す。ニンニクと牛乳の香りがマイルドに漂い、腹の虫が鳴り始めた。モンスターの騒動で、昼食を食べ損なっていた。女子会の居心地の悪さを忘れて、一歩だけ室内に足を踏み入れたが、同居人の顔が頭を
「……俺は遠慮しとく」
「あらー、エリカちゃんを差し置いて、自分だけ美女たちとご飯は食べられないって顔してる。かーわいい」
ミキはとびきり下世話に笑ってから、バケットやブロッコリーを串に刺していく。食材が不足しがちな〝常夜〟で、どうやってこれだけのものを調達したのだ。おおかた
「零一君、お土産。エリカちゃんと二人でどうぞ」
対面に現れた
「ありがとうございます。その……大丈夫ですか?」
「ああ、ごめんなさいね。みっともないところを見せてしまって」
杉原は黒髪を耳にかけると、オフィスの広い窓を眺めた。ユアとアユより少しだけ長い髪が、割れた窓ガラスから入る夜風に
「零一君とヒロ君が、無事でよかったわ。屋台の大将さんが狙われたときも、気が気じゃなかったもの。生還できたなんて、奇跡よ」
「奇跡って、そんな大げさな……でも、記憶を奪われなくてよかったです」
「あれぇ? 零一さん、いつの間にか勘違いしてません? モンスターに『喰われる』のは、記憶だけじゃありませんよ」
アユが、口を挟んできた。ポテトチップスをチーズに浸して齧ってから、普段より少しばかり真面目な顔をする。
「モンスターは、私たちの身体も奪います。黒い靄に取り巻かれて、死体も残さず消えた〝常夜〟の住人たちは、数えきれないほど大勢いるそうです。特に被害が多かった時代を、私と杉原さんは知りませんが、古株のミキさんはご存知ですよね?」
「ええ。あの頃の生き残りも、ずいぶん減ったわね」
赤いマニキュアを施したミキの手が、零一が持つバスケットからオープンサンドを一つ奪った。黒オリーブとクリームチーズ、サーモンのマリネが載ったものを齧る姿を眺めるうちに、零一もじわじわと思い出していた。
――『モンスターは、この街に発生する黒い霧のこと』
零一が〝常夜〟に流れ着き、エリカに拾われた日のことだ。頭痛に苦しみ、明けない夜の世界に圧倒されて、思考停止していた零一に、エリカは説明してくれた。
――『あの霧の中に居続けたら、身体を霧に取り込まれるから。この世界で身体を取られたら、もう二度と〝現実〟には帰れないよ。この界隈の人たちは、モンスターに襲われることを『喰われる』って表現してる』
零一は、モンスターの被害者を大将しか知らない。記憶を奪われるという被害の深刻さが、古い記憶を塗り潰していた。
――『身体は取られずに済んだけど、記憶は少しだけ喰われちゃったんだね』
零一たちも、危険だった。杉原の涙は、決して大げさなものではなかったのだ。
今まで見過ごしていた危機感が、以前よりビビッドに感じられたのは――僅かながら記憶の欠片を取り戻し、あの曲の歌詞を聞き取れるようになってからだ。
「モンスターって……何なんだ?」
「それを調べるために、『もう一人の新人さん』が頑張ってくれてるんでしょ」
ミキは澄まして答えると、またしてもオープンサンドに手を伸ばしてきたので、零一は素早くバスケットを引っ込めた。「ちっ」と美女にあるまじき舌打ちを食らい、げんなりしながら、はたと気づく。先ほどの既視感の正体は、大将の明太卵焼きの記憶だけではなかったのだ。
「このフランスパン……どこかで見たような」
「
杉原が、控えめな笑みを零した。
「エイジさんたちも仰ってたけれど、本当に運命的なくらいにすれ違って出会えないのね。零一君と榊さんって」
「さかき……あっ? ああ! 手記の! しまった!」
「いつでも会えるわよ、せっまい世界なんだからさぁ」
「ミキさんって、相変わらず榊さんへの当たりがキツめですよねー」
アユが茶化すと、「別にぃ?」と答えはミキは、椅子ではなく事務机にどっかと座り、缶チューハイを煽った。小さく笑った杉原が、こっそり零一に耳打ちした。
「ミキさん、へそを曲げてるのよ。榊さんは、非の打ち所がないくらいに、器量が良い美人だから」
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