第47話 始まりの動機

 迎えた放課後、帰りのHRを終えて俺は荷物を背負い席を立つ。

 そのまま、京谷の元へ……

 は向かわず、紗季先生の所……

 を素通りして、そそくさと教室の前の扉から出ていく。

 教室外の廊下に出て、生徒たちを掻き分けるようにして階段へと向かって上の階へ。

 そして、いつものように視聴覚室へと向かい、スライド式の扉をガラガラと開いた。

 視聴覚室の奥の席、いつもの場所に彼女は何事もなく座っている。

 彼女もHRが終わった直後だったのか、PCを起動している間にスマホをポチポチと操作していた。

 俺が後ろ手で扉を閉めると、その音でようやく俺の存在に気付いたのか、視線をくるりとこちらへと向け、にっこりと微笑みかけてくる。


「先輩、お疲れ様です♪」

「おう、お疲れさん姫織」


 いつものように挨拶を交わして、俺は彼女の隣の席を陣取る。

 そして、俺はPCを起動させることなく、椅子を姫織の方へと向けてじっと彼女を見つめた。


「……先輩、どうしたんですか?」


 俺のいつもとは違う行動に、姫織はキョトンとした様子で首を傾げる。

 彼女の可愛さにたじろぐことなく、俺はポケットからスマホを取り出して、彼女の方へ画面を向けながら口を開いた。


「犯人はお前だったんだな……姫織」


 そう俺が端的に言うと、彼女はなんのことか分からないと言った様子で肩をすくめる。


「何言ってるんですかー先輩。私が犯人だなんて、そんなわけないじゃないですかー」

 

 そんなしらばっくれる姫織へ、俺は核心に迫る人ことを言い放つ。


「全部聞いたんだ京谷から。だから、もう包み隠さなくてもいい」


 すると、一瞬驚いた様子で口を開いた姫織。

 しかし、みるみると表情は笑みを失っていき、今まで俺の前では見せたこともないような鋭い眼光の女の子が現れる。


「はぁ……ホント……これだからアイツは使い物にならないのよ」


 そんな言葉を小声で吐き捨てて大仰にため息を吐くと、俺の方をすっと見据えてきた。


「そうですよ。私があのSNSの犯人です」


 堂々と姫織は、自分がSNSの実行犯であることを認めた。

 今日の朝、京谷を田浦さんと一緒に連行して、真実を吐かせたのだ。


「本当に、お前だったんだな」


 どこか心の中で、戯言であってほしいという願望を抱いていた。

 けれど、事実であることがわかり、俺の胸は悲しみの感情に苛まれていく。


「姫織と京谷は同じ施設出身で、高校入学とともにお前は施設を出て、一人暮らしを始めたらしいじゃねーか。それで、ずっと学校の裏サイトや根も葉もない噂や誹謗中傷を繰り返していた。それどころか、防犯カメラの映像をハッキングまでして、俺の情報をばらまいた。どうしてこんなこと……」


 俺がやるせない気持ちを胸に彼女へ尋ねる。

 しかしそんな俺の心情とは裏腹に、彼女から返ってきたのは意外な答えだった。


「これは、私自身が犯した罪を償うための罰なんです。海斗先輩のことを好きになってしまった私自身への」

「はっ……⁉」


 唐突に後輩からカミングアウトされる好きという言葉に、俺は戸惑ってしまう。

 そんな俺をよそに、姫織は滔々と語り出す。


「もともと私は、学校の裏サイトを運営するだけじゃなくて、SNSで誹謗中傷を繰り返す輩を社会的に抹殺するため、彼らの悪事や個人情報を晒し上げる活動に加担していました」


 初めて語られる、姫織の裏の顔。

 最初の一言だけでも耳を疑うような行いだったけれど、俺はただ黙って話の続きを聞くことにする。


「きっかけは、施設で一緒に暮らしてた同級生がいじめられたのが発端でした。施設に住んでいて、親がいないっていう理由だけで迫害されるなんて、酷い話じゃないですか」


 俺も家にほとんど帰ってくることはないにしろ、少なくとも両親は生きているし、金銭的に困ることもなく生活をさせてもらっている。

 姫織達施設育ちの奴らの境遇なんて俺には理解できない。

 ただ、親がいないだけでいじめられてしまうというのは、心の傷をすでに負っている彼女達からすると、さらに深く心の傷を抉られたことだろう。


「だから私は、彼女達を救うために、SNSで誹謗中傷を繰り返してくる彼らの悪事の物的証拠を掴み取って、逆に虐げたんです。それが始まりでした」

「それで……今日の今日までそれを続けてたと?」


 姫織は首を横に振る。


「正確には違います。先輩……あなたが現れてから、私は救われたんです」

「お、俺⁉」


 なぜそこで俺が出て来るのか全く分からない。


「先輩は覚えていないんですか? 私が入学した直後、桜の木の下で助けてくれたこと」

「あっ……」


 姫織に言われて思い出す。

 あれは、姫織が入学したての頃の話。

 俺が体育の授業へ向かおうとしたところで、一人桜の木の下で負のオーラを醸し出して佇む一人の女子生徒へ声を掛けたのだ。

 別に特にこれといったことを話したわけではない。

 その女子生徒は『クラスで馴染めないから、居場所が無くてここにいるの』と学校生活に悩んでいるようだった。

 だから俺は、『もし居場所がないっていうなら、放課後視聴覚室に来てくれ。部活の人数が足りなくて困ってるんだ』と言って、彼女へ居場所を与えてあげたのだ。

 まあ正直に言ってしまえば、部の存続がヤバかったから、彼女をPC部へ勧誘しただけなのだが……。

 それが、当時入学一週間の姫織だっただけのこと。

 ただ姫織にとっては、それがきっかけらしい。


「先輩は、私に居場所を差し伸べてくれました。感謝しきれません。それでも疑り深かった私は、それからしばらく先輩を尾行してみました。でも先輩の悪い所を見つけ出そうとすればするほど、先輩は困っている人がいたら誰にでも平等に手を差し伸べる聖人のような人でした。あぁ、こんな優しい人、世の中にいるんだなって思ったんです」


 まさか、姫織に尾行されていたとは……。

 ってか、俺のイメージそんなんだったんだな。


「だけど、そんな俺のイメージも崩れる瞬間が訪れちまったんだな」


 そう言って、姫織はコクリと頷く、


「ある日、先輩と大津先生が一緒に仲良く帰路についているのを見て、最初は驚きました。でもそこで、私は気づいちゃったんです。この二人の絆はそう簡単に崩れるものじゃない。私にこの間に入り込む余地なんてないって思いました」


 唇を噛み、プルプルと肩を揺らしながら、何かを我慢するように姫織は言葉を続ける。


「そのとき気づいちゃったんです。自分の気持ちに……。だって、先輩が他の女性と一緒にいることがこんなにも苦しいだなんて」

「姫織……」

「そんな時です。私が密かに運営していた学校の裏サイトの存在がバレたのは……。その証拠を突き付けられて、『SNSで先輩と大津先生が付き合っているように偽装工作を行え』って指示されました。そこでまた気づかされたんです。これは、私が先輩を好きになってしまった罪なんだって」

「そんなことねぇよ……」


 俺はぎゅっと拳を握りしめる。


「そんなことあります。だって先輩は、私が告白しても断っていたでしょ?」

「そ、それは……」


 俺が言葉に詰まると、彼女は今日一番の優しい微笑みを浮かべたのだから。


「だって先輩は、田浦先輩のことが好きなんですもんね?」

「……」


 核心を突かれ、俺は遂に言葉を失う。

 姫織は端から気づいていたのだ。

 自分の抱いている気持ちは決してかなうものではない。

 だから、せめてその抱いてしまった気持ちを償うために、自分が悪役をかって出ることで、自分を正当化しようとした。


「そんなの……間違ってる……」

「そうですね。普通の人なら間違っていると思います。でも、私にはそれ以外自分の犯した罪を償うやり方がわからないんです」

「罪とか……そんなこと言わないでくれよ……」

「どうしてですか?」

「だって……例え叶わない恋だったとしても、誰が誰を好きになろうが自由だろ? それを罪だなんて思うなよ……」

「それは、先輩が当事者だから言えるんです。もし先輩に私が気持ちを伝えて、その気持ちの責任を取ってくださいって言ったら、先輩は責任とれましたか?」

「……責任なんて、取れるわけがない」

「ですよね。人ってみんな自分勝手なんです。勝手に人を好きになって、勝手に勘違いして、好きっていう感情を間違い続ける。だから、私はこうして先輩に嫌われることでしか、自分を正当化できる方法がわからなかったんです……」


 正直、姫織の気持ちを俺は理解できない。

 ほんと、姫織は不器用で、どうしようもなくバカな行動をしていると思う。

 けれど、これだけははっきりと言える。


「いいか、姫織。いくら恋が成就しなくてもな。その気持ちを相手に押しつけたところで叶うかどうかは別問題だ。でもな……少なくともこうして部活動を共に半年以上過ごしている相手に好意を伝えられて、イヤだと思う奴なんて誰もいねぇよ。だから少なくとも、俺はお前に好きって言われて、イヤな気持ちはこれっポッチもねぇ。むしろ嬉しい気持ちの方が強いよ」

「……先輩は本当に優しくて、本当にずるい人です」


 そう言って、彼女はにっこりと微笑みながら、決してかなうことのない夢見た願望を吐き出すようにして、瞳から一筋の涙を零すのであった。

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