第3話 噂の先生と、健気な後輩

 県立宇立うだ高校二年二組担任教師、大津紗季おおつさき先生。

 凛々りりしい立ち姿にそのバレッタで留めた長い茶髪を揺らして、薄いニットに紺のジャケットを着こなした格好は、目にした者全員を魅了してしまうほどに美しい。

 紗季先生は教壇まで歩いて行き、手に持っていた出席簿を教卓の上に置いた。

 そんな先生の一つ一つの所作に見惚れていると、ふいに妙な視線を感じる。

 辺りを見渡せば、教室中のあちこちで、ちらちらと興味の視線が俺と紗季先生を交互に行き交っていた。

 なるほど……そういうことか。

 京谷の言っていたことをようやく理解する。

 SNSで拡散されたデマは、生徒たちにとって学内で今最もホットな話題と言っても過言ではない。

 そんな当人たちが顔を合わせれば、大衆のクラスメイト達の視線が集まるのは自明の理。

 様々な憶測が教室内で飛び交っていることだろう。

 はぁ……ホント、ネットの噂って信憑しんぴょうできないな。

 どうしてこういう時に限って、こんな面倒くさい噂が出回ってしまうんだ。

 自分の運のなさに絶望する。

 まあ、自業自得と言えばその通りなんだけどさ。

 本当なら今すぐ席から立ち上がり、『その噂、デマですから! 事実無根だ!』と大声で叫んでスッキリしたいところ。

 しかし、ここで何かアクションを起こせば、SNSの事実を知らない紗季先生にも迷惑を掛けることになってしまう。

 だから、心の中で叫んでおくに留めておき、俺は睨みつけるように教室を見渡した。

 俺の視線に気圧されて、クラスメイト達は慌てて顔を逸らす。

 その途中、不意に田浦さんと目が合ってしまう。

 田浦さんはピクっと身体を震わせると、他の人と同じように前を向いてしまった。

 はぁ……やっぱり田浦さんにも怪しまれてるよこれ……。

 早く家に帰って、ベッドで泣きたいよぉぉ……!

 俺が絶望感に苛まれていると、紗季先生も教室の異様な雰囲気に気づいたようで、きょとんと辺りを見渡した。


「みんなどうかしたのかしら? ほら、今日の日直は早く号令を」

「き、きりーつ……」


 紗季先生に促されてようやく日直が号令をかけると、クラスメイト達はのろのろと席から立ち上がる。


「礼!」


 スッと頭を下げて心の中で三秒数えてから頭を上げる。

 すると、不意に紗季先生と目が合ってしまった。

 紗季先生はクラスの様子がおかしいことについて、何かあったのかと視線で俺に聞いてきている。

 だが、ここで何かアクションを起こしても墓穴を掘るだけなので、軽く首を横に振るだけにとどめておく。


「着席!」


 日直の声が掛かり、一同は各々席に着く。

 紗季先生が話し出すと、再び俺と先生へ好奇の視線が交互に向けられる。

 ごめんなさい、紗季先生。いや、

 このことは後でしっかりと説明するから、今は傷ついた俺の心を浄化する時間に使わせてください。



◇◇◇◇



 帰りのHRホームルームを終えて、俺はそそくさと教室を後にした。

 廊下を歩いて階段へと向かい、昇降口のある一階へは向かわずに、階段を降りてくる生徒達の波に逆らうようにして、階段を上っていく。

 校舎三階へと上がり、廊下を歩いて向かったのは視聴覚室しちょうかくしつ

 ドアをガラガラと開けると、室内には無数のデスクトップPCがずらりと並べられている。

 その一角で、カタカタとキーボードを打ち込みながら、何やら作業をしている人影があった。

 俺がそこへ近づいていくと、その子は足音で気配に気が付いたようで、くるりと椅子を回転させてこちらを振り向くと、ぱっと華やかな笑顔を向けてくる。


「先輩! お疲れ様です!」

「おう、お疲れさん」


 俺のことを先輩と言って挨拶を交わしてきた彼女は小林姫織こばやしひおり

 一年下の後輩で、俺が所属しているPC部の部員。

 青みがかった黒髪をサイドテールに結び、小柄で童顔な顔立ち。

 今にも『お兄ちゃん』と飛びついて甘えて来るのではないかという妹感満載の後輩だ。

 俺は姫織ひおりの隣の席に腰掛けてPCの電源を付ける。

 すると、姫織は椅子をくるりと回転させてこちらへ身体を向けると、ニヤニヤとした笑みを浮かべてきた。


「先輩、姫織聞いちゃいましたよ。紗季先生と付き合ってるっていう噂」

「あーはいはい」

「なんですか、その雑な対応は! もっとリアクションしてくださいよ!」


 俺の冷たい対応が気に入らなかったらしく、姫織は頬をぷくぅっと膨らませている。

 でも、今は勘弁してほしい。

 姫織みたいに直接的に聞いてきた奴はいないけれど、クラスメイト達の視線が一日中俺へと集中砲火。

 興味の視線を教室で浴び続けたため、今は気を休めたいというのが正直な気持ちだった。

 加えて、それが原因で、田浦さんに振られてしまった心の傷も癒えていないのだから……。

 PCデスクに突っ伏してため息を吐くと、姫織がちょこんと顔を覗いてくる。


「どうしたんですか先輩? なんか元気ないように見えますけど」

「すまんな姫織。今は一人感傷に浸っていたい気分なんだ。そっとしておいてくれ」

「一人で抱え込んでもいいことありませんよ。それなら私と一緒に今から気晴らしにアぺやりましょうよ!」


 アペとは、今流行りのPCオンラインFPSゲーム。

 最近プレステやスイッチでも相互プレイ可能になり、さらにゲーム人口が増え続けている今流行りの人気ゲームである。

 俺と姫織はPC部という名だけの肩書きだけ利用して、放課後はこの視聴覚室でアペをプレイするのが日課になっていた。

 けれど、今はそんな気分じゃなかったので、ついらず口を叩いてしまう。


「お前な……一応俺達PC部なんだぞ。ゲーム部じゃないんだから」

「急に正論言われましても……。というか、いつもは先輩の方から『姫織、アペやろうぜ!』って誘って来るくせに……」

「そりゃまあ、アペ付き合ってくれる奴なんて、学校中探してもお前しかいないからな」


 俺は学校内で友達交友が多いわけではない。

 となると必然的に、ゲームを一緒にプレイする人物も限られてくる。


「でしょ! だからこの姫織が校内で噂に悩み苦しむ先輩を気遣ってあげてるんですよ! 少しは察してください」

「それを言わなかったら、もっとお前は可愛げのある後輩なんだけどなぁ……」

「そうですか? 周りでこっそり気を使われるより、直接言われちゃった方が気楽でいいじゃないですか」


 まあ確かに、姫織の言うことも一理ある。

 影でこそこそと何か言われるより、直接聞いてきてくれた方が色々と問題も解決するということを、俺は今日この身をもってこれでもかというほど思い知った。

 そんな後輩の期待の目に応えるようにして、重い身体をゆっくりと持ち上げる。


「ったく仕方ねぇな……。その代わり、今日でランク一つ上げるから、覚悟しとけよ」

「了解です!」


 なら、こうして何も言わずにただ一緒に遊んでくれる後輩といた方が気楽でいい。

 俺はPC画面からアペを起動させる。


「まあ、人の噂も七十五日って言いますし。あまり気にしない方がいいっすよ」


 ゲームを起動中、後輩がPC画面を見つめながら独り言気味に言ってくる。


「その七十五日が苦痛なんだけどな」

「安心してください。噂が消えるまで、この姫織が誠意をもって先輩のゲームに付き合いますから!」


 そんな健気けなげな後輩と一緒に、俺は今日も部活動という名のアペランクマ上げに没頭するのであった。

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