3-1 転校生

 明は教室の壁掛け時計をみて、息を吐き出す。まだ朝のホームルームまでには時間がある。明の周りの席にはまだ誰もいなかった。

 今日は連休明け最初の平日だ。ゴールデンウィークが終わったことを嘆く会話を、明はかばんから教科書を取り出しながら聞き耳を立てる。明は、クラスメイトたちとは違い、早く休日があけてほしいと思っていた。

 胸ポケットから小さな巾着袋を取り出す。姫宮が安全のために、とくれたものだった。なんでも異世界人が近づけば、姫宮に知らせがいくという。

 「堂前、おはよう」

 隣の席で廻廊院が荷物をおろし、さわやかに挨拶をする。

 「おはよう、廻廊院」

 明は努めて笑顔をつくり、巾着袋をシャツの胸ポケットにしまう。

 「ゴールデンウィークは楽しめた?」

 「いや、それどころじゃなかったよ」

 ゴールデンウィークは明にとってさんざんだった。そもそもゴールデンウィーク直前にアルカスに殺されかけ、次の日にはレグルスという暗殺者の襲撃を受けた。休みの間は、ずっと気を張って家にこもっていたため、満喫したとは言えない。

 ただ、それでも暗くなれずに過ごせたのは姫宮の存在があったからだ。姫宮と明は頻繁に安全確認という名目で、たわいのないメッセージや電話でのやりとりをしていた。もともと思い描いていた関係性ではなかったが、明は姫宮と友だちになれたことが嬉しかった。

 明がレグルスに殺されかけた事件は、大きなニュースにはならなかった。取り扱ったのはごく一部のネットニュースだけで、記事によると、客や店員は火事が起きたからビルをでたのだが、調べによると火災報知器も消防への通報も行われていなかったのだあった。アルカスたちの仕業だ、と姫宮は説明してくれた。明を一人にするために、アルカスたちが人払いの結界をはり、ビルの中にいた人間に火事が起きたと錯覚させたのだという。人払いの結界は、明が最初に襲われた夜も仕掛けられていたが、姫宮は自身の特性から、結界の影響を受けなかった。しかし、ショッピングビルの結界は、対姫宮を想定したつくりになっていたことや彼女自身の油断もあって、まんまとアルカスたちの策に引っかかってしまったのだと、悔しさをにじませていた。

 結局、ショッピングビルで起こった出来事は、集団幻覚としてネットニュースやオカルト系のまとめサイトで取り上げられた。明が休日のあいだにネットを漁ってみたが、不思議と事件について広まることなく、すぐに飽きたのか話題にするものは誰もいなくなっていた。

 「なんだ、堂前もゴールデンウィークつぶれた口か。俺も家の手伝いに駆り出されて大変だった」

 「それは、ざんねんだね」

 「だろ。たまの休みなんだから、家のことなんてしたくないんだよな」

 廻廊院は明るく愚痴り、明は相槌をうつ。廻廊院と会話できていることに喜びを感じながら、何か聞くことがある気がしたのだが、思い出そうとしたところで声がした。

 「おはよう!」

 元気のいい可愛らしい声だ。

 「姫宮、おはよう」

 「おはよう」

 二人の声が重なる。登校してきた姫宮が明と廻廊院の間を通り抜けると、くるりと振り返った。

 「ねえ二人とも、今日の放課後暇?」

 久々の女性らしい姫宮の態度にいささかあっけにとられるもすぐに、学校ではだよな、と明は一人得心した。

 「暇だよ」

 「廻廊院くんは?」

 「俺も大丈夫」

 「よかった、じゃあ、ちょっとお願いがあるから、二人には教室に残ってて欲しいの。いいかな」

 「いいよ」

 「ありがとう」

 「お願いって、なに?」

 「それはあとでのお楽しみです」

 明の質問に、姫宮は答えない。

 「じゃあ、よろしくね」

 姫宮はリュックをおくと、クラスの女子たちの輪の中に入っていった。

 「なあなあ、これって恋愛イベントかな」

 廻廊院が声をかけてくる。

 「違うと思うな。俺たち二人を誘っているし」

 明はやんわりと否定した。明は姫宮の正体を知っているため、彼女のお願いが恋愛関連ではないことだけは確信していた。

 「でもこの学校で一番の美女に誘われたんだぜ。イベントを期待しちゃうだろ」

 「うん、……言われてみれば、そうかもね」

 「だろー」

 廻廊院は前かがみになり、目を輝かせて明をみる。

 「なあ、堂前。姫宮となんかあった?」

 廻廊院は声をひそめて、明に質問を投げかけた。

 「え?」

 明は思わず声が出る。

 「だって、連休前と比べて姫宮に対する態度が違うだろ。話しかけられるだけでカチコチになっていた堂前くんが、自然に会話をしているのは何かあったとしか思えないけど」

 どう返答するべきか頭をひねる。正直に答えたとして、廻廊院が信じてくれるとも思えない。特に姫宮の正体はただでさえ信じ難い上に、彼女からきつく口止めをされている。もちろん、明は友だちの秘密を言うつもりはなかった。

 「た、たまたまだよ」

 「そうかー?」

 「そ、そうだよ」

 明の出した回答は、お世辞にも良い返事とはいえず、廻廊院の疑念が深くなっているように見えた。

 「俺は、姫宮と堂前の関係が、連休中に進展したと思ったんだけど」

 「どういうこと?」

 「付き合ったとか?」

 「それはないよ」

 「即答するんだ」

 「えっとー」

 明はまるで、探偵に追い詰められた犯人のように、しどろもどろになり目をあちこちに泳がせる。何が面白いのか、廻廊院は明の様子をみて笑い声をあげている。

 「はい、座れー。ホームルームするぞ」

 教室のドアがあき、担任が登場する。明は、内心ほっとした。

 「仕方ない、またあとでな」

 生徒が各々の席に着く。

 「今日は、ホームルームの前に、転校生を紹介します」

 教室がざわつきだす。

 「せんせー、転校生は男ですか? 女ですか?」

 クラスのお調子者が手を挙げて、質問する。

 「すぐにわかるから。はい、入ってきなさい」

 そして、扉があく。

 明は転校生の姿をみて、固まってしまった。

 転校生は女の子だった。長いブロンズの髪に、新品の制服を着ている。

 女生徒は、教師の横に立つ。背の高さは男性教師と変わらないくらいで、その年齢にしては身長が高かった。転校生の日本人離れした端整な顔立ちに、誰かの感嘆の声が聞こえる。ざわついていた教室が静まりかえる。

 「はいじゃあ、自己紹介して」

 女生徒は教室を見回して、最後に明と目が合った。一秒かそこらみつめあったあと、顔を正面に向ける。

 「星野レグルスです。両親の都合で海外から転校してきました。皆さんよろしくお願いします」

 レグルスはさわやかな笑顔浮かべ、頭を下げる。誰かが拍手をし、それにみなが続いた。明だけはそっと胸ポケットに手をあてた。

 

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