2-3 逃走
三階に駆け上がる。正面には、エレベーターホールがある。三階は、雑貨店がワンフロアを占めていた。周囲をみわたすが、人の姿は見えなかった。
「誰か、いませんか」
助けを求めた者に向けて声をあげる。明の声がフロアに響き、しばらくの静寂の後、床に物が落ちる音がした。生活雑貨や文具が置かれた陳列棚の隙間から、女性が顔をだした。
「……よかった、人がいて。気づいたら誰もいないし、スマホも圏外だし」
女性が安堵の声をもらす。一人で心細かったのだろう。その目は潤んでいる。
「大丈夫ですか?」
女性は白いブラウスに、緑色のパンツをはいている。明よりも背が高く、茶色に染めた髪が腰までのびている。大人びた印象から、年上に見える。
明は女性に対して責任を感じていた。このビルの状況は、間違いなくアルカスたちが明を狙ったものだ。女性は巻き込まれただけにすぎず、危険な目に合わせるわけにはいかない。昨夜明が体験した恐怖を味合わせたくないと思った。
「ここは危険です。逃げましょう」
「下に、あれはいないの?」
下へと続くエスカレーターへ行こうとしたところで、腕をつかまれた。女性の潤んだ瞳が、明をじっと見つめる。彼女の瞳に吸い込まれそうな感覚に、思わず目をそらす。
「あれって」
「あの大きな蛇の怪物よ。私、蛇に追われて逃げてきたの」
怪物と聞いて、アルカスたちの顔が脳裏に浮かんだ。やっぱり
「大丈夫です。僕は二階から来ましたけど、怪物はいませんでした。今のうちに逃げましょう」
「……わかった。早く逃げないとあの蛇が来るかもしれないものね」
女性は少しの逡巡のあと、明とともに歩き出した。
「あ!」
エスカレーターからくだろうとして、明は声をあげた。およそ人の背丈ほどの大きな蛇が明たちを下からのぞいていた。蛇は全身黒い鱗に覆われ、赤い斑点が浮かんでいる。蛇の鋭い黄色い目は、明たちを発見すると、大きく口を開けた。獲物を発見した歓びで叫んでいるように見える。あれが女性のいった「蛇の化け物」なのだと明は理解した。
「そんな。さっきはいなかったのに」
「逃げましょう!」
女性の声に明ははっとした。いつの間にか女性は、上りのエスカレーターの側にいて、こちらを呼んでいた。
明が女性の方へ走り出すと、エレベーターホールに蛇の化け物が現れた。エレベーターホールの側にある階段を使って来たのだろう。蛇は明を視認すると、くねくねと体を左右に揺らして近づいてくる。
「早く!」
女性が叫ぶ。明と女性は動作するエレベーターを駆け上がる。4階を過ぎて、5階に差し掛かる。下の階には、どこからきたのか蛇は数を増やし、明たちを目指してやってくる。幸いその歩みは遅く、走れば距離を開けることはできた。だが、蛇たちは確実に近づいてくる。
「もういや、どうしてこんな目に……」
足をとめて、女性が大きく息を吸い込む。恐怖から、混乱しているようだった。
「……大丈夫です。絶対助けが来ますから」
涙目になる女性を明は励ました。明は姫宮の顔を思い浮かべ、自分に言い聞かせるようにいった。
ポケットの中で振動を感じた。圏外で使えなかったはずの明のスマホに、姫宮から着信がきていた。明は、急いで応答ボタンを押した。
「姫宮さん!」
「だから、敬語はやめろって。それより堂前、今どこだ?」
姫宮の男らしい口調が通話口から聞こえてくる。
「喫茶店のビルです!」
「やっぱりか。すまない、やつらの罠にかかって、ビルから出されちまった。そっちの状況はどうだ?」
「また出たんですよ、怪物。今、取り残された人と一緒に上に向かって逃げているのですが、いつまでもつか」
女性と目が合う。通話している明の様子をまじまじとみつめている。
「なんだって! 他に人がいるのか? 一人じゃないのか?」
「そうなんです! あいつら無関係な人を巻き込んでいるんですよ」
「わかった。俺はどうにかしてそっちにいく。堂前はとにかく逃げろ。それから……」
唐突に姫宮の声は聞こえなくなった。スマホの画面はまっくろだった。アルカスたちが妨害したのだろう。
明は、スマホをポケットにいれる。
「助けがくるの?」
「来ますよ。絶対来る」
明は女性の言葉に頷いた。
明たちは再び上へ上へと登り、ついに最上階まで辿りついた。下からは蛇たちがさらに数をまして迫ってきている。
「どこに逃げれば……」
「階段で逃げよう」
明はエレベーターホールを指さす。女性は頷き、明とともに走り出した。
もしかしたら、階段から下へおりることで、上手く蛇たちをまけるかもしれない。しかし、明の目論見は外れた。明がエレベーターホールに入ると同時に、下から階段であがってきた蛇が姿を表した。蛇は明を見つけると、大きく口をあけた。
「危ない!」
女性の声が響く。蛇の口が勢いよく明に向けて飛び出してきた。
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